『17』


 鷲王と武が対峙しているその時間から遡る事四年。
 その日、ある若者が二人、語り合っていた。

「とうとう、この時がきたのだな」
「どうした常也、改まって。武者震いなど、お前らしくないな」

 黒い髪の青年が、赤い髪の青年に言う。
 どちらも、二十歳を少しこえたあたりだろうか。その曇りのない目には、若々しい力が
現われているかのようだ。
 軍属のようにも見えるが、軍隊で着せられるような迷彩服ではなく、武者鎧に陣羽織の
ようなものを着ている。
 それが浮いて見えないのは、彼等にそれがよく似合っているからなのだろうか。

「……そう言うな武。俺は嬉しいんだ。今までひた隠しにせねばならなかった自分のこの
 力で、人を守るために戦う事ができるのだからな。俺達にとっては、なによりも望んで
 いた事だ」
「そうだな。だからこそ、この戦い……負ける訳にはいかん。どんな事があっても勝たな
 ければ」
「ああ……お互いが守るべき、大切なもののためにも……必ず勝って帰ろう……お互いが
 愛する者の元へ……」

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 そこまで考えた時、武の精神は、まるで突き刺すような気配によって、現実の世界へと
引き戻されていた。
 辺りの空気が引き締まり、まるで針のように肌を刺しているかのようだ。
 武は、悠然とたたずむ鷲王の正面に立ち、静かに見つめていた。

「四年ぶりか……。全く変わりがなく嬉しいぞ……しかも、愛刀持参か。どうやら、俺が
 ここに来る事が分かっていたようだな」

 鷲王が、鋭い眼光で武を射抜きながら、微笑していう。
 武は、そんな鷲王の前に立ちながら、時の移り変わりと、人は変わるものだという事を
思い知らされていた。
 それほどまでに、鷲王は、以前見知った、自分の知っている人物とはかけ離れたものに
なってしまっていたのである。

「お前は本当に変わったな……以前のお前と、今のお前が同一人物だとは、俺には到底思
 えない」
「別に貴様に懐かしんでもらうためにここに来た訳ではない」
「…………」
「柊 誠をこちらに渡せ」

 武が少しだけ目を細める。
 鷲王は、その武の表情の変化を敏感に感じ取る。

「……やはり、お前も気付いているようだな。あの男が、どれだけの潜在能力を秘めてい
 るのか。今のお前達には、あの《黄竜》は、決して制御できん。……柊自身にもな」
「……それでも、お前に渡す訳にはいかん。……《あれ》は、まだこの世に出してはいけ
 ないものだ」
「そんな事はない。俺にかかれば、ほんの数日で四匹の竜全てをこの世界に具現化させて
 みせよう……まあ、その時には、柊ももはや人ではなく《修羅》になっているがな」

 鷲王がひけらかすように、にやりと笑う。

「……それをさせないために……俺はここにいるのだぞ、常也、いや……鷲王」
「……お前の目的は、てっきり木乃花 咲耶だと思っていたがな」

 そう言って、鷲王がゆっくりと抜刀の体勢に入る。
 武もまた、刀の鞘の金具を自らのベルトに付けて刀をさげ、抜刀の体勢に入る……とそ
の時。

ぴしっ

 辺りの空気が、張り詰めた《気》に反応して、乾き、弾けたような音をたてる。
 そして、二人が今にも刀を抜こうとしたその時……

「蒼真さん!」

 張り詰めた空気が、その声によって分散させられる。
 武と鷲王が目を向けた先には、鷲王が欲する青年の姿があった。

「来たか、柊 誠。俺はお前に用事があってここまで来た。お前は、俺と共に来てもらう
 ぞ。……貴様が嫌と言ってもな」

 誠は、鷲王の姿を見る。誠にとっては、一度ちらりと見ただけであったために、記憶を
探るのに、少々時間がかかった。
 だが、空を飛ぶ鬼を倒した時に現れた者の中に、赤い、長い髪の男がいた事を思い出し
た。
 芹沢という男が言っていた、その男の名前……それは……。

「……鷲王」

 鷲王が、それを聞いてにやりと微笑する。

「ほう、俺をよく覚えていたな。そうだ。柊 誠、お前は俺と共に鬼として生きる資格を
 持っている。貴様がどんなに否定しようと、世を憎み、破壊を由とする貴様の本性はど
 うあっても隠し通せはせん。四年前のあの時、お前はそれをしっかりと感じたはずだ。
 ……全てを壊してしまいたいとな」
「聞くな! 誠君! この男の言う事に耳を貸すな。君は君だ! 鬼の言う事になど聞か
 なくていい!」

 武が鷲王を遮るように叫ぶ。

「鬼か。もともと仲間だった者に言う台詞ではないな、武」
「……!」

 誠が驚いた顔で鷲王を見る。

「そうだ。俺は人間だった……《あの瞬間》まではな……お前なら分かるはずだぞ。守る
 べき者を守れずに血も涙も枯れ果てたお前ならば、鬼になる人の感情はよく理解できる
 はずだ……確か……美月……だったか?」

 ぴりっ……

 誠が、その表情を明らかに変えた。それは、傷を抉られた痛みなのか、それとも昔を思
い出した怒りなのか……。

「……鷲王。それ以上彼を挑発するな……。でないと、この場で…………お前を殺す」
「できるのか? 殺さずの禁忌を犯してまで、貴様が大儀を忘れて一人の人間のために自
 分を犠牲にできるのか?……できまい……所詮貴様も、奴等となにも変わらんのだ」
「……言うな」

 誠は、鷲王を睨み付けて呟く。だが、鷲王は言葉を発するその口を閉じようとはしない。

「柊 誠! お前は俺と同じだ! お前が望むのは平和ではない! お前は、大切な仕事
 を放棄して、鬼を殺す事しかできなかった!」

 誠の表情が明らかに変わり始めていた。険しい、おそらく水波や咲耶や仲間には決して
見せない顔……。

「やめろ鷲王!」

 武が鷲王に叫ぶ。

「貴様は守れなかったのだ! 貴様は守るために器使いになったはずだ! だが貴様は守
 れなかった! 大切な人間を自分で殺したに等しい! 貴様は俺と同じ……」
「…………」
「そう……貴様は俺と同じ…………鬼だ!!」

 鷲王がそこまで言った時、誠の姿は、先程いた場所にはなかった。
 鷲王がふと真下に気配を感じた時には、誠は、鷲王の下から抜刀し、鷲王の顎にむけて
切り上げていた。
 鷲王はそれを紙一重で後ろに躱すと、バックステップで間合いをとり、険しい笑みを浮
かべて抜刀体勢に入る。

「いいぞ……そのまま俺に斬り掛かってこい! 貴様が俺と斬り合う瞬間瞬間ごとに、貴
 様は鬼と化していく」
「……おおおおおおお!!」

 鷲王の言葉が真実かのように、誠はさらに目つきを険しくさせ、鷲王へと弾き飛ぶよう
にして斬りかかった。
 その瞳の色は、まさに鬼と化したかのようだった。

「いかん! やめろ、誠君! 奴の挑発に乗ってはいけない!」
「黙れ!! 貴様はこいつらと遊んでいるがいい!!」

 鷲王が言うが早いか、武の回りの空間が歪み、そこから大量の鬼が溢れ出した。
 数十匹はいるだろう鬼の群れが、武一人に向かって、その鋭い爪と牙を立てようと襲い
かかって来た。

「邪魔をするな!」

 武が刀を一振りすると、十匹は囲んでいた鬼があっという間に薙ぎ払われる。
 だが、すぐに囲まれてしまう。
 そして、そのまま、階段下へと押しやられてしまう。

「はははは! 結界の中までは鬼を封ずる力もあるまい!」
「……お前がここまで来たのは……それが狙いか!」
「さあな……俺が欲しいのは、柊 誠の《力》だ」

 鷲王は楽しそうに刀を抜き去ると、誠に斬りかかった。
 誠も居合い一閃、二人の刃が交差する。
 鋼と鋼が何度も打ち合い、澄んだ音をたて、辺りの空気が震えた。
 達人同士が戦うと、それは舞いのように見えるというが、まさに剣舞のようにお互いの
白刃が煌めき、交差し、火花を散らす。
 誠が下から斬り上げる刀を躱し、鷲王が横から斬りかかろうとする所を受け、流し、無
駄のない剣劇はいつまでも続くかのようだった。
 ふと、誠が以外そうな表情で刀を弾いて後ろに飛んだ。

「……気がついたか? そうだ、この刀もまた《正宗》。……だがひとつ、貴様の持つも
 のと違う所がある。分かるか? この刀から発せられる、禍々しい《気》が……。」

 鷲王が誠の方に刀をかざすと、それは、まさに黒ずんだ気を放っているかのようだった。

「これは、いわば《裏刀》…….本来、刀はそれに魔が宿らぬように、対となる刀を作り、
 それに、片方に宿ろうとする魔気を全て吸い取らせるのだ。……そして、それは本来絶
 対に表には出さぬもの……」

 鷲王はにやりと微笑すると、一瞬にして誠との間合いを詰めて来た。
 眼前で構えた誠の刀と鷲王の刀が、再び鋼の澄んだ音をたてる。

「この戦いは、正宗同士の戦いでもあるのだ。聞こえるか? 全てを押し付けられて望む
 べくもない呪いをかけられた、この刀の悲痛な叫びが!」

 鷲王はそう叫ぶや否や、誠を力ずくで叩き飛ばし、誠の体は、まるで重力を無私したか
のように木々に叩き付けられる。
 鳥達がざわめき飛び立つ中、多くの折れた木々が誠に襲い掛かる。
 誠はそれを躱して飛び移り、再び鷲王へと斬り掛かった。

「いいぞ! まさに伊勢守の燕飛を見るかのようだ! そして、その目こそ、俺とお前が
 同類である証だ!」

 鷲王が、再び誠と刃を交えようとした時、白い気をまとった物体が、鷲王めがけて飛び
込んで来た。
 鷲王は、それを刀で打ち払おうと物体を斬った瞬間、それは爆発して鷲王を林に吹き飛
ばした。


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