『13』


 誠達が穏やかな朝を迎え、騎士達が鬼を討ち払い、新選組が朝稽古に汗を流しているそ
の時、都心のとある高層ビルの上層部より、火の手があがっていた。

 まだ朝も早くの気配もまばらではあったが、火の上がるビルを見上げた者達は全て驚愕
の表情を見せた。
 燃え上がるビルの周りには、多数の鬼の存在が確認できたからだ。
 燃え上がるビル内でうごめくもの、ビルの上空を舞うもの。
 数多くの鬼が、まるで黒い雲かのごとく寄り集まっている。
 そして、その黒い雲の切れ目から、一人の男とおぼしき存在が確認できた。
 だが、それを見た者は、誰もそれが人間とは思わなかっただろう。
 その男の額には、白い角が突き出ていたからだ。

「よりによって、あのビルか」

 そう愚痴を零したのは、鬼の出現を知らされて叩き起こされた、陸幕、山本 勘助(や
まもとかんすけ)である。

「いったい、政府は何を考えている。ただ戦車を出しただけで事がどうにかなるとでも思
 っているのか。四年前の富士山麓での戦力の大幅減退から、政治家どもは何を学んでい
 るのだ」

 山本は、手早く自室で制服に身を包みながら、さらに愚痴る。
 その四角い顔は怒りで皺が寄っているが、齢六十になるとは思えない艶のある、健康そ
のものな肌をしていた。

「鬼が出て来たから出動、だと? 鬼が出て来るまでの予防と戦略は? 都心の防衛と戦
 術は? 混乱の沈静化対策と被害者への補助は? なにもまだ法整備ができておらん! 
 政治家は、選挙と面子しか興味がないらしい。こと戦争となれば、根性や気合いや運で
 は、どうにもならん」

 そうぶつぶつと言いながら、宿舎の戸を開けようとした矢先、山本の携帯が鳴った。

「はい」

 彼は自分の耳に携帯をあてた。
 この時代、立体映像を出せる事は前述したが、山本は、声だけで充分、と、その機能を
使っていない。

「おはようございます、山本さん。武田です」

 落ち着いた、中年の男性の声がする。

「これは……武田長官」

 山本に電話をかけてきたのは、現防衛庁長官、武田 晴信(たけだはるのぶ)であった。

「……始まったみたいですな、長官」
「……ええ、村岡が何をやらかしていたかは分かりませんが、鬼が出てきた事で、ある程
 度の察しがつきました」
「……それで、今頃出動ですか。もっと、自衛隊が自由に動けたら、このような事にはな
 らなかったのでは?」

 山本は、不平を漏らす。
 この時代になっても、自衛隊は、日本が守り続ける平和憲法の元、原則として、先制攻
撃と、それに準ずる威嚇行為を全て禁じられている。

「……山本さん、私は思うのです」

 武田長官は、静かに話し始めた。

「自衛隊は、自衛隊だからこそ、自衛隊でいられるのだと」
「……よく分かりませんな、仰っている事が」
「自衛隊は、平和憲法の元では、矛盾を孕む存在です。武力の行使を放棄しておきながら、
 毎年国民の税金を使い、使い物にならない兵器を作り、それで結局は、他国を威嚇する
 手段をとっている……」
「そうです。ならば、もっと憲法を緩和し自由に動けるように、自衛隊に武力行使の権限
 を許すべきです。そうすれば、国民の血税を無駄に使う事もなくなるでしょう。鬼の脅
 威から、国民を守るのにも、もっと自由な展開ができる」
「そうなれば、自衛隊は、軍隊と何も変わりませんよ。陸将、私は思うのです。そういっ
 た中ぶらりんの中で、国民が自衛隊とその存在を認識し、それが何であるかを考えるの
 が大切であると」
「相手は鬼ですぞ。国同士の諍いならいざしらず、自衛隊の理念をここに持ち込むべきで
 はないのではありませんかな」
「長い平和の中で、人々は戦争を忘れてしまった。悲惨な思い出は風化し、幼稚な戦争ご
 っこがもてはやされるようになってしまった。そうなった時に、戦争というものを実感
 できるのは、兵器と兵士、それらの集まった軍隊でしかないのです。しかし、それらは
 戦争の恐ろしさを知らない世代には、漫画やアニメの延長のようにしか感じられない。
 だが、そこに、平和憲法と、それに矛盾する自衛隊があれば、その矛盾から、戦争や平
 和に関して、考える土台が生まれる。それが、今の日本国民には、必要なのですよ。矛
 盾を孕んだ、自衛のための軍隊、というものが。例え相手が鬼であっても……」

 山本は唸ってしまった。長官の言う事は正しいのかもしれない。だが、自衛隊がそれに
縛られ、自由に動けなかったばかりに国民を死なせているちう現実も、山本の身近にはい
くらでもあるのだ。

「……今、自衛隊の何たるかについて、議論している余裕はありませんな。この話題はま
 た後ほど。長官、我々は火災のあったビルへと向かいます」
「……頼みます。無理を言いますが」
「何をおっしゃいます。悪党であってもそれが国民であれば、それを守るのが自衛官の勤
 めですからな」

 そう言って携帯を切った山本は、空を見上げて呟いた。

「……蒼真君の言っていた通りだな。まったく政治屋どもめ。……おそらく今ごろは彼等
 が向かっているだろう。我々も準備を急がねば。でなければ、重要な参考人をいたずら
 に失う事になりかねん」

 自衛隊員の敬礼に迎えられ、山本は足早に宿舎を後にした。

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「何だ、生きているのか? 運のいい奴等だな」

 愉快そうにつぶやきながら、鬼武は火による熱で割れたガラスの窓からはるか下を覗い
ていた。
 彼が覗き込むその下では、ビルの出入り口とおぼしき所から、数人の人間が腰を抜かし
て四つん這いで逃げ出していた。
 不必要に肥え太った腹を擦りながら逃げ惑う男達は、先ほど鬼武とその主、紅葉によっ
て会議も立場すらも潰された者達であった。

「豚か奴等は……腹が減っている事だろう。さあ、行ってこい」

 鬼武は苦笑しながらそう言うと、近くの鬼に指図した。
 すると、鬼達が歓声のような叫び声を上げて、ビルから次々と飛び下り男達へと滑空し
ていった。
 男達が悲鳴を上げて、四つん這いでばたばたと逃げまどう。
 その姿には、円卓を囲んで、偉そうに紫煙をたゆらせていた面影など、微塵も感じない
ものだった。
 元々、この男達が招いた事であるから自業自得、というものだが、それにしては哀れな
表情で、鬼の姿に顔を強ばらせた。
 鬼が何体も着地する音が、不規則なリズムで聞こえる。
 男達は、自分の死を感じた。恐怖が、体を動かなくさせる。
 鬼の咆哮があたりに響き、囲んだ数人の男達に群がった。
 男達が悲鳴を上げて、失神したその時。

GYAAAAAAAAA!!

 数体の鬼が、一遍に、胴体を切り離されて、土塊のように消えた。
 鬼が、仲間の姿に動揺し、殺気を感じた方角を見る。

「これ以上の愚行は、私が絶対に許しません! この、源頼光春菜(みなもとのらいこう
 はるな)がお相手致します!」

 鬼が視線を向けたそこには、一人の少女がいた。まだ、二十歳にもなっていない事は、
そのあどけない表情からも推測できた。
 だがその体は、朱色を基調にした武者鎧を纏い、その上から陣羽織を羽織るという凄い
出立ちである。
 そして、その周りに漂うものを見て、鬼達が一斉に怯んだ。
 器使いの淡白い光を纏った複数の刀。器使いである事は、一目瞭然であった。
 源頼光春菜と名乗った少女は、気合いと共に、鬼に切り掛かった。刀を振るう度に、長
い、三つ編みにされた黒髪が、風に美しく靡く。
 漂う複数の刀は、春菜が両手に持った刀が振るわれる度に縦横無尽に動き回り鬼を切り
刻んだ。
 そして、鬼の体が土塊に変わる。鬼が何体いようが関係なく切り刻む。
 鬼はその旨そうな少女の肉体を求めて群がるものの、紙一重で躱しては次々に、一撃で
斬り殺す。
 まさに、百戦錬磨の腕であった。

「どうしました。まさか、これで終わりですかっ。さあ来なさい! 全て、この神殺しの
 剣、十握剣(とつかのつるぎ)の餌食にしてあげます!」

 彼女は、柄の長さが通常の五倍はあるかという、奇妙な剣を振り回す。
 鬼達は、彼女の戦闘力に驚いているようにも感じられた。
 人間でありながら、わずか数秒の間に、十数体の鬼が倒されてしまった。
 鬼は標的を変え、腰を抜かして気を失っている者達へと視線を向けた。
 そして、食い掛かろうとした時、それらの鬼の首が吹き飛んだ。

「銘を金時、名を坂田 淳也(さかたじゅんや)。覚えておけ」

 眉目秀麗な若者が、柄の長いポールアックスを担いで、ビルを見上げながら静かにそう
呟いた。
 その体は、黒を基調とした鎧と陣羽織で包まれていた。

「ナイスです! 淳也!!」

 びしっ! ……と親指を立てて、淳也に語りかける春菜。
 淳也は、さして何も感じていないかのように頷いただけだった。
 春菜は淳也に頷き返すと、黒煙の上がっているビルを見上げた。
 まだあどけない、茶色の瞳が鬼武の銀色の瞳と合う。

「……ほう……、八部衆のお出ましか。蒼真の差し金だな……面白い」

 鬼武はにやり、と微笑すると、両手を横に差し出した。
 するとそこに、何か弾けるような音と共に、光る目をした獣が数体現れた。

「お手並み拝見といこう、鬼切役よ。……この『鎌鼬(かまいたち)』でな」

 鎌鼬は鬼武の手を離れると、凄まじいごう音を奏でながらビルの外壁をことごとく破壊
する。
 そして凄まじい早さで、春菜と淳也に迫る。
 鎌鼬の体の周りには、真空の壁と、衝撃破に守られているようだった。

 二人が一瞬にして飛び退くと、彼等がいた、アスファルトの路面が、まるでクレーター
のように抉れてしまっていた。
 巻き込まれた鬼数体が悲鳴を上げ、ついでに、気を失った男達が、涎を垂らして一緒に
吹き飛ぶ。
 その内数人が鎌鼬の突風に巻き込まれて肉片と化す。
 鎌鼬は、縦横無尽に飛び回った。
 その度に、そこにある物全てが粉々に破壊された。

「なんですかあれ! 全然十握剣でも間合いが届きません!」
「……まかせろ、春菜」

 地団駄を踏む春菜に淳也はそういうと、切れ長の目を輝かせて、鎌鼬と対峙した。

「……来い、化け物」

 淳也がポールアックスを構えると同時に、複数の鎌鼬が淳也に向けて突進してきた。

「……空穿斬(くうがざん)!!」

 そう叫びながら淳也が鎌鼬と交差すると、鎌鼬が、苦しそうに呻いて、四散した。

「……残念だったな。」
 
 淳也はそう呟いた。

「この鉞(まさかり)は器の力と相まって、辺りに真空の刃を作り出します。なのでそれ
 により鎌鼬の攻撃は相殺され無力です!」

 そう言って鬼武をびしっ、と指差しながら、再び春菜が鬼武を見上げる。
 彼女が大きな声で喋る度に、まるで尻尾のように、三つ編みがふりふりと揺れる。

「なるほどな。さすがは天竜八部衆。その名は伊達ではないと言う事か。紅葉様への手み
 やげにはちょうど良い。」

 そう言って鬼武が、ビルから飛び下りようとした時、凄まじい『剣気』が、鬼武の体を
襲った。
 まるで突風のように過ぎ去った圧力に一瞬怯む。

「何……何だ、この強烈な剣気は」

 鬼武の動揺を見て取った春菜が微笑し呟く。

「あなたが戦うのは、私達だけではありませんよ」

 鬼武が割れた窓の方からビル内のドアの方に目を向けると、数多くの鬼の悲鳴と共に、
気配がすぐそこまで、ゆっくりと歩みを進めているのが分かった。

「……そうか……この強烈な剣気は、間違い無い」

 鬼武は、そう言って、腰の太刀を抜いた。

「鬼切役と同等かそれ以上の力を持ちながら、あえて指導する立場にはつかず、廻国の者
 となって鬼を倒している者達がいると聞いた事がある」

 鬼の死体が数体、ドアや壁をぶち破って、鬼武の側で転がる。
 鬼の死骸の後ろに現れたのは、一振りの日本刀を持つ、長い黒髪の青年だった。
 精悍な、日本刀を思わせるような眼光が、鬼武を貫く。
 鬼武は、隙無く構えながら、そこから現れた黒い長髪の青年を睨み付ける。

「……まさか貴様が来るとはな。剣聖……確か名は、上泉伊勢守秀綱(かみいずみいせの
 かみひでつな)と言ったか。ふっ、まさか『守』を持つ者が今の時代にいようとはな。
 世襲され、遺伝子を受け継がれ、そして今に蘇ったか」

 上泉は、ただ静かに刀を構えて、鬼武の正面に立つ。
 鬼武も、静かにそれを迎える。
 一見穏やかなやり取りだが、そこには、凄まじい殺気と剣気が辺に立ちこめている。

「……貴様が鬼武か。その首……貰い受けるぞ」

 上泉は、静かに、そう言い放つ。
 鬼武は、その言葉に不敵に微笑し、面白そうに再び上泉を睨み付けた。


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