『12』


 天水村赴いた者達には、それぞれに思惑がある。
鬼切り達には鬼切り達の、騎士には騎士の。そして新選組には新選組の。

 新選組の朝は早い。
 京都の居残り組も、それはあてはまる。
 彼等はその日も、前川邸道場では、かけ声と共に木刀が当たる乾いた音が辺りに響き渡
っていた。

「気組みがなによりも大切だぞ! 気を抜くな!」
「踏み込みが甘い!!」

 各番隊の組長の声が道場に響く。
 
「次! 三人行け!」

 一人の隊士に、三人の隊士が取り囲み、木刀を構える。
 そして大きなかけ声と共に、一人の隊士に襲いかかる。
 襲われた一人が、後方に飛びすさりながら、一人、二人と打ち据える。
 が、最後の三人目に腕を打たれて木刀を落してしまう。
 
「次! どうした! 副長や総司がいないからといって気を抜くな! 今日は総司並みに
厳しくいくぞ!」

 井上の大きな声が、道場に響き渡る。

「源さん、ヤケに張り切っているなあ」

 昼行灯の山南が、眠そうに欠伸をしながら、道場の外でその訓練を、眠そうな目で見つ
めていた。

「総司君が不在ですからな。彼は仲間うちであっても全く手を抜かない。剣を持つと、ま
 るで人が変わったようになる。その総司君がいないんだ。隊士達の士気が下がらんとも
 限りません。……それに、鬼の副長もいないとなれば尚更でしょう。井上さんが気合い
 を入れるのも分からなくはないですよ」

 松原が、汗に濡れたスキンヘッドをタオルで拭いながら、山南の傍でそう語りかけた。

「いい事じゃないか。こっちも、暇をもて余している訳ではないからな。今暇そうに見え
 るのは、嵐の前の静けさからだ。昨夜、少し伊藤先生とも相談したが、やはり鬼の醜気
 が日に日に増しているそうだ。宇治あたりに、少し精鋭を置いておく必要がある」
「……宇治ですか……それはどういう事です、総長」
「宇治の平等院を知っているだろう」
「はい、それが何か」
「あそこには、今とても重要なものが安置されているんだ」
「……重要なもの?」
「酒呑童子の首、玉藻之前の遺骸、そして、大嶽丸の首。鬼の中でも、世界屈指の実力を
 持つ日本三大鬼のものだ」

 それを聞いた松原が、少しきょとん、とした表情になる。

「あれは偽物……いや、ただの人寄せの飾りでしょう。あんなもの、誰が狙うの言うので
 す」
「確かに、あれらは偽物だ。酒呑童子も、妖狐玉藻之前もそれが偽者だと言っているよう
 だしね。それに彼等がいるという事は、彼等の祖先が、絶滅していないという証拠だ。
 しかし」
「……しかし?」
「大嶽丸だけが、その姿を現わしていない」
「それが、何か? ただ偶然出て来ていないだけだと思いますが」
「……最近、宇治の辺りに醜気が増している、と言っただろう?」
「……はあ」
「あの大嶽丸の首が本物の可能性がある、という事さ。そして、その首を、鬼の勢力が必
 要としている……藤原俊宗(ふじわらのとしむね)と鈴鹿御前(すずかごぜん)に討ち
 倒された、極東最強の鬼の首を……」

 松原の顔が、引き締まる。

「我々や鬼切役や、騎士の精鋭を天水村に集めておきながら、その裏をかいてこの京都を
 狙われたら……」
「そうか、昨夜から、京に残る意義を唱えておいでだったのは、そういう事なのですな。
 ……いや、しかし、いわば死体の首を、どうするつもりなのでしょうな」
「必要なアイテムなんだろうね」
「……よく分からないですな、総長のお考えは」
「…………」

 山南は、ある一人の男の事を、ずっと考えていた。
 ナノマシンと生物・細菌学の権威。そして、天水村で自殺した、あの男の事を。
 あの男が鬼と結託して、何やらやらかしていた事はまず間違いない。
 そして、彼の研究目的は……

「僕の考えが確かならば……おそらく……」

 山南は、道場を見つめながらも、その心は、遠く天水村へと向いていた。

                   $

「俺はお前がうらやましいよ、総司」

 土方が、白みだした空を見ながら、汗だくで木刀を振るっている沖田に声をかける。
 新選組の寝泊りする宿のすぐ近くには、小川がある。
 その小川に沿った河原で、早朝から、沖田、永倉、斎 藤、原田、そして、土方に近藤、
といった面々が、熱心に稽古を行っていた。
 少し離れた場所では、彼等に付き従っていた平隊士が、こちらも熱心に素振りをしてい
る。

「なんですか、土方さん、いきなり」

 沖田は、いきなりそんな事をしみじみとした口調で言い出した土方を、はにかんで見る。
「お前は新選組のために死ねる奴だ」
「どうしたんですか、本当に」
「純粋に剣に生き、そして、新選組の存在理由を守るために、お前はこれまで闘ってきた。
 親や周りに甘やかされて、根拠のねえゴミかアリみてえな小せえプライドだけが、我が
 ままという脂肪で肥大した、使えねえガキ共とは違う。……それは芹沢の時もそうだ」

 沖田は少し表情を固くした。
 特に子供達の前では、いつも穏やかな表情で明るくふるまう彼にしては、珍しい変化だ。
 芹沢。
 その名を聞いた時、彼は、芹沢と話をした時の事を思い出していた。

「沖田君、君は本当に強いな。だが、剣に秀でているだけでは、これからの世を生き抜い
 ていく事はできん。世界の流れを見極めた者こそ、真に強いと言えるのだ」

 芹沢は、確かそのような事を宴席で語っていた。
 酒に顔を赤らめて話す芹沢のその言葉は、沖田には剣に生きている自分には、その流れ
を見極める事は不可能だ、と言っているようにも聞こえた。
 しかし、『世の流れ』を見極めたと自負していた芹沢は、鬼の側に荷担して、多くの仲
間を裏切った。
 彼にとって『世の流れを見極める』とは、己の保身をより確実に確保する場所を見つけ
出す嗅覚を備える、という事だったのかもしれない。
 実際、新選組が結成された当初には、既に芹沢は鬼との繋がりを深めており、富士山麓
での決戦の時には、情報を多数漏えいさせていた。
 芹沢は、『何か』を見て、確かに変わった。
 その『何か』が何なのかは、沖田にも分からない。だが、芹沢は、沖田に斬られた時に
は、すでに以前の芹沢ではなくなっていた。
 恐怖からくる畏怖と、それらの影響を受けたと思われる選民意識と、意識過剰な態度。
 それは、もはや沖田の知っている芹沢ではなかった。
 鬼を目の前にしても決してひるまず、逆にその顔を鉄扇でぱたぱた扇ぐ豪快さを備えた
芹沢では。
 沖田は、芹沢を斬った。始めて人を殺した、と実感した戦いであった。不思議と、恐怖
や嫌悪は感じなかった。
 どこか、夢でも見ているような、そんな感覚だったのを今でも良く覚えている。
 しかし、沖田に芹沢を斬る決断をさせたのは、芹沢が以前と全く変わっていたからだっ
たかもしれない。
 器使いの掟は、全ての器使いにあてはまり、例外はない。沖田も、もし芹沢のようにな
れば、仲間から追われる事となるだろう。
 土方さんは、そんな風になった時、俺を殺そうとするだろうか……。
 沖田は、そんな漠然とした事を考えたりもした。だが、そんな事は、考えても、詮なき
事だった。彼は彼で、自分の信じた剣の道を行くだけだ……。
 
「俺は、そういう訳にもいかねえ。新選組の内部には、色々と意見の相違もあるしな。伊
 藤先生や、山南さん、藤堂、武田あたりは、どちらかというと、鬼との共存を望んでい
 る。それに対して、斎藤、永倉は中立。そして、俺や近藤さん、左之助は、徹底交戦を
 貫こうとしている。近藤さんは、隊をまとめる意味でも、全ての隊士に対して公平じゃ
 なくちゃならん。だから、俺は隊の分裂を防ぐためにも、ただ剣が強くなればいい、と
 いう訳にはいかない。」
「隊の規律を厳しくするつもりですか?」

 沖田はそう聞いてみた。隊が割れるのを防ぐには、そうするのが一番手っ取り早い。
 だが、そんな沖田の質問に、土方は笑いながら答える。

「俺が御先祖の二の轍を踏む訳にはいかねえだろ。お互いに折り合いをつけて繋がってい
 ないと、これからの戦いでは生き抜いていけない。自分達の信念のみを貫いてどうにか
 成る程、事は小さなものじゃなくなっている。仲間割れなんて、とんでもねえさ」
「鬼切役と、共闘するんですか?」
「……そうだな。そういうのもアリ、か。山南さんや伊藤先生は祝杯挙げるだろうな。俺
 も、頼光四天王だけならまだしも、上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)や、塚原卜伝
 (つかはらぼくでん)とか、伊藤一刀斎(いとういっとうさい)……そんな剣聖と言わ
 れる奴や蒼真のような本物の化け物まで敵に回したくねえ。」
「聞いた事があります。剣聖……八部衆と同等以上の力と剣技を持つ、旅の剣士がいると」
「そんなやつらと戦う訳にもいかねえ。かといって、鬼切役と手を結ぶのも、何となく癪
 に触る。ま、そんな訳だから、お前には、まだまだ頑張ってもらうぜ、総司」

 土方は、そういうと、意味ありげに、沖田ににやり、と微笑みかけた。

 土方さんは、いつも俺の一歩先を見ている。

 沖田はそう考える時がある。この時もそうだ。
 土方は、近藤局長や斎藤と共に、他の隊士達の先を読んでなにやら動いている。それは、
沖田達には分からない所で進んでいる。
 沖田自身は、戦闘力としては優遇されてはいても、こういった政治的な駆け引きにおい
て重用される事はまずない。
 それが沖田 総司という一人の若者には、ある種の寂しさも感じさるものでもあった。
 新選組の副長として、局長を支える立場にある土方。
 立場の上では、総長である山南が二番目だが、山南はあの性格だ。土方が、どうしても
厳しくならざるを得ない。
 
(ほんとに鬼にならないでくださいよ、土方さん)

 沖田は、そう思わざるを得なかった。

「おなかすいた!!」

 ……と、すこし真面目になりかけた沖田の背中から、元気な声がした。

「うわっ、ほ……穂乃香さん」

 穂乃香が、河原で仁王立ちしている。
 お腹がすいて、気が立っているようだ。

「おなかすいたの。総司くん、なにかもってない?」
「いや……何か、と言われても」

 苦笑いの沖田。彼はまだ稽古中だ。

「ここのホテルって、朝ごはん朝八時からなのよね。我慢できなくなっちゃってさあ。も
 う、どうなってんのよう。普通、朝食って言ったら、六時には準備始めなきゃ!」

 そんな事を言われても困る。っていうか早すぎる。

「いや、まだ稽古中だし、まさか、朝食を準備してくるなんて考えてなかったし……」

 人の良い沖田は、真面目に対応して、返答に窮している。
 
「あ、そうだ、そう。おにぎり作ろう、おにぎり。厨房にいけば、少しくらいならごはん
 分けてもらえるカモ。さ、行こう行こう」
「いや……ちょっと、そういう訳には」
「なによう、それ以上強くなっても、周りから嫉妬されるだけだって。いこいこ」
「勝手な事言ってんじゃねえっての。アホかお前は」

 左之助が、沖田に助け船を出してきた。

「あ、現われたな、バカ助」
「さ・の・す・け・だ!」
「どっちでも良いわよ」
「よくねえよ」
「うわ、左之助、汗くさっ、近寄るな」
「ほっとけ! この食欲大魔神」
「ああ、左之助さん、おにぎり持ってません?」
「持ってるワケねえだろ、総司」
「じゃあ、作りにいこうよバカ助」
「行かんでいい!」

 何故か左之助と穂之香がいると、辺りがうるさくなる。

「本当にうるさいわね、もう」

 全く穂乃香と同じ声が、穂乃香の後ろから聞こえてきた。

「あ、沖田さん、左之助さん、邪魔しちゃってごめんなさい。穂之香、すぐに引っぱって
 いきますから」
「あ、ちょっと、おねえちゃん! やめてよう」
「おう、ご苦労さん、沙耶香ちゃん」
「こら! ご苦労さん、じゃないでしょ!」
「はいはい、あと少し我慢しようねー、チョコレートあげるからねーほのかー」
「にゃー! 離せ離せー! あっ、こら、手振るな、このバカ助ー……」

 じたばたと暴れながらも、沙耶香に襟首を引っぱられて、ホテルの方へと連れられてい
った。

「まったく、うるせえよなあ」
「でも、辛気くさくなるよりは、よっぽどいいですよ」
「ま、そりゃそうか」

 鬼と戦い、生きるか死ぬか、という一線を生き抜いてきた彼等にとって、彼女達は、良
い活性作用を生んでいるようだ。

(土方さんは、俺が、新選組のために死ねる奴だと言った。……だけど……俺は死ぬため
 に剣を振るいたい訳じゃないんだ……できれば……何かを守るために……)

 沖田は、木刀を置き、自分の愛刀を取り出すと、速やかに構え、素早く抜きつけ、気合
いと共に刀を一振りする。

「お、いい太刀筋だな」

 左之助は、素直に褒めた。が、沖田は、その声には気がついていないかのようだ。

「……ん? どうした、総司」

 沖田は、その刀身を見つめていた。
 自分の瞳が写り込んでいる。
 しかしそれは、曇った霧の向こうにあるかのようだ。

 彼は、剣に生きるべき本当の理由を、まだ見い出せていないような気がしていた。
 ふと、柊 誠の顔が脳裏をよぎる。
 彼は……鬼切りとまで呼ばれ、土方に気に入られた彼は……何のために戦っているのか。
 その答えは、出る事はなかった。


←『11』に戻る 『13』に進む→
↑小説のトップに戻る。