『10』


「隊長!!お先に!!我々はここで奴等を食い止めます!」
「……無茶だ!この程度の装備では、何の役にもたたない!!」
「隊長が死んだら、誰がこの『家』を守っていくのですか! ……私達は、この『家』を守
 るのが仕事……あなたをお守りする事も」
「しかし……」
「もちろん、無理などいたしません。ある程度粘ったら、私達も向かいます」
「お前達……」
「早く!!」
「……すまない!!」


 ミハイルは、部下を残して地下への階段を駆け下りた。
 本来なら、敵前逃亡に等しいが、今はやむを得なかった。
 父から言われた事を守る事も、今の彼には重要な仕事なのだ。

 しばらくして、凄まじい爆音と共に、彼の頭上が揺れた。
 はっとして振り返るミハイル。だが、そこには、もう人の声も、銃声も聞こえなかった。

「……みんな……すまない……すまない……」

 そう呟き、項垂れたその時、理解できないほどの凄まじい恐怖を感じ、ミハイルは思わ
 ず一目散に階段を駆け下りた。隊長を勤めるほど強くなった彼が、虎の前のウサギのご
 とく逃げ出したのだ。

「なんだ……なんだこの感じは!」

 その頃、地下への入り口では、生き残ったミハイルの部下が呻き声をあげていた。

「ここか……感じるぞ……『剣によりて正す者』の存在を……。『セフィロートを登る者』
 の気配も……」
「……ぐ……強すぎる……」
「……おや? ……まだ生き残りがいたか……ふむ……。私は心が広い。先ほどの愚か者
 とは違い、勇敢に戦った君達だけは……食わずにおくよう言い聞かしておこう。……ま
 あ、彼等が忍耐強ければ、の話だが」

 くく、と、含み笑いをしながら、黒衣の紳士アスモデウスは、地下への階段を、まるで
 楽しむかのように下っていった。

 アスモデウスが地下へ向かい始めた頃、ウ−サ−達三人は、石に似た光る金属に囲まれ
た天井の高い部屋で、《あるもの》をみつめていた。
 それは、大さな一室で、巨大な透き通った岩のような物に突き刺さった、一本の長い剣
であった。

「お父様……まさか……これは!」
「過去……ニ千年も前に、我らが祖先が残したる遺産。地獄の貴族とその眷属を正すため
 に鍛えられた『器』のひとつ……。名をエクスカリバー」
「エクス……カリバー……」

 その問いかけは、ミハイルのものだった。

「ミハイル!」

 安堵の表情で、モリガンが弟を抱き締める。

「……みんなは? どうなったの?」
「ごめん……姉さん……ごめん……」

 その言葉で、姉は弟が何を言いたいのか察した。

「いいのよ。よく頑張ったわね」

 そうやって、もう一度モリガンが弟を抱擁し、その額にキスをする。
 と、その時……

「そうですね、あなた方はよく頑張られた」

 いきなり背後から声をかけられて、ミハイルは、青ざめる。
 逃げ出したあの時と同じ感覚が、再び蘇る。背筋が凍り付く。
 恐怖に表情を引き攣らせる四人を味わうように見、アスモデウスが語りかけた。

「本当によく頑張られた。人間の分際とはいえ、まさかここまで粘るとは……なかなかや
 るものです。公爵閣下、同じ貴族として、誇りある戦いをなされるあなた方は、見てい
 てとても気分が良い」
「一体何をしに来たのだ、地獄の侯爵よ。ここは、お前にとって、居心地の良い所ではな
 いはずだが?」
「……確かに。ですが、すぐに良くなります。その、忌まわしい『器』を叩き折れば」
「そんな事は……させん!!」

 父ウーサーは、叫び声をあげて、アスモデウスに肩から突っ込み、羽交い締めにしよう
とする。
 それを、何ごともなかったかのようにアスモデウスは受け止める。

「おやおや、公爵閣下、何のおつもりですか?」

 アスモデウスは、軽くウーサーの肩を掴む。すると、彼の両肩が、ばきばきと音をたて
て砕けた。

「ぐああああああああっ!!」
「見苦しい……このようなものを見に来た訳ではないのですよ? ……さあ……もっと甘
 美な悲鳴を……私に聞かせてください!」

 アスモデウスは、潰れたウーサーの肩から手を放し、首を掴んで片腕で持ち上げた。

「父さんを放せ! この化け物!!」

 ミハイルがサブマシンガンをアスモデウスに向けて撃ち放つ。
 が、その弾は、彼に当っただけで、まるで何ごともなかったかのようにからからと音を
たてて落ちた。

「……そんな……」
「残念だったな、少年。私にそんなものは効かない」

 ふっと、アスモデウスが手を払うと、突風が吹いて、ミハイルはエクスカリバーのある
方へと吹っ飛ばされた。
 床に体を強打して、受け身も間に合わず何度も跳ね飛ぶミハイル。

「……ぐ……はっ……」

 倒れたミハイルを一瞥し、アスモデウスはモリガンとヴィヴィアンの二人に目を向けた。

「ほう……これはお二人ともお美しい。私の『妻』になるに相応しい美貌をお持ちだ。ど
 うです、私の『妻』になれば、この世のものとは思えない『快楽』を与えてさしあげま
 すが」
「寝言は寝てから言いなさい、この変態」

 モリガンは怯えて声も出せないヴィヴィアンを抱きしめて、アスモデウスを睨み付けた。

「良い目だ。是非とも『妻』に欲しい」

 アスモデウスが、二人に近付く。そして、地獄の侯爵の手が、モリガンに触れようとし
たその時、『何か』がモリガンの周りを漂い始めた。
 そしてそれは、アスモデウスを弾き飛ばした。

「……む。これは……魔女の……。なるほど、目を覚ましたかな?」

 楽しそうに笑うアスモデウス。

「……ミ……ミハイル……剣を……剣を……取れ……!!」
「……と……とう……さん」
「その剣があれば……お前はあの男を……倒せる……早く!」
「……公爵閣下、見苦しいですぞ」

 アスモデウスが手を振り降ろすと、ウーサーの周りの石畳が砕け、へこみ、ウーサーが
血を吐いてうめく。

「父さん!」
「もうやめて!」

 モリガンがアスモデウスの腕を掴む。が、あっという間に引き剥がされ、思いきり壁に
叩き付けられる。

「……やれやれ……所詮はこんなものか……全く、ベリアル様やベルゼブブ様も酔狂が過
 ぎる。このような雑魚に私をあてがわれるとは……さて」

 アスモデウスがエクスカリバーに近付く。

「後はこれを破壊するのみ」
「……待て!」

 ミハイルは、アスモデウスの足に両手でしがみついた。
 だが、その頭を、アスモデウスが思いきり踏み付ける。
 ミシミシと、頭が砕かれる音が、ミハイルの頭の中で響く。

「ぐああっ!」
「見苦しい、と言ったはず。少年……君はよく頑張った。人間にしては、上出来だ。……
 と言う訳で…………そろそろ死ぬか」

 アスモデウスの腕が振り上げられる。
 『死』をミハイルが覚悟したその時、光のようなものがミハイルの心に飛び込んできた。

『守りたいか』

光はそう言った。

『守りたいか』
(守りたい!! このまま……このまま終るなんて……絶対に嫌だ!!)
『力が欲しいか』
(欲しい!! みんなを守れる力が!! 誰かを倒すのではなく! 守れる力が!)

 心の光が、一段と大きくなる。

『ならば、私をその手に取れ、キングよ。光と闇の心をその中に抱きたる者よ。何よりも
 『幸』を願う者よ。私は、始まりにして終末の王に仕え、そしてその『剣』たるもの。
 我が名はエクスカリバー』

 ミハイルの心が光で満たされた時、アスモデウスの体が吹き飛び、壁に激突して爆音を
奏でる。

「……な……何だと!」

 驚きに目を見開くアスモデウスの視線の先では、ミハイルが白い光に包まれていた。後
に『器の光』と呼ばれるものに。

「お……おお……エクスカリバーよ……お前は……その子を選ぶのだな……。金と血統で
 飾り立てられた者ではなく……汗と涙で誰かを守ろうとする見窄らしく汚れたその子を」

 ウーサーは、我が子を見つめた。主として認められた息子を。
 そこに、ゆらりと地獄の侯爵が立ち上がる。

「ニ千年ぶりの《王》の復活か……お祝いを申し上げます……殿下!」

 その言葉とともに、アスモデウスがミハイルに突っ込んでいく。
 その右腕の爪が、ぎらりと光りながら伸び、ミハイルの顔面を狙う。
 それをミハイルが剣で弾き、アスモデウスに振り降ろす。が、アスモデウスはひらりと
それを躱すと、凄まじい跳躍力でミハイルから離れる。

「やりますね、殿下! ですが……まだまだ剣の腕は未熟!!」

 アスモデウスが右手を前に差し出す。
 すると、彼の足下が砕け、槍のように割れていき、それは、一直線にミハイルに向かっ
ていく。

「うおおおおおお!!」

 ミハイルは渾身の一撃で、その『波動』を打ち返す。
 爆煙が舞い上がり、ミハイルを隠す。

「隠れたつもりでしょうが……丸見えですよ殿下!」

 それと同時に、ミハイルが土煙りの中から飛び出してくる。
 そこにアスモデウスの右手がかざされる。
 だが、ミハイルは臆することなくその腕に突っ込んでいく。

「愚かな!! 私の槍に死角はない!!」

 再び、破壊の波動がミハイルを襲う……が、ミハイルはそれに巻き込まれ
る事なく体を屈めてアスモデウスの懐に飛び込んだ。

(死角はある! それは……伸ばしたその腕の真下!!)

 『槍』が、ミハイルの頭をかすめ、通りずぎる。その額に血が滲む。
 だが、ミハイルは、そのまま、思いきり剣を振り上げる。

「おおおおおっ!!」

 重く、そして手ごたえのある一撃が、確実に アスモデウスの右手を捕らえていた。
 宙を舞う、アスモデウスの右腕。

「ぐあっ!! ……ば……馬鹿なっ!!」

 斬り飛ばされた右腕を見つめて、驚愕の表情と共に数歩後ずさるアスモデウス。だが、
一瞬顔を歪ませただけで、彼は満足そうににやり、と笑うと、ミハイルに向き直った。

「……たいへん満足ですよ、殿下。いや、本当にに満足だ。……いいでしょう。ここは、
 あなたの頑張りに免じて、退却してさしあげます」
「……な……」
「やはり、戦いは面白く、そして凄惨でなくては……。ククク。一時はどうなる事かと思
 いましたが、いやいや、やはり来てよかった……」

 アスモデウスの背後が、いきなりぐにゃりと歪んだ。
 ちぎれた彼の右腕の切断面のあたりが、びちびちと気持ち悪く脈うつ。

「……その右腕は……あなたに差し上げます。ああ、ご心配には及びません。私の方はす
 ぐに『生えてきます』ので。私に勝った証として、子々孫々飾られるといいでしょう…
 …ククク……」
「ま……待て!!!」

 ミハイルが歪みに駆け出す。が、アスモデウスの体は、もう瞳の輝きを残して歪みの中
にあった。

「殿下……私はアスモデウス。司令官にして、地獄の侯爵なる者。……また……お会いし
 ましょう……その時には、もっと私を楽しませてくれる事を期待していますよ……」

そうして、アスモデウスの体は、歪みごとその場から消えていった。

「地獄の侯爵……アスモデウス……」

 そう呟きながら、まだ蠢いているちぎれた腕にエクスカリバーを突き刺す。
 すると、その腕はぐずぐずと崩れて土塊と変わった。
 そこに、よろよろと、ヴィヴィアンに肩を貸してもらったモリガンと、ウーサーが近寄
ってくる。

「……父さん……僕の他にも……こんな力を持った人がいるの……?」

ミハイルの問いかけに、父がゆっくりと答える。

「ああ……この西の島にも……そして、極東の島国にも……」
「ニッポンにも?」
「……そうだ……『サムライ』と呼ばれ、何よりも気高い心を持つ者達がな……」
「父さん、僕、仲間を集めるよ……そして……必ず……必ずヤツを倒す!」

 ミハイルは、エクスカリバーを握り締めて言う。
 それは、シヴァリースと、アーサー王と、そして、彼等の宿敵の誕生を、
宣言しているかのようだった。


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