『18』


「まことっ! 大丈夫!!?」

 そう叫んだのは水波だった。
 彼女が、自分の護符を飛ばしたのだ。
 してやったりの水波だったが、誠の表情を見た瞬間、水波の表情がこわばった。

「……ま……まこと……?」
「……無駄だ、小娘。今のあの男は、戦う事しか眼中にない……いいぞ、もうすぐだ」

 林の中に、恐ろしい気配を察知して、怯えて身構える水波。
 そこからは、赤い髪の男が、涼しい顔で現れた。

「……うそ……なんで効かないの?」
「小娘、貴様の護符の力など、所詮はノラネコが猛虎に爪をたてるようなものだ……
 そのようなものなど、三宝剣の力を借りるまでもなく、素で受けても効かぬ」

 鷲王の周りの気が、明らかに辺りの清廉な空気を侵食し始めていた。
 その刀、いや、鷲王の体からは、どす黒い淀んだ気で満たされていた。

「水波さん、気をしっかりもって! 決して呑まれてはだめ!」

 咲耶が、着物と緋色の袴に身を包んで、後ろから水波の肩を抱いた。

「ほう、木乃花 咲耶か……。ついでに貴様も貰い受けて帰るとしよう。この、修羅と化
 した柊 誠と共にな!」
「……ま……誠さま……?」

 誠の目つきの違いに、咲耶も言葉を失う。

「どうだ? 柊 誠。人と斬り結ぶ感覚は。いいものだろう?」
「……黙れ」

 誠はそう言い放つと、鷲王に再び抜刀し、一閃を食らわせた。
 鷲王は誠の一撃を躱して横に飛ぶ。
 剣舞のような二人の斬り合いに、水波の咲耶も声が出ない。
 すると、鷲王の後ろの太い木が、誠の一閃で切られて倒れ、それが水波達の方へと倒れ
ていく。
 誠は鷲王ではなく、水波の方へと飛び、そして、再び刀を一閃し、水波達に襲い掛かる
木々を打ち払った。
 誠のその凄まじい力にも驚いた水波だったが、それよりも、誠が今までと全く雰囲気が
違う事に、水波は一層戸惑いを覚えた。

「ね……ねえ、誠……」
「下がってろ、水波」
「だめだよ、恐いよ、もうやめてよ」
「……」

 誠は、再び鷲王へと向き直る。
 何が誠をここまでさせたのかは、水波には分からなかったが、それでも、こんな誠を水
波は見ていたくなかった。
 誠の体からは、鷲王とは対称的に、澄んだ透明な気が溢れ出していた。

「……行くぞ、鷲王」
「……そうだ、それでいい。あともう少しで貴様の力は解放される……見えるぞ、竜が!」
 水波は、誠を止めようとするものの、鷲王の邪気に足が怯えて動かない。
 しかし、それでも、水波は今の誠を見ていたく無かった。
 それよりも、何か大きく邪悪なものを感じて、水波の心が何か弾けたような気がした。
 そして、再び誠と鷲王がお互いに飛びかかった時

「やめてえええぇぇぇっ!!!」

 水波の叫び声が、辺りにこだました。しかもそれは、ただの大声ではなかった。
 水波の声というものを媒介として、何か大きな力が水波から放たれ、鷲王へと向かって
いった。

「……馬鹿な!……この力……うおおおっ!!」
「あ……あれは……まさか!!」

 咲耶が、水波の放った力に驚き、目を見張る。
 鷲王は、水波から放たれた白い力に大きく飛ばされ、木々をなぎ倒して消えた。
 誠もまたその場で倒れ込み、驚いて水波を見る。

「誠のばかぁっ! コワい顔しないでよ!」

 水波が駆け寄ってくる。
 誠は、何か夢から覚めたかのように、ぼうっとしていたが、水波に揺さぶられて、何故
か正気を取り戻したような気がした。

「み……水波……?」
「……よかったあ、元に戻ったぁ」

 水波が、ほっとした表情で、やんわりと微笑む。
 誠は、何故か心のもやが晴れていくような気がした。
 そしてふと、今までの自分を振り返って、嫌悪した。
 いや、何かが、誠にそうさせたのかもしれない。

「……そうか……泰山府君か。まさか、このような小娘がな……」

 鷲王が、再び、何ごとも無かったかのように誠達の方へと向かって来た。

「どうした、柊 誠。俺が憎くはないのか? さあ、向かってこい」
「……俺は、お前の挑発には乗らない」

 水波が、ぱあっと、明るい表情になる。

「憎いのだろう? 貴様は、未だ過去と決別などできてはいないではないか。力を得れば、
 全てを忘れて、何もかも破壊できるぞ」
「俺にそんな力はいらない。俺に必要なのは……壊す力じゃない……守る力だ!」
「はははは! お笑いぐさだな! 何も守れなかった貴様が、今さら過去を後悔しながら、
 一体どうやって今以上に強くなろうというのだ! 今の貴様は、ただ俯いて刀を振り回
 しているだけだ!心の無い剣などに、強さが宿るものか!」
「……それでも……俺はお前のようになるのだけはごめんだ! ……俺は今水波を泣かし
 ている。俺が戦って誰かが泣くような、そんな力はいらない!」
「……くだらんな。戦いとは、誰かを傷つけ、泣かせる事だ! 人と人との戦いは、争い
 とは、戦争とは、互いに罵り合い、傷つけ合う事だ! 感動的な場面を演出し、英雄を
 造り出し、飾り立てた虚飾の正義で殺し、犯し、奪うのだ! それが、人の争いだ!…
 …守るべき力だと?……誰かを守れる力など……そんなものは人間などには存在せん!」
「違う! 人は、誰かを殺すためだけに戦う訳じゃない! 守ろうとする事は、正しい事
 のはずだ!そして誰かを守る力を……人は必ず持っている!」
「……綺麗事を……貴様は、人間の惨さを知らぬゆえにそのような夢を語れるのだ。人ほ
 ど……惨たらしいものなどない!!」

 鷲王は、誠の何かに刺激されたのか、声をあらげて否定する。

「悪いが、貴様らの力など、俺には全く効かんぞ。……ここで、皆殺しにしてくれる」

 鷲王が、誠達三人を睨み付ける。

「……な……なんで……全然平気なの??」
「それはね……大嶽丸の力に守られているからよ」

 水波の問いに、撚光が答える。
 その後ろから、渡辺や酒呑童子、美姫の姿も見える。階段からは武が駆け上がって来た。

「そうだ……さすがに良く知っているな、撚光」
「あんたに親し気に呼び捨てにされる謂れはないわね」

 撚光が鷲王を睨み付けた。

「大嶽丸は、三本の神剣で、何ものをも通さない鉄壁の防御を敷き、巨大な火の玉と、地
 震、天候を操って雷を落としたと言われているが……あれが……その三剣のうちのひと
 つか……」

 武が、鷲王に使われる神の剣を見て、どこか苦々しげに言う。
 鷲王の眼前に、まるで彼を守るかのように、三メートルはあろうかという巨大な剣が、
澄んだ緑色の光りを放って、浮いていた。
 鷲王は、それを掴むと、ひゅっ、と一振りする。
 すると、辺りの空気が揺れ、騒ぎ、鷲王がなぎ倒した木々が、粉々に消し飛んだ。

「……まさか、その小娘、泰山府君の御力を得る事ができる神子(みこ)であったのか。
 アガサの杖を扱う木乃花 咲耶……そして、泰山の神子……邪魔だな……」

 鷲王の気が、今までに増して、その闇の色を増し、辺りをざわめかせる。
 そして、再び剣を一振りすると、巨大な空気の圧力によって、そこにいた者達が吹き飛
ばされる。
 
「私の後ろに下がれ!!」

 美姫が素早く護符を取り出して何か唱えると、空気の壁が、そこに出来上がった壁に遮
られて方向を変え、何もない空へと消えていった。

「くっ……まさか……神の剣を……人の身で、あそこまで使いこなすというのか! あの
 精神力の源とは……何だ?」

 美姫は、大気の刃に腕に傷を負い、片膝をつく。
 そして、そこに、いたわるようにして誠が駆け寄り、支える。
 
「……っ! 大気の圧力を……操作するというの…?」

 撚光は、その力に驚きを隠せない。

「マジか、……なあ、撚光、何か攻略法はないんかい! このままじゃアイツやりたい放
 題やで!」
「分かってるわよ! けど……あの力に……鬼神の力に対抗できる力は……」

 撚光は武をちらりと見る。
 ……そして、水波と咲耶に寄り添われた誠を見た。

(そう、神に対抗するには、力を覚醒させた武ちゃんの器……
 でも、武ちゃんの器は全てを薙ぐ。下手に扱うととんでもない事になる。武ちゃんは、
 ここでは……神社が近すぎるここでは、器を出せないのよ……。だから……誠ちゃん
 ……あなたの中に眠る力が必要なのよ……《四海竜王》の力が……!)

 撚光がそう思う間にも、鷲王はずんずんと間合いを詰めてくる。

「竜は、未だに目覚めず失敗か……ならば……ここで全てを消し飛ばしてくれる!」

 鷲王がまるで大気の圧力で浮かされたようの飛びすさって来た。
 そして、その体に空気と鎌鼬の真空をまとい、全てを薙ぎ払う。
 面々はただ退避と防御を続けるしかなく、追い詰められていく。
 正面から、そして側面から立ち向かうものの、まるでつかみ所のないその刃に、まるで
なす術がない。
 そんな風と、そして凄まじい剣撃に、誠が意を決して正面から立ち向かった。

「面白い。この風の剣に真っ向から勝負を挑むのか。」
「守るための力は必ずある。誰かを守ろうとした時に沸き上がる力は、必ずある」
「ならば、その意味の無い力で破ってみろ。この、風すら刃とするこの剣を!」

 鷲王の剣檄が、誠の抜刀と重なり合う。
 耳障りな音を奏でて、誠の刀がびりびりと振動する。だが、誠の
渾身の一撃も、神の剣にはかなわず、誠は吹き飛ばされてしまう。

「ぐああっ」

 神社の壁面に叩き付けられて、呻き声をあげて誠が倒れる。

「さて……」

 そんな誠を一瞥し、鷲王は水波の方に向き直る。

「次は貴様だ……小娘……」

 鷲王が睨みを効かせ、神の剣を掲げた。
 水波が、その鷲王の眼光に怯え、まるで金縛りにあったかのように動かない。 

「み……みなみ……」

 鷲王の剣の風に水波が飲み込まれそうになったその時、誠の頭に何かが響いた。

『守りたいか』
(な……何だ……?)
『守りたいか。守る力が欲しいのか』
(……欲しい……誰かを傷つけるのではなく……守れる力が……)
『今のお前の心は揺らいでいる。我が兄弟も、お前には早計だと言っている。だが……何
 かを守ろうとするお前の心は……心地よい』
(……何だ……何かが……心の奥から湧き出てくる)
『我を手に取れ、光と、闇の心を持つ者よ。悲しみと絶望を知り、その闇に光る希望を知
 る者よ。その《心の揺らぎ》こそ、わが姿の糧となる』

 誠の周りに、何か淡い光りが見えた。

「な……何ぃ!!?」

 鷲王の後ろで、何か大きな力が発現した。
 いきなり発せられた強大な圧力で無防備のまま吹っ飛ばされ、鷲王は太い木々に体を何
度も打ち付けながら、血を吐き倒れる。
 そして、その力の方角を見ると、そこには、淡い光りに身を包んだ誠の姿があった。
 それを見て、撚光が、目を見開いて呟いく。

「……白竜が……目覚めた……」

 誠の周りに漂う光はだんだんと形を成し、そして、それは巨大な白い竜となり、鷲王を
獅子をも殺すかのごとく眼光で睨み付けて……喋った。

『我が名は敖潤(ごうじゅん)。大気と風をその姿と成す四海竜王の一人にして風の王。
 西海白竜王敖潤なるぞ』

 白い竜は、そう名乗ったかと思うと、誠の持つ刀の中へと、まるで吸い込まれるように
して消え、そして、その代わりに、誠の体が、凄まじい大気の刃に被われ、その刀身を白
く光らせた。

「……面白い……守るための力か……その化けの皮……すぐに剥がしてやるぞ」

 鷲王は、愉快そうにそう言うと、誠の正面に対峙した。
 正面から対峙する誠の心に、再び声が聞こえてきた。

『守ってみせよ。我にお前の決意を見せてみろ』


←『17』に戻る。 『19』に進む→
↑小説のトップに戻る。