『20』


「お前に人が殺せるのか、蒼真」

 鷲王は、ゆっくりと武の方へと向き直る。
 その隙に、水波と咲耶が誠を鷲王から引き離す。
 その姿をちらりと一瞥して微笑すると、鷲王は武に視線を戻した。

「人も鬼も殺さずに融和を求めるお前のその判断が、新選組という組織を生み出してしま
 ったのだ。誰も犠牲を出したくないなどというそんな腑抜けた考えを持つお前に、本当
 にこの俺が殺せるのか」

 武は静かに鷲王の台詞を聞いていたが、ゆっくりと足を前に運びながら口を開く。

「俺はいつも思っていた。こんな戦いがいつまで続くのかと。人と鬼がお互いを憎み殺し
 合うような、こんな闇がいつまで続くのかと。あの富士山麓での戦いも、お前のような
 闇の心を持つものを生み出しただけだった」

 鷲王が少しだけ目を細めたように思えた。

「俺はいつか、人と鬼の戦いを終わらせる。そのために、俺はこの鬼切役を作った。人と
 鬼が混在するこの集団を。」

 武が腰を下ろし、抜刀の体勢をとる。

「俺は戦いを終わらせる。そのためにお前がどうしても俺達の前に立ち塞がるというのな
 ら……俺はお前を殺す」

 それを聞いた鷲王が、にやりと唇を歪めて微笑する。

「そうだ……それでこそ『龍』の名を冠する者だ」

 鷲王もまた、抜刀の体勢をとる。
 そして、お互いが一歩を踏み出した瞬間、何ものかが、武の肩を掴んだ。
 武の視界に見える、朱色の鮮やかな髪の毛と、そこに映える白い角。

「待った。あいつの相手は俺がする。あんたは……もう殺し
 なんかに手を染めちゃだめだ」
「酒呑童子……お前…」
「鷲王、お前の相手は俺がしてやる」
「……ふん、鬼にも人間にもなれない出来損ないが俺の相手だと? 一体何の冗談だ?」

 鷲王がさも愉快そうに笑う。

「お前の祖先は、安倍晴明までもが恐れた鬼だったそうだが、その酒呑童子の名を受け継
 ぎ、その血が色濃く出ているお前が、人に憧れて人のために戦うというのか? これが
 お笑いでなくて何だというのだ。お前は何のために、人の名を捨ててまで『酒呑童子』
 を名乗ってここにいる」
「……お前には分からねえだろうな。俺が今までどんなに苦しい日々を送ってきたかなん
 て。俺はただ……人間のままでいたかっただけなのに」
「お前ごときの戯れ言につき合うために俺はここにいる訳ではない。お前が向かってくる
 気がないのであれば……柊 誠を殺してこの場を破壊する」
「そんな事を誰がさせるかよ!」

 酒呑童子が足を一歩踏み込むと、辺りに土煙が舞い、彼の体はあっという間に鷲王との
距離を詰めていった。

「待て、酒呑! うかつに鷲王に近付くな!」

 武が慌てて酒呑童子を止めようとしたが既に遅く、間合いは十分であった。

「いくぞ鷲王!」
「何をしに来ると言うのだ?」

 酒呑童子の放った拳は、普通の人間なら食らった瞬間に体が破裂を起こしても不思議で
はない程の破壊力がある事は、そのスピードと風切る音から明らかだった。
 だが鷲王はその拳を刀を持たない左手でいなすと、そのまま勢いを殺さずに合気道の勢
いで酒呑童子を片手だけで投げ飛ばした。
 そして、吹き飛んだ酒呑童子に向かい突進し、肩をその胴体に叩き付けた。

「ぐはっ!!」

 目を見開いて苦悶の表情を浮かべながら、酒呑童子は近くの大木に叩き付けられる。
 そしてそこに、刀を振りかぶった鷲王が風を切りながら向かって来た。

「くそっ!」

 寸での所で身を捻ってその場を離れた直後に、鷲王の刀が振り下ろされ、幹の直径が一
メートルはあるだろう大木が、まるで豆腐でも切ったかのように簡単に両断される。

「逃げ足だけは早いな」

 鷲王は不敵な笑みを零しながら振り返る。
 そしてその後ろで、大木がごう音と共に崩れ落ちた。

「……なんでだ……柊さんと、あんなに激しい戦いをした後なのに……」
「お前達のようなぬるま湯に浸かったような者と戦った所で俺が疲労など感じるはずもな
 かろう」
「くっ」

 酒呑童子は構えようとしたが、今の一撃が効いたのか、片膝が崩れてしまう。

「戦い方も若い!!」

 鷲王はその時を逃がさずに酒呑童子にあっという間に近付いて、その角の付け根を柄の
先で強打した。

ごりっ!

 生々しい鈍い音がしたかと思うと、酒呑童子がその場に崩れ落ちた。

「うあああああっ!!」

 自分の角の付け根を押えて激痛に耐える酒呑童子。
 その角の付け根から額に向かって、鮮血が流れ落ちる。

「……やはり、お前達の急所は、その角の付け根か。他の角を持つ鬼は、全て角の付け根
 には何かしらの防具をつけているものだが……不自然に人間を装いたいお前の中途半端
 な戦いが、自分自身を傷つけたな……さて」

 鷲王が右手で刀を高々と上げて、そして振り下ろす。
 あまりもの激痛に、酒呑童子は動く事もできない。

「さらばだ! 酒呑童子!」
「!!」

 酒呑童子の頭に鷲王の刀が触れる直前、無数の衝撃波が鷲王を襲った。

 鷲王は振り下ろす手を止め、素早くその場を離れると、酒呑童子と鷲王との間の地面に、
無数の傷跡ができる。

「……ホンマ、お前は突っ走りすぎやで。そんな無防備な格好で、本当にあの男に勝てる
 と思っとたんか?」

 にやりと微笑んで、渡辺がふらりと鷲王と酒呑童子の間に割り込んで来た。

「武、このガキんちょの言う通りやで。お前はもう殺し殺されなんぞに首突っ込まんと、
 ただ組織が円滑に動くようにふんぞり返っとりゃええ。……こいつは、ワイがしとめる」
「そういえばもう一人いたな、中途半端なできそこないが……」
「さて……少し遊んでもらおうか、鷲王さんよ」

 渡辺が、愛用の刀、「友切丸」をすらりと抜き、まるで無防備に右手にぶらりと下げた
まま、ふらりと鷲王に向き直った。

 鷲王と渡辺が対峙しているその時、誠に寄り添っていた水波と咲耶に、美姫が気配なく
近付いた。

「水波、咲耶。二人の力を少々借りたい。私の言う通りに動いてくれるか?」
「う……うん。私、あのひとキライ」
「誠さまが助かるのでしたら……」
「そうか……頼む……さて、柊君は……よかった、外傷は酷いが大事はなさそうだ」

 美姫が、誠の目の上にすっと手を乗せ

「止息 静息……」

 とと何度か唱えると、誠の意識が遠のいていった。
 眠りに落ちた誠を撚光とななに任せ、三人は消えた。
 ななが、誠の額を、その肉球で撫でる。

「頼むわよ、三人とも……」

 誠を庇うように抱いた撚光の耳に、刃の交わる音が聞こえてきた。

「ちっ!」

 鷲王は、渡辺の生み出す衝撃波を躱そうとするが、躱した所に上手く彼が割り込ん
でくるために、なかなか反撃できないでいた。
 渡辺が一振りするごとに、無数の刃が生まれ、鷲王に向かってくる。 

「おのれ! ちょこまかと鬱陶しい!」

 鷲王が刀を一振りすると、衝撃波が一気に破壊される。
 破壊した衝撃波に視線を遮られ、鷲王は渡辺を見失う。
 刀を納めて辺りを見渡すが、渡辺の気配を探る事ができない。
 その隙を見のがさず、渡辺は鷲王の懐に潜り込む。

「もろうたで! 鷲王!!」

 渡辺が鋭い斬撃を下段から振り上げる。

「……甘い!!」

 鷲王は一瞬の内に抜刀体勢に入ると、目にも止まらない速さで抜刀する。

きぃん!!

 鷲王と渡辺の刀が交わり、何度も火花を散らす。
 そして、二人ともが吹き飛ばされる。
 渡辺は空中で体勢を立て直し、地面を滑りながら数メートル後退する。

「……ちっ……なんてヤツや……うっ……あかん、見失ったか」

 渡辺は、立場が逆転してしまった事に気が付くも、鷲王が渡辺を捜せなかったと同様、
渡辺も鷲王の気配を全く感じないでいる。

「どうだ? 立場が逆転した感想は」

 渡辺のすぐ後ろで鷲王の声がする。
 渡辺は背中に冷たいものを感じながらも振り向きざまに反撃を加える……が。

「無理な体勢からではまともな斬撃を加える事すらできまい!
 お前の負けだ! 渡辺 綱!!」

 渡辺の友切丸を柄で弾き飛ばした鷲王は、そのまま刀を返して渡辺に斬撃を加えようと
する。
 するとそこに、紙でできた人形が鷲王の視線を遮った。

「ちっ! 今度はなんだ!!」

 苛立つように人形を斬り飛ばす鷲王。
 その隙に、愛刀を拾い上げてその場を脱する渡辺。

 hぉん!!

 渡辺がある程度距離を置いたその瞬間、鷲王の回りに、五芒星がその輪郭を青白く光ら
せながら現れた。

「おっしゃあ! 捕まえたぁ!」

 渡辺が声をあげる。
 そして、鷲王の視界に、美姫、水波、咲耶が現れた。

「くっ……貴様ら!!」
「悪いな、鷲王。『武の親友』という事で大人しくしておったがお前はやりすぎた。すま
 んがここで消えてもらうぞ」

 その言葉に呼応するかのように、水波と咲耶が印を結んで祓詞(はらえことば)を、鷲
王を囲んで合唱する。

《掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓い給ひし時に
 成りませる祓戸の大神等、諸々の禍事罪穢有らむをば、祓え給え浄め給えと白す事を、
 聞食せと恐み恐みも白す》

 鷲王の周りの五芒星が、その白い光りを強くする。

「く……俺を……この場で祓うつもりか!!」

 美姫が礼拝し、神歌を唱える

《ゆくるとも、よいや許さず、縛りなわ 不動の心、あらん限りは》

 鷲王の体がその動きを封じられる。

《行満勝 をんそはか……》

 鷲王の体に衝撃は走る。

「うおおおおおおっ!!」

 鷲王が衝撃に耐えながら、五芒星の中で抵抗する。
 その抵抗で、五芒星の光りがどんどん抑えられていく。

「……そんな!!」

 焦る水波。
 それを抑えて美姫が言う。

「うろたえるな! 続けるぞ!」
「は……はい!」

《ひふみよいなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそおたわくめか…》

「お……おのれ……俺はここでまだ死ぬ訳にわいかん……いかんのだ!」

 鷲王の体が裂け、鮮血がほとばしった瞬間、3人の巫女とは違う所から、祓詞が聞こえ
てきた。

「ほぐれては、解くる不動の縛り縄 ゆるまり来る、元の道」

 その言葉に呼応したか、五芒星がその勢いを緩めていく。

「み……美姫さん、五芒星が!」
「……この不動縛りを解除できる者など……数える程しか……」
「……美姫さま! 鷲王が!!」
「うおおおおおっ!!」

 鷲王が気合いを入れると、五芒星が吹き飛んだ。

「きゃああっ!」

 美姫達3人がその場から吹き飛ばされる。
 そして、体を起こして鷲王を見、そして、我目を疑った。
 息を切らしている鷲王のすぐ上に1人の男が浮かんでいたのだ。
 その男は、平安の陰陽師を思わせる狩衣(かりぎぬ)を纏っていた。


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