『19』

 ここは、誠が闘っている場所より数十キロ離れた農村。
 桜の花びらが緩やかに舞いを踊り、爽やかな風が、朝の日ざしを運んで来た。
 平家の一軒家の風景は何年も変わらない。
 いつものように穏やかに時間が過ぎ、そして、幸せに一日を送り、そして、また更けて
いく。
 何も変わらない日々が今日も続く。そう、一人息子が家を出てもう四年以上経つ事を除
けば……。

「おや、文(ふみ)さん、こんな所にいたのですか」

 穏やかな声が、一室に響く。
 文は、ゆっくりと声の主人、自分の夫に振り返って微笑んだ。

「誠の事を、少し考えていました。」
「ふむ。そうですか……。心配いりませんよ。誠は強い子です。何より、私とあなたの息
 子です。頑張っていると思いますよ。まあ、多少なりとも苦労はしていると思いますが」

 文は、少しだけ微笑んだ。どこか安心したような笑みだ。

「あ、そうそう、見てください。これ、今朝、お隣から頂いたんですよ」

 夫が嬉しそうに、紙の箱を数個、妻の側へ置いた。

「あら、フキノトウ。もう出てたのね。あら? イワシですか?」
「ああ、これもね、昨日釣り上げて余ったから、と仰ってね」
「いいわねえ。フキノトウは、塩揉みして、糠につけておきましょう。イワシは、そうね
 え、煮ても焼いても美味しいけれど、そうだ、ツミレにして、ちょっと時季はずれだけ
 ど、お鍋にでもしましょうか」
「ああ、いいですね。でも、このイワシは、ちょっと数が多いですね。さて、これだけ食
 べるとなると、あと数人は必要ですね」

 文が、少し苦笑いしながら言う。

「そうねえ。誠がお友達を連れて、帰って来てくれればいいのだけれど」
「昔から、引っ込み思案で、そのくせ負けず嫌いで真面目で。どこか面白みがなくて」
「そんな事を言ったら、あの子に失礼ですよ、精一郎(せいいちろう)さん」
「いや、すみません。でも、本当の事ですからねえ。……あの子が、たくさんのお友達を
 連れて来てくれれば、こんな嬉しい事はありませんよ」
「早く、戻ってこないかしら」
「戻ってきますよ、彼は」
「あら、分かりますの?」
「ええ……もうそろそろ戻ってくる。私にはね、そんな予感がするんですよ」

 精一郎は、妻の文と共に、縁側の桜の木を見つめた。
 桜の木が、それを感じ取ったのか、さわり、と揺れ、花びらを宙に舞わせた。

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「西海白竜王敖潤……」

 鷲王は、面白そうに、それの宿った誠を見る。
 誠は、誇りだらけの顔に、鋭い眼光を煌めかせながら、鷲王を注視している。
 その体は、白竜の気をまといでもしたか、淡いオーラのようなものに包まれている。

「まさか、あの四竜王が、お前の潜在意識に反応を示すとはな……」
「潜在意識……?」
「器が、何故器と呼ばれているのか、お前は知らないようだな。まあ、器使いの殆どが知
 らずにいる。お前が知らずとも、何も珍しくはないものだが」

 鷲王は、自らが持つ神の剣を再び構え直した。

「この天風切の持つ神の壁……西洋では《イージス》と呼ばれる。貴様に力を貸した、そ
 の高次元意識体、風の竜とどちらが勝るか。勝負といこうではないか」

 ちりちり、と、鷲王の立っている回りの空気が揺れ、土埃が舞い始める。
 誠の回りからも、穏やかに風が舞い始め、まるで、それが誠を包むかのようだった。
 だが。

 がた……がたがたがた……

 誠の刀が、誠の意思に反して、小刻みに震え始める。
 誠自身、抑えようとしても、まるで刀が生きているかのように、その震えを止めようと
はしない。

「くっ……なんだ……」

 刀の震えは止まらない。それどころか、その振動をさらに増している。

「どうやら、まだお前は真の主人と認められていないようだな」
「……何……」

 誠が問いかけよとしたその時、鷲王の体が、目前にまで迫って来ていた。

「ふん!!」

 鷲王が体を使って、思いきり天風切を振る。
 誠も、懇親の力を振り絞ってそれを迎え撃つ。
 風と風とかひしめき合い、大きな雷のような音を奏でながら、衝撃波を生み出した。
 辺りに風が押し寄せ、光基神社へとそれは迫ってくる。

『臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!』

 撚光が切紙九字護身法(きりがみくじごしんほう)のひとつ、早九字活法(はやくじか
っぽう)で、マス目に沿うような形で印を結ぶ。
 すると、巨大な目に見えない壁がドーム状に現れ、それは神社と、そこにいる人間達を
守る盾となる。
 風の勢いは凄まじく、撚光は印を組んだ手を前で硬直させたまま、風の通り過ぎるのを
待つ他はなかった。
 そして、風が通り過ぎた後、彼等が見たものは、激しく地面に叩きつけられて呻く誠と、
それを見下ろす鷲王の姿だった。

「ああっまことがっ!! 撚光さん!! 助けに行かないと!!」

 水波が走り出そうとしたその時、彼女は軽い衝撃波を当てられてすっ飛んだ。

「み……水波ちゃん!!」
「あ……あいたたたあ」
「よ……よかった……傷は浅い、わね……」
「小娘ども……これは、俺と柊 誠との戦いだ。余計な邪魔はしないでもらおうか」

 鷲王がそう言って、再び誠に目をやった時、誠の姿が消えていた。
 誠は一瞬の隙をついて鷲王の後ろに回り、遠心力を効かせて不意打ちを食らわそうとし
たのだ。

 「その技は、相手の技の出端を挫くものだ!」

 だが、鷲王はその言葉とともに軽く屈んでそれを躱すと、誠と同じ技で、誠の腰辺りに
したたかに打ち付けた。

「ぐああっ!!」

 誠が地面をバウンドしながら飛んでいく。
 地面に倒れ込んだその瞬間、口から大量の血が吐き出される。

「ほお、扱えないまでも、風と空気を壁にして、刻まれる事だけは避けたか。……だが、
 体に天風切を受けたのだ。外は良くても、中はそうはいくまいな」

 鷲王が、そう言いながら誠の方へと向かって行く。
 誠は、正宗を支えに、立つのがやっとの状態だ。

「……早すぎた……のか……?」

 武が、眉間に苦渋の表情を浮かべながら言った。

「……早すぎた……って、どういう事、武ちゃん」

 撚光が、心配そうに武に訪ねた。

「撚光、お前も知っているはずだ。器とは何か、そして、そこに宿るものが、一体どんな
 性質を持っているものなのか」
「……まさか……誠ちゃんの心が、竜をつなぎ止めておけないと言うの?」

 そこに、美姫が近寄ってくる。

「何故、《器使い》と呼ばれる者達が器を行使できるのか。それは器使いの心が、一般人
 のそれとは、大いに異なるからだ。その心の違いは、我ら陰陽師にもあてはまる事だ」
「……だから……まだ……早いの?」
「柊 誠という一人の人間の心は、強大な《あれ》をつなぎ止めておくだけの《心の楔》
 が足りないのだ」
「……誠ちゃんの……強い意思」
「迷いがあるうちは……柊 誠は、決して鷲王には勝てない」

 撚光が、悔しそうに誠を見つめる。

「柊 誠。今一度問うぞ。お前は、俺と共に、修羅として戦う気はないのか?」

 鷲王が、鋭い眼光で見下ろしながら誠に問う。
 誠も、負けずに睨み返しながら言う。

「世界が逆さまにひっくり返っても……ごめんだな」

 鷲王が、一瞬眉間を寄せる.が、すぐに涼やかな表情になる。

「……よかろう。ならばお前は用済だ。心なき剣を振るう者に、我が同胞たる資格なし」
 
 そう言うと、鷲王は大剣を上に振りかざした。
 誠は、息を切らしながらも、震える刀を納刀する。
 今の誠には、刀が震えているのか、それとも自分の腕が震えているのか、それすらも分
からなくなっていた。

「……そんな状態で、俺の一撃に耐えられると思っているのか?」

 誠は、何も答えずに、抜刀の体勢をとった。

「いいだろう。最後は、一介の剣士として死なせてやろう」

 鷲王が構える。

「だ……だめええっ!! やめてええっ!!」
「だ……だめよ!! 水波ちゃん!!!」

 水波が二人に向かって走り出す。
 だが、その小さな体は、突如起こった風に吹き飛ばされてしまう。

「何?」

 鷲王が、少し驚いたような表情を浮かべた。
 それは、彼が起こした風ではなかったからだ。

「……まさか……お前」

 誠の体から、天風切と良く似た風が起こり始めていた。
 圧倒的な圧力で鷲王に迫るそれは、発生元の誠の姿すらも歪めてしまう程であった。

「なるほど、だが、遅かったな。今となっては……」

 鷲王が、天風切を振り下ろす。

「……遅すぎるというものだ!!」
「うおおおおおおっ!!」

 鷲王が剣を振り下ろすと同時に、誠は刀の鯉口を切る。
 鷲王の振り下ろす剣と、誠の抜刀した刀が、鋭い剣閃で空気を切り、そして交じり合い、
大きな衝撃と音を辺りに響かせた。
 
 がぎぎぎぎぎぎぎっ!!

 鋼と鋼がぶつかり合い、耳障りな音と火花を散らせる。

 そして、その衝撃が止んだ時、

 きん

 澄んだ鋼の音がこだまし、誠と、そして、彼に味方する全ての者が驚愕の表情を浮かべ、
ある一点を凝視した。

 きらり、と回転しながら飛ぶ、鋼のかけらを。

「お……折られた……」

 撚光が、驚きの声をあげる。
 誠の刀は、鷲王の剣が当たったあたりから見事に叩き折られ、折られた切れ端が、きり
きりと宙を待っていた。
 その鋼の中に、驚愕に目を剥く誠の瞳が写し出され、そのまま地面に突き刺さる。
 そして、鷲王の方は……

「……まさか……ここで、窮鼠猫を噛むとはな……」

 びきびきびきびきっ

 鷲王の大剣、天風切は、いたる所から刃こぼれとひび割れを起こ
し、鉄の固まりへと変化しようとしていた。

『ヴォォォォォォォォッ!!!』

 何かの泣き声がし、誠の刀から、白いオーラが飛び出し、そして誠の側で少しの間留ま
ると、空へと駆け登って行った。
 竜は、消える真際、誠に何か囁いたように見えた。

「ふっ……」

 鷲王はそれを見届け、少し微少すると、再び誠に向き直る。

「本来ならば……ここで痛み分けなのだろうが。俺には、これが残っている……。正宗が
 作られた時に封印された、この呪われた、裏とも呼べる正宗がな」

 鷲王は、鉄の固まりになりかけた天風切を投げ捨てると、すらりと裏正宗を抜く。
 すると、そこから、禍々しい気が立ち上るように誠には見えた。
 誠は、立ち上がり、そして、鷲王に向かって、折れた正宗で身構える。

「勇気があると誉めてやりたい所だが、それは見苦しいというのだ柊 誠。潔くしろ……」
「潔うするんは、あんたの方やで」
「何?」

 鷲王が振り返ると、無数の気の刃が鷲王に向かって飛び交ってきた。
 鷲王がそれを躱すと、そこにすかさず別の誰かが、強烈な一撃を食らわせた。

 「むうっ!」

 鷲王は、刀でいなしたものの、衝撃に耐えられずに床に叩きつけられていた。

「誠くん、ようやったな! 後は……俺らにまかせとけ!あのやっかいな剣さえなければ、
 鷲王!お前ははもう恐ぁないで!!」

 そう行ったのは、綱であった。

「恐くない、だと?」

 鷲王は、そう答えると共に、綱の懐に飛び込むと、抜刀の一撃を見舞う。

「ちぃっ!」

 綱がそれを自分の刀でいなし、火花が散ったその時、鷲王の側に気配がした。
 武が、渾身の一撃を、横合いからくり出していた。
 大気を切り裂く凄まじい勢いは、空気を斬る事で逆にその音を消していた。
 一瞬間合いを取し損ねた鷲王は、避ける直前、その頬を一閃されて血が吹き飛ぶ。

「蒼真あっ!!」

 武と鷲王の刀が、澄んだ音をたてて交わり、まるで花火のように再び鷲王の刀に火花が
散る。
 ゆっくりと体勢を整えた鷲王は、武の方へゆっくりとその体を向けた。

「お前の相手は俺だ」
「……蒼真……!!」

 武と鷲王の視線が、真正面からぶつかり合い、それに呼応するかのように、辺りの草木
がざわめいた。


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