『16』


 伊勢守と鬼武の交わす刃の音は、果たして彼には聞こえただろうか。
 天水村や都心で、早朝より鬼との戦闘が繰り広げられる中、水無月撚光は自分の部屋で
様々な端を睨みつけていた。
 端末、といっても、器材やむき出しのコード類が散乱しているという訳でもなく、畳の
敷かれた十畳ほどのその部屋の端で、正座して大きなゴーグルのような物を装着し、何も
ない空間を、突ついたり摘んだり、たまに

「ほほほ……あらあらあら〜……ほほ、いやん」

……とかいいながら、ごつい体をくねらせる。
 傍から見たら、恐ろしく、かつ異様だ。
 それは、障子を開けてその場に入ってきた渡辺にとっても、同じだっただろう。

「……何しとんねん……撚光」

 その呼びかけに、撚光はゴーグルをつけたまま少しだけ顔を上に上げただけで、また正
面を向いて、何もない空間を突つき始めた。

「おーい、よりみつぅ」
「うるさいわね、綱。今イイトコなんだから、あんまり話しかけないでよ」
「朝っぱらから訪ねてやったっちゅうのに、何ちゅういい草やねん」
「……おはよう、綱。これでいいかしらん?」

 撚光が何もない空間を摘む度に、その透き通った、藍色のゴーグルに、幾重にも光の線
が、左から右へと流れる。

「……ああ、《WWW》か。」

 
 WWW。ワールド・ワイド・ウェブ。
 最初は軍のネットワークから始まった、世界共通高速情報網だ。
 二十世紀末より急速に一般に普及し、インターネットとして日々の生活の一部になって
いったが、千年を経て、そのネットワークはより高速に、より便利に、そして、その用途
も多岐に渡って増えていった。
 撚光が使っているゴーグルは、その情報端末である。
 ゴーグルの左端からは、細いコードが数本垂れ下がり、畳の継ぎ目に消えていっていた。
 ゴーグルから見ると、そこには数多くのウィンドウが表示されており、それを特殊な装
置をつけた指先でなら、摘んでウィンドウを移動させたり、突つくと、マウスクリックと
同じ効果が得られる。
 撚光が指先に付けているのは、付け爪のようなものだ。
 モニターもキーボードも付ける必要がないため、非常にコンパクトに持ち運びができる
のだ。
 撚光の使うWWWの守備範囲は、一般回線のみならず、政財界や軍のセキュリティシス
テムまで軽く超えてしまうものだった。
 陰陽寮が秘密裏に開発し、幹部クラスにだけ知らされている、極秘マシンである。
 
「他言は無用よ、綱。あんまり使っていいものじゃないからね」
「分かっとるって。……しかし、あんたがそれを使う、って事は、何かよっぽど難しい代
 物が今回の天水村の事件に絡んできてるようやな」
「色々とフクザツなのよ〜。あの村に集まった器使いの一人、鬼の一団で一冊の小説がで
 きちゃうくらい」
「……興味深いものがあったか?」

 障子を静かに閉めながら言う渡辺。
 誠は、酒呑童子とともに、薪を運んでいる。こちらに気がついて
いない事を確認して完全に障子を閉め、撚光の方に向き直る。

「……特に面白いのは、御月 陽ね」
「……? 誰やそれ?」
「誠ちゃんが、天水村で知り合った男の子よ。銃だけ装備した生身の体で、鬼と平然とや
 りあった、って話よ」
「器使いか? しかし、鬼切役にも新選組にも、銃使いはおらんはずやで。銃がとてもや
 ないけど、鬼に対しては戦力にならん事は、日本じゃ常識や。……もしかして、アメリ
 カの《レイガンズ》か? あいつらの扱う銃火器なら、別格の威力やけど、でもまだ素
 案の段階やなかったっけ」
「そうね。レイガンズも、候補者人数は数える程だし、興味本位で少ない戦力をアメリカ
 が割くとも考えられないわ。……でね、この子、面白い経歴だったわよ」

 撚光は、再び指先で何かを突つくと、

「そこにあるノートパソコン、開いてみて」

 と、渡辺を促す。
「昨日から、徹夜で頑張って作ったのよ」

 ごきごきと首を鳴らしながら言う撚光。

「それはそれは。寝とらんのかいな。お疲れさんやな。……ええと、ああ、このポストペ
 ット、ななにそっくりやなー。可愛いなぁ」
「違う、その下のファイル!」
「……分かってるがな……」

 ファイルをクリックすると、ウィンドウが数枚、一斉に開く。
 渡辺はそのファイルに顔を近付ける。
 そこには、御月 陽の写真とプロフィールのようなものが、写っていた。

「ふーむ、……なになに? 元自衛隊特殊機甲兵団ニ番機搭乗者? WWS東京アジア支局
 所属……通称インヴァイダー? 旧姓 一生 陽ぁ?? 何じゃこりゃ」
「陽、という子の、職歴よ」
「いや職歴……って。WWSって、ワールドワイドスプレッド社か? あのなんでも屋の。
 しかも、ニ番機って……こいつ、《ミストラル》に乗っとったんかいな」
「凄い職歴でしょ。おそらく、WWSには、自衛隊員時代のスキルを認められたのね。い
 や、WWSの方からスカウトに来た可能性もあるわね。WWSは、猫探しから戦場での
 傭兵まで、本当になんでもこなす所だからね」

 撚光が、指先を動かすと、ノートパソコンの文字が、自動的に動き出した。
 御月 陽の経歴などが、写し出される。

「銀刀特別勲章ニ回、菊花特別勲章一回、陸上自衛隊特別旭一等勲三回、菊日輪金勲章ニ
 回って、これ、鬼との戦いが始まって作られた特別勲章ばかりやないか。っていうか、
 何や、この回数……」
 
 渡辺が、レポートを見て目を丸くする。

「その下も見てみてよ」

 撚光が促すその下の部分には、

「罰金三十回、訓告十五回、謹慎三回、査問会儀四回ぃ??」
「凄いでしょ」
「凄いでしょ、やあらへんやろ。アホかこいつ。こんだけ凄い勲章もらう奴が、なんでま
 た、こんなに盛大に怒られとんのや」
「彼が乗ると、必ずその機械が壊れるのよ。それで、作戦に度々影響が出ちゃったのね」
「…………」
「……まあ、簡単にいうと、彼の体内で活動しているナノマシンが強力すぎて、自衛隊の
 マシンではその情報量や要求に耐えられないのよ」
「ナノマシン手術を受けとるのか?」
「幼い頃、大病を患っているわね。それで、奇跡的に助かった事になってるけど、おかし
 くない? あの父親の息子よ」
「あの父親?」
「……まあ、それは後で。でね、あまりにも手に負えないんで、一度広報に回されたのよ。
 でも、たった一週間で現場復帰」
「……それはそれは」
「で、その下のおまけ」

 そのおまけを見て、渡辺がおかしな表情になった。

「……なんで、生きとる人間が、《菊花突撃銀剣勲章》もらっとんねん……」

 菊花突撃銀剣勲章は、文字どおり、突撃をかまして、殉職した者に与えられる、栄誉の
戦死を讃えるものだ。

「いやね、実際、鬼との戦いで、死んでる事になってるのよ、一回。」
「は?」
「鬼と自衛隊がぶつかった時があってね、大きな損害を被った自衛隊は、撤退を余儀無く
 された。その時、しんがり隊長としてその場にいたのが、御月 陽一尉。」
「で、殉職、になった訳や。ていのいい邪魔物排除やな」
「でもね、彼の自衛隊葬儀の日に、ひょっこりと帰ってきたから、大騒ぎになった。下の
 同僚は大喜び、上の幹部は大弱り」
「……やろなあ……」
「数々のトラップやゲリラ戦を駆使して、なんとか逃げ帰って来たのね。まあ、野戦の天
 才と言ってもいいわね。でも、同僚は大喜びでも、上層部は厄介払いのつもりが帰って
 来て困惑した。さあ、どうしよう」

 渡辺は、ふう、とため息をひとつ。

「……で、日輪機甲兵団、か」
「もともと、あそこは、手に負えない猛獣を追っ払うための檻ですもの。全て、猛獣使い
 の壬生 京介(みぶきょうすけ)に委ねたのね。」
「それで……現在WWSか。……何だか花々しいなあ〜。しかし、誠君、彼を敵に回さん
 で正解やったなあ」

 水波が蹴飛ばしまくっていた事をここにいる誰も知らない。

「全くね。敵に回したら、たとえ誠ちゃんでも、やっかいこの上ない相手でしょうね。彼
 自信は、あの村には、おそらくWWS社員として、何かしらの依頼を受けて来ていたと
 みるのが妥当な線ね。まだ確証はないけど、咲耶ちゃん誘拐に、一枚噛んでいた可能性
 もある」
「けど、そいつ、誠くんを助けて行動しとったんやろ?」
「……心境の変化かもしれないわね。WWSの規約の中には、依頼料に損害賠償を加えた
 形でお金を返して、依頼を無効にできるの。それが、人道に著しく反する場合はね」
「……で、この旧姓、てのは?」
「今回の、要注意人物の名前、何だった?」
「そりゃ、一生 まさ……あっ、そうか、さっきの父親、って」
「色々と回ったのよ、役所やら研究所やら。ネットセキュリティが以外と素直でね。藤堂
 グループの社員名簿から、一生 正臣の名前が見つかったり、陽って子が、里子に出さ
 れていた、という事実も分かったわ」

 撚光はゴーグルを外して、眉間を揉みほぐしながら、ノートパソコンを見る。
 
「おそらく最初に出合った時も、彼は自ら望んであそこにいたはずよ。誠ちゃん達と接触
 するためにね。」
「芝居うっとった、って訳か。」
「……もしかすると、咲耶ちゃんを連れるにしても、穏便に事を運ぶつもりだったんでし
 ょうね。誘拐や、暴漢事件の際、結構動揺していたようだから。しかも、誠ちゃんに協
 力して、それらを蹴散らしているしね」
「しかし、そうなら、共闘もできるやろ。WWSの情報網を利用できるかもしれへん」
「……それは、どうかしら」
「あん?」
「御月 陽が、一生 正臣と接触した可能性があるのよ」
「……ちょっと待て。死んでるんやなかったんかいな、親父」
「だって、天水村の電力量、見てみてよ。凄いでしょ。これだけの電力が、とある場所に
 集中しているのよ。ほらここ……一生家の墓地周辺と、一生家の敷地内でね。生きてる
 可能性は高いわね。しかも、WWSに、依頼終了報告もないまま、御月 陽は、天水村
 に止まっているの。で、天水村で、異常なエネルギーが検出されてるのよ。日輪機搭乗
 員が戦闘を起こした時に反応する、ナノマシン微動にそっくりだったのよね」
「……よう分からんけど、とにかく、その御月 陽、って奴が、一生 正臣と接触したあ
 げく、戦闘した可能性がある、ってか」
「しかも、その後、村でその子は見かけられていないようね」
「あちゃー……捕まったか」
「どちらにせよ、一生 正臣が自らのクローンを使って、自分を死んだ事にしてしまった
 可能性は高いわ。鬼と人間を、ナノマシンで融合させた技術。それを使って、彼が一体
 何をしようとしているのか……。もう一度、誠ちゃんには行ってもらう必要があるわね、
 あの村に」
「咲耶って子はどうする?」
「……あの子次第ね。自分の父親と対峙する事になるんだもの」

 渡辺は、がくっ、と頭をたれて、ため息をつく。

「……もう、ワイは何聞いても驚かへん……」
「とにかく、事はフクザツなのよ。紅葉一党と一生との関係もまだ不透明だし、今村では、
 シヴァリースが鬼を片付けて、なんとか住民が被害を被る所まではいってない。けれど、
 このまま天水村を放置するのは、とても危険だと私は判断するわ。」
「……いつ話す?」
「そうね……朝ご飯が終わった後でも……」

 と、そこまで言った時、とたとたと、急ぎ足で、猫娘ななが、部屋に浴衣姿で飛び込ん
できた。

「にーにーにー!」

 ぱたぱたと手を振って、撚光にサインを送るなな。

「な……なな!? どうしたんや、髪の毛濡れたままで」
「なに、お風呂入ってたの? え? なに??」
「にゃんにゃんにゃー」

 まだ日本語を喋れないので、コミニュケーションがもどかしい。
 撚光は、はっと、ある事に気が付き、ななをひょい、と持ち上げて、ぐるり、と部屋の
中で一回転してみた。
 すると、ある方角で、ななが一際大きく声を上げた。

「……なんか随分アナログやな……」
「……そんな……結界を張ってあるこの神社内に、歪みが発生するなんて……」

 渡辺のツッコミをよそに、その方角を見てぶるぶる震えるなな。その尻尾は爆発したよ
うに毛が逆立っている。

「何かが階段を上ってくる。階段の方から、凄い気を感じるで。」
「歪みがある、という事は……鬼? でも、一番呪力が強い鳥居のある階段を上ってこら
 れる鬼なんている訳が……」

 その時、撚光は、再びはっとする。
 そして、ある名前をつぶやいた。

「……鷲王……」

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「どーしたんだろ、ななちゃん。急にお風呂場出ていって」

 ななが撚光の所に駆けこんだ時、まだ水波と咲耶は、湯船の中にいた。

「そうですねえ、どうしたんでしょうねえ……あら……」
「……? どうしたの、咲耶さん」
「草木がざわついてますわね」

 そう言って、咲耶が湯船から立ち上がる姿を見て、水波ははっとする。
 咲耶の美しい曲線が、水波の目の前にあらわになる。
 水波は、咲耶の腰に手をあてて、さすってみる。

「咲耶さん、きれいー。すべすべー」
「もう、からかうのはやめてくださいな。」
「だって、胸もおっきいしー、腰はきゅっ、だしー。いいなあー」

 外を見ようと、少し窓を開けた咲耶は、恥ずかしそうに水波を見る。
 水波は、相変わらずいいなあ、という表情で、目をきらきらさせて、咲耶を見ている。
 しかし、穏やかな空気は、外から聞こえた声に破られた。

「二人とも、風呂だな」
「あ、美姫さーん、一緒にどうですかー」
「いや、そういう訳にもいかなくなった。すぐに出て、袴を着てきなさい。……どうも、
 やっかいな者が現われたようだ」
「やっかいなもの?」
「とにかく、無防備な状態でいるのは非常にまずい。急げ」

 どたどたと美姫が走り去る音がする。

「どうも、巫女に戻らないといけなさそうですわね、水波さん」
「うん。そだね」

 水波と咲耶は目を合わせると、ひとつ頷いて、湯船から足を上げた。

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「何だか、凄く嫌な気配がする」
「え、柊さんも? ……俺もだよ。なんだこれ」

 薪を置き終えた誠と酒呑童子は、階段の方角を見た。そこから何かが来る事は、確実に
分かったからだ

「早い……まだ、彼と会うには、早すぎる」

 蒼真 武は、階段の鳥居の前に、刀を前に立てて立っていた。
 そこに、ぐにゃり、と空間が歪んだかと思うと、炎のように赤い、長い髪の毛の男が、
鋭い眼光と殺気を伴って現われた。

「貴様か……ひさしぶりだな、蒼真」

 鋭い眼光で武を睨み付けた男は、そう言ってにやり、と微笑した。

「ああ……お前はずいぶんと変わったな……常也(ときや)……いや……今は鷲王と名乗
 っているのか」

 鷲王を見る武の瞳は、どこか悲しく、そして寂しそうな輝きで満たされていた。


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