『15』


 二階堂平法。
 戦国時代、松山主水(まつやまもんど)という兵法家が始めたものだと言われている。
 源頼朝が鎌倉に幕府を開いたその時代、藤原行政(ふじわらのゆきまさ)という人物が
頼朝に仕えた。
 彼は、『政所令(まんどころれい)』という職につき、行政を二階堂という場所に設け
た事が元で、彼は二階堂姓を名乗る事になる。
 この二階堂家は、文事、武将を数多く輩出し、名門として、関東、北は陸奥出羽、長門、
伊予、薩摩へと、その末流は根をおろしていく事となる。
 後の室町時代の美濃に、松山刑部正定(まつやまぎょうぶまささだ)という者がいる。
この二階堂家の家系とされる人間だ。
 美濃の松山を根拠にした所から、松山姓を名乗るようになった者だ。
 この一族に、松山主水がおり、彼が鎌倉の禅宗を学び、そこから中条流を起す中条兵庫
助長秀(ひょうごのすけながひで)と共に剣を学んで起したのが、二階堂流だと言われて
いる。
 中条長秀と松山主水は、同じ評定衆という役職にあり、共に学んでいたのだという。
 その構えには、一文字、十文字、八文字の型があり、その三つを合わせると『平』の漢
字になるから、『平法』と呼ばれる。
 また、『タイラグル法』とも呼ばれ、『タイラグル』とは、世界を表わしている。
 この『平法』、応神天皇の古き時代、百済(くだら)より王仁(わに)という人物が漢
字と共に伝えたとされるもので、『世の中を平ぐる法』、政治の行いが書かれていたもの
であると推察される。
 松山主水は、この『平法』の知識を有しており、それを剣技名として役だてようとした
のだろう。
 つまり、『剣技において平ぐる』……様々な剣技において、実力のある者が使えば、オ
ールマイティに戦えるものだという事だ。
 本来、剣術を含む戦いを体系化させたものを『兵法』と呼ぶのだが、そこをあえて『平
法』と呼ばせる所に、なかなかにへそ曲がりな所が感じられる。
 この二階堂平法には、まだ秘密があり、『心の法』という奥技があるという。
 これは、相手を居すくませて金縛りにするもので、《撃剣叢談》によれば、『また、心
の一法とて、敵を働かさせざる伝あり』とある。
 一種の催眠術のようなものだ。
 剣術が剣道となり、スポーツとして正々堂々などと言われ始めたのは明治以降だ。それ
までは、果たし合いや試合といえば、生きるか死ぬかであり、あえて戦わない事も、武術
家として大切な事だった。
 宮本武蔵も、あえて弱いと思った者としか戦わなかったという。
 それは生きてこその兵法家であり、生きて勝ち続ける事こそ、何よりも当時の兵法家の
間では大切だったからだ。
 死んでしまっては、兵法伝播、などとは言っていられない。
 名のある者と戦うという事は、確かに重要ではあるにせよ、いたずらに自らを傷つける
事は、兵法家としては愚の骨頂だ。
 それを考えると、人を居すくませる『心の一法』は、非常に有効な手段だったのだ。

 さて、鬼武、という鬼が、いつどこでこの『心の一法』を拾得し
たかは定かではないが、二階堂の催眠術を自らの剣術に応用した事は確かであるようだ。

「『心の一法』は相手を金縛りにさせるものだと思っていたが、お前の使うものは、そこ
 から、さらに精度を高めたもののようだな」

 上泉が、静かに言う。

「相手の目を見る事でその視覚情報を狂わせてしまうとは、凄まじい眼力だな。……まさ
 にその銀の目は魔眼か」
「魔眼か……確かにな。しかし、その魔眼を受けて、なおここまで戦えるのは貴様だけだ
 ろうな、伊勢守よ……だが!」

 ひゅっ、と、再び、鬼武の姿が消える。それは、春菜や純也にもそう見えた。

「き……消えた!?」

 春菜が驚くが、純也が落ち着き払って言う。
 
「あれが、『心の一法』だ」

 ぎんっ、と、白刃がきらめいて火花を散らす。

「ちぃっ!」
「……鬼武、もうお前の術は、この私には効かない。そもそも催眠術の類いは、相手に種
 がばれてしまっては使えないものだ。……まして、精神的に私を追い詰める事など絶対
 に不可能」

 上泉が刀を振るうと鬼武の刀とぶつかり合い、大きな音と、そして火花が辺りを照らす。
 鬼武は、その斬撃の鋭さに手を痺れさせる。

「人を守るために、そして何かを成し遂げるために振るう剣術。欲望と勝利と殺しのため
 に振るう殺人刀ではなく、誰かを守り、そしてその想いを後世に伝える剣……それこそ
 が、活人剣の極意」

 その時、その場にいた者には、上泉の体が、ふわりと浮いたような気がした。
 そして、その瞬間衝撃が走り、鬼武の体が宙に舞った。

「ぐあっ……な、なんだと!」

 空中で体制を整えるものの、すぐ近くに気配を感じ、身構える鬼武。
 だが、それよりも一瞬速く、上泉の斬撃が鬼武を襲った。
 瞬時に刀で致命傷は防ぐものの、勢いを押さえられずに飛ばされる。
 そこに、再び伊勢守が、まるでそこにバネでもあるかのように、軽々と壁、柱などを足
掛かりにして飛びながら、再び鬼武に迫る。

「……逝け」

 そう言ったかと思うと。一瞬の斬撃。
 そして、轟音をたてて床に叩き付けられ、バウンドしながらビル壁に叩き付けられる鬼
武。
 そこにふわりと着地する伊勢守。
 がらがらと音をたてて、鬼武にビル壁の破片が降り積もる。

「……あ……あれが……《燕飛》…!」

 春菜が、驚きの表情で、伊勢守を見る。

「ヒット・アンド・アウェイ。まさに神速。攻防一体の攻撃だな」

 純也が、表情を変えずに、静かに言う。

「《エンピ》は、《猿飛》と書く事もあれば、《燕飛》書かれる事もある。一瞬にして飛
 び、相手の間合いを侵略し、斬撃の後に間合いから一瞬にして飛び退る……それが、こ
 の技の神髄だ」

 上泉が、瓦礫と化したビル壁に近付く。
 すると、そこから、異様な気があたりに立ち篭め始める。
 伊勢守が眉をひそめたその時、ビル壁の瓦礫の中から、青白いスパークが発せられて瓦
礫を吹き飛ばす。
 そして、中から、鬼武が、怒りの形相で現れた。
 今までの彼と違っていた事は、そのニ本の白い角が、まるで電気を帯びたかのように青
白くスパーク現象を起こしていた事だ。

「おのれえぇぇっ! たかがヒトごときがつけあがりおって! 遊びは終わりだ! 貴様
 ら全員、灰にしてくれるぞ!」

 鬼武が雄叫びをあげると、放電現象が辺りに発生し、鬼武を包んでいく。
 放電が雷のごとく春菜と純也を襲い、二人は間一髪それを回避する。
 伊勢守は、身近に迫るその放電現象に全く臆する事なく、正眼に構えて、静かに相手を
見据えた。

「行くぞ、鬼武」

 そう言うと、伊勢守は、鬼武に向かって飛んだ。
 鬼武も、体に電をまとい、雄叫びをあげて伊勢守に向かっていく。
 そして、二人の刀が交わろうとしたその時……

「何を遊んでいる、鬼武」

 野太い、だが、大変勇ましい声が辺りに響き、上泉と鬼武は彼等の間に割って入った衝
撃で、遠ざけられる。
 そして、そこに現れた者に向かって、鬼武が驚きの声をあげる。

「……く……熊武、貴様……!」

 現れたのは、紅葉の部下の一人、熊武である。
 ニメートル以上は軽く超えているであろうその体躯は、屈強な筋肉の鎧で被われている
かのようだった。
 そして、その左手には、同じくニメートル近いであろう、巨大な大太刀が握られていた。

「戻れ、鬼武。紅葉様がお待ちだ」
「否! 俺はこの男との決着をつける! お前は引っ込んでいろ!」
「それは無理な相談だな……」
「なんだと!」
「鬼武……貴様、紅葉様の御意志に逆らうつもりか?」
「……くっ!」
「鬼武よ、事は順調に運んでいる。貴様の役目は、用済みの連中を片付けて来る事であっ
たはず。いたずらに戦いを欲せよとは言われていないはずだ」
「…………」

 鬼武は苦虫を噛み潰したような表情で、刀を納める。

「……宇治の平等院に、伊賀瀬が入ったそうだ」
「……何?」
「……分かるな、鬼武よ。」
「承知。……上泉伊勢守秀綱。勝負はひとまずお預けだ」

 鬼武の角の放電はいつの間にか治まり、鬼武は平静を取り戻している。

「そう簡単にいくとお思いですか!?」

 春菜と純也が、二人の鬼と対峙する。

「……そう事を荒立てる事もあるまい、天竜八部衆よ。我らも、お前達三人を相手にして
 闘うほど愚かではない」

 そう熊武が言うと同時に、熊武の後ろの空間が、ぐにゃりと歪む。

「……またですか! いったい、何故あんなに簡単に歪みが!?」

 熊武は、にやりと微笑むと、一言、こう言った。

「君たちのおかげだよ」

 そして、歪みの中に、鬼武と共に向かって行こうとする。

「そうは問屋は下ろさん」

 純也が、鬼武と熊武に駆け寄り、その鉞を振り下ろす。
 だが、そこに熊武の姿はなかった。
 純也がはたと気がついたその時には、熊武は純也の右後方で、その刀の鞘を横に薙いで
いた。
 見事に腹に鞘の一撃を食らって、吹っ飛ばされる純也。

(……速い! あの図体でなんて速さ!)

 春菜は、自らの首筋に冷や汗が流れるのを感じた。

「ここで決着がついても面白くなかろう、鬼切役よ。お前達とは、天水村にて決着をつけ
 ようではないか」
「望む所だ」

 上泉が、静かに答える。

「だが……鬼武、そして熊武よ。お前達を打ち倒すのは、我々ではないかもしれんぞ」
「ふっ」

 熊武は、一笑に伏すと、そのまま歪みへと消えていった。

「……行ってしまいましたね」
「ああ。だが、我々が戦っている間、重要人物達の確保は成功したようだ。」

 春菜が下を見ると、生き残った円卓会議の者達が、自衛隊の装甲車に取り囲まれていた。
 そして、何やら言い争っている。

「……き、貴様! この ワタシを誰だと思っている!! 参議院議院の中山 勇作だぞ!」
「ワ……ワシは、篠原だっ……し……知らぬ訳ではあるまい! 弁護士だ! 弁護士を呼
 べっ」
「はあ、それはどうも」

 そこにいたのは、陸将、山本 勘助である。
 どこか、間の抜けた表情で唾をまき散らして喚く男達を見下ろす。

「あなた方には……鬼切役より、身柄確保の要望書が出ております。鬼と結託し、いたず
 らに民心を惑わせたという事でね」
「……な……何を根拠に!!」
「……いや、先日、検察やら公安やらに大量の贈り物が届きましてね。そこには、あんた
 がたの会話の一部始終を記録したディスクがあったんですよ。……送り主は確か……あ
 あ、そうそう、一生さんだ」
「……がっ……い……一生ぃぃぃっ!!」
「お、検察も到着したようですな。おや、公安までいるぞ……我々は、あんたがたを保護
 するのが仕事だ。……さあ、行きましょうか。それとも、ここに留まり食われますか」

 項垂れて連れて行かれる元大物金権政治屋を見ながら、どこか疲れたような気だるさに
山本は襲われた。
 それは、これからの日本の行く末を案じての事だったのかもしれない。

「……向こうも、片付いたようだな」

 いつの間にか、立ち上がってきた純也に、春菜は驚く。

「大丈夫なのですか!? 純也」
「大事ない。どうも手加減されたらしい。……なめた真似を」
「我々は、この都心の守護を、竜より命じられています。感情的になるのは厳禁ですよ、
 純也」
「……ああ……分かっている」

 純也は、どこか不満げながらも、平静を保っている。

「あなたは、どうされますか、伊勢守さま」

 春菜の問いに、上泉は静かに答える。

「私がこうしている間にも、鬼の驚異に苦しんでいる人間は、大勢いる。……私は、そん
 な者を助けるためにも、廻国の者に戻ろうと思う。」
「廻国の者……。昔ならば、武者修行者の事でしたね」
「……日々、これ修行なり。ゆっくりとしていたいが、そうも言ってはいられまい。全て
 は、彼等に委ねるとしよう」

 その言葉に、春菜が頷く。

「そうですね。たぶん大丈夫ですよ」
「……そうだな」

 上泉は、ふっ、と微笑すると、

「では……さらばだ。天竜八部衆、源頼光、坂田金時」

 そう言って、春菜達の前から姿を消した。

「……柊 誠……か……」

 ふと誠の名を口にした純也に、春菜が呟く。

「早く会いたいです」
「撚光からしばらく来るな、と言われているだろう。お前は、ある《少女》にそっくりだ
 から、と……」
「大丈夫です! どんな試練、強敵がいようとも、私は必ず出会ってみせます!」

 春菜は、光基神社の方角を、きっ、と見据えると、胸を張って微笑んだ。

 その時、水波と咲耶が一斉にくしゃみをしたのは、また、別のお話である。


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