『14』



 鬼が、鬼武のいるビルから、次々と離れていく。まるで、そこにいる何かを避けるかの
ごとく。
 その場所は、分かる者であれば鳥肌が立つような、強烈な剣気で満たされていた。

「……始まりましたね……行きますよ、純也」

 春菜は、純也を促すと、鬼が群れるビルの中へと消えていった。
 そして、そのビルの数十階上では、鬼武と、上泉伊勢守秀綱が睨みあっていた。

「剣聖か。サムライという存在が忘れ去られて千年が経とうというこの時代に、まだ剣の
 道を極めようという者が残っていようとはな」
「私もその昔に聞いた事がある。日本を震撼させた鬼神、紅葉の忠実な部下にして、一騎
 当千の戦鬼がいると。それがお前か、鬼武。」
「俺達がこの世界を離れてから……この日本という国は大きく変わってしまったようだな。
 人々は戦う事を忘れ、便利という名の不自由に体と人生を縛られ……そんな貧弱なヒト
 が、果たして、俺達に通用するのかどうか。……俺がこの手で確かめてやろう」

 鬼武が、すらりと太刀を抜いて伊勢守に向かって構えてみせる。

「抜け、剣聖。お前の剣技を見せてもらう」

  伊勢守は、静かに刀を抜くと、鬼武を見る。

「人間という生き物は、色々な喜びと悲しみを背負い、そして進化していくものだ。お前
 達がのうのうと異世界で怠惰を貪る間、我々は数多くの試練を乗り越え、そして生き残
 ってきた。数多の命の犠牲の上に成り立つ我々の存在。お前達が考えるほど、ヒトは弱
 いものではない」
「我々が怠惰を貪っていたというか? この千年以上もの間に練られ鍛えられた剣の技、
 貴様の血潮似てその強さを証明するとしよう」

 言うが早いか、常人には目にも移らない速さで、二人の刀が交差した。
 鬼武が横に薙ぐ剣閃を、上泉が上段からの降りおろしで対抗した……と、常人にはそう
移っただろう。お互いに動きが止まった時に、お互いがそのような格好だったからだ。
 刀が交わされた空間で火花が無数に飛び散り、そして、今までいた場所を一瞬で互いに
入れ代わる。
 上泉は切っ先が自らの目の高さになるくらいで刀を構える。
 切っ先がちょうど、鬼武の目線の高さと合い、その切っ先が、鬼武を威圧する。
 鬼武は、その右腕に、軽い切り傷を作っていた。

(新陰流一刀両断……危なかった。一瞬の引きと攻勢に合わされた)

 ここで使われる一刀両断、とは、文字どおりばっさりと叩き斬るのではなく、一瞬の引
きと、相手の攻防の隙をつき、緩急を心得た攻撃で相手を仕留めるものだ。上泉は、体を
一瞬引いた所に飛び込んできた鬼武の剣撃の隙を、見事についたのだ。
 鬼武は、キッ、と、伊勢守を正面から睨み付ける。
 
(変幻自在、型にはまらぬ川の流れのような剣技。確か、上泉の使う剣術は、そのような
 ものだったか)

 鬼武は、下段正眼から、水平に刀を構えなおし、伊勢守に居直る。

「行くぞ! 上泉伊勢守秀綱!!」

 気合い一閃、伊勢守に攻勢をかけた。
 鬼武が刀を横に薙ぐ刹那、伊勢守はその懐に飛び込んで、相手の剣の柄ごと腕を押さえ、
そのまま横にひねった。
 すると、鬼武の体が簡単に一回転して床に叩き付けられる。

「ぐ……馬鹿な」

 そう言って立ち上がった瞬間、二人の立っていたその場所が、今の振動が原因か崩れ落
ちた。
 下の階は、数階層吹き抜けのロビーのようになっており、二人はそこを落ち、静かに着
地した。
 回りを見渡した鬼武は、愉快そうに言う。

「ふ……ここならば、存分に戦えそうだな」

 そう言うが早いか、鬼武は上泉に踊りかかった。
 鬼武の下段からの斬り上げを、上泉は半身で交わして切っ先でいなすと、そのまま水平
に刀を向けて鬼武の刀を押し下げて自分の体ごと、肩で体当たりを食らわす。

「ちぃっ!」

 切っ先を下に向けたままで押し込まれた鬼武だが、そこから下段斬りで上泉の足を狙う。
 が、上泉は涼やかにそれを下段でいなすと勢いそのままに鬼武の刀を振り上げる。そし
て、できた腰の隙に一撃を見舞おうとする。
 鬼武はそれを身をひねって躱すと、降りおろされた上泉の背の隙に一撃を見舞おうとし
た。
 誰もが決まったと思われたその一撃だが、上泉は、咄嗟に刀を回転させて背に担ぎ、上
段振り降ろしを見事に防ぐ。
 ぎいん!
 と、鋼と鋼がぶつかり合う音と共に火花が散る。
 上泉は、そのまま体をひねると、担いだ状態から舞うように上段に振り降ろす。
 その剣撃を落ちついて紙一重で鬼武は躱すと、その剣先で上泉の剣撃をいなすが、そこ
に飛んできた上泉の蹴りが鬼武の体にヒットし、勢いそのままに鬼武の体は吹き飛ばされ
る。

「ぐっ!」

 ロビーの柱に叩き付けられて、思わず声を出す。
 だが鬼武は表情を歪めながらも、ばっ、と、上泉から飛び退って体制を整えた。

「強いな……」

 鬼武は、にやり、と微笑する
 上泉は、相変わらず涼やかに鬼武を見つめ、正眼に構えなおして微動もしない。

「腕ならしはここまでだ、鬼武。……そろそろ本気でいくぞ」
「何?」

 鬼武がはっと思ったが遅く、一瞬にして間合いに飛び込んできた上泉の剣撃を間近で見
る事になる。 
 凄まじい足の速さで、一瞬のうちに鬼武との距離を詰めたのだ。
 上泉の剣撃が見事に鬼武を捕らえた……と思った瞬間、鬼武の姿が忽然と消えてしまう。
 上泉が驚いて剣撃と止めたが、その背中に現れた鬼武の刀の切っ先が、彼の背中をとら
えた。
 上泉は、その足のバネで前方に飛ぶ事で致命傷を避けた。
 が、その背中には鬼武の斬撃の後が、生々しく刻まれていた。

「……今のは……一体」

 上泉は、自分の背中の傷が大した事ではない事を確認すると、鬼武に向き直る。

「……今のが、新陰流、猿飛の術か。流石に胆を冷やしたぞ。……だが」

 鬼武は、にやりと再び微笑して言う。

「俺もそろそろ遊びは終わりにする」

 再び刀を構え直した鬼武が、またもや、上泉の視界から消え去った。
 そして、気配を察知したその時には、すでに後ろに回られていた。
 上泉も一瞬にして飛び退って一撃を躱すものの、またもや視界から鬼武の姿が消えてし
まう。

 おかしい。

 そうは思ったものの、一瞬にして姿を消してしまう鬼武を上泉はどうしてもその目で追
えない。
 いままでたくさんの戦いに身を投じてきて、ただの一回も、敵の姿を見失うことなど無
かった。
 だが、実際に鬼武は、一瞬のうちに消えてしまう。
 まさに、「消える」のだ。バネを使って飛ぶ時などは一度しゃがむし、また走り出す時
も、一瞬だが前方に体を屈めたり、後ろに反ったりする。
 だが、鬼武の消える瞬間には、そのような動作が、一切ないのだ。

「むっ……!!」

 上泉は自分の下方に現れた気配を察知し、下段で鬼武の刀を受けると、そのままいなし
て後ろに下がった。

「ほう、さすがだな。この俺の《瞬天》を食らって、傷がその程度で済んでいる者など始
 めてだぞ」

 上泉は、じっと鬼武を見つめて考えていた。

(生き物の全ての動作には、初動がある。それと分かる、動作の兆候があるものなのだ…
 …だが……なぜそれを感じない? 何故『消える』?)

 上泉は、じっと鬼武を凝視する。
 そんな伊勢守をあざ笑うかのように、鬼武は刀を構えると、またもやその姿を消した。

「どこを見ている、剣聖」

 その言葉は、伊勢守の右下から聞こえてきた。
 鬼武の斬撃が、伊勢守の右腕を捕らえる。
 上泉は再び飛び退ると、その斬撃を、かすり傷程度におさめる。
 
「お前には、決して俺は見えはせん。……その首、頂いていくぞ。お前の首を取って帰れ
 ば、紅葉様も、さぞお喜びになるだろう」

 お互いが対照的な表情で構え直した時……

「伊勢守さま!!」

 春菜と純也がその場所に現れた。そして傷を負っている上泉を見て、春菜が唖然とする。
「まさか……伊勢守さまが圧されているなんて」

 信じられないといった表情で、鬼武を見る春菜。

「そこで少し見学しているがいい。お前達とは、後で遊んでやる」

 そう言うと、またもや、上泉の視界から、鬼武が消える。
 そして、いきなり現れる。
 一瞬の斬撃を、そ経験からすべて紙一重で躱していく上泉。
 そんな姿を、やはり信じられないような表情で見ていた春菜が上泉に向かって叫ぶ。

「伊勢守さま! 何故攻撃しないのですか!」

 それができれば……、と思った瞬間、上泉は、はっと、ある事に気がついた。
 
(まさか、源や坂田には、この男の姿は見えているのか……まさか……そうなのか)
「どうした剣聖! 貴様の実力は、この程度か!!」

 飛び込んできた斬撃をひらりと躱すと、上泉は正眼に構える。

「終わりだ! 上泉伊勢守秀綱!!」

 鬼武が、かっと、目を見開く。
 そして、構えて消えようとする瞬間、春菜と純也が驚いた表情になる。
 上泉は目を瞑ったのだ。

「……!」

 その時、鬼武に明らかに動揺が走った。
 あまりにも無防備にも関わらず、だ。
 そして。

 どんっ

 という手ごたえと共に、上泉の切っ先は、見事に鬼武を捕らえた。

「ぐっ!」

 肩から鮮血飛ぶ。
 上泉の一撃はしっかりと、消えたはずの鬼武を斬ったのだ。

「……やはりそうか。お前の《瞬天》……。あれは、《二階堂平法》の応用だな」
「貴様……」
「お前の構えを見たときに気が付くべきだった。」

 鬼武の表情が、厳しくなる。

「二階堂平法?」

 春菜が、聞き慣れないその言葉に首をかしげる。

「そうか、あの《二階堂平法》か……」

 絢也は、得心顔で、鬼武を見る。

 鬼武は、傷を押さえながら、上泉を睨み付けた。
 さしずめその表情は、トリックを見破られた手品師のようであった。


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