『21』


「……あれは……」

 美姫が信じられないといった表情で、鷲王の頭上に浮かぶ男を見る。

「まったく、見るに耐えませんな、鷲王殿」
「俺の邪魔でもしに来たのか、……伊賀瀬!!」
「いえいえ、とんでもありません。あなたがお亡くなりになろうが私にとってはどうでも
 よろしい事。ただ血の迸りが見られればそれで私は満足なのですから……」

 伊賀瀬、と呼ばれた男は、鷲王の頭上で不敵に笑った。

「伊賀瀬……紅葉四天の中でもっとも警戒しなければならない奴が目の前に……よりによ
 って、こんな時に!」

 撚光が歯ぎしりする。

「伊賀瀬……貴様、京都に飛んだと思っていたが?」
「鷲王様があまりにも人間くさい不様な戦いをなさるので、さすがのわたくしもお手伝い
 がしとうなりましてな」
「悪ふざけもやめておけ。紅葉様のお言葉に抗うつもりか?」
「まさか……京都など、すぐ目と鼻の先ではございませんか。それに、紅葉様がそろそろ
 お戻りになるように、と仰っておいででしたが?」
「……ちっ……分かった。遊びはここまでにしておくぞ」

 鷲王のすぐ後ろに歪みが現れる。

「そうそう……素直でおよろしい事で……鷲王様も、五体満足でもありますまいに……」

 鷲王が歪みに入ろうとした時、ふと後ろに気配を感じた。

「……わ……鷲王……」

 誠が撚光の制止を振り切って、鷲王の前にまで来たのだ。

「……柊 誠。貴様の命はもう少しだけ預けておいてやる。次に会う時までに、剣に心を
 持たせておけ。その心を俺が折り、そしてお前は終わる」
 
 鷲王が歪みの中に消える。
 それを確認した伊賀瀬が、ゆらりと誠の目前に近付いてくる。

「これはこれは……なかなかよい目をしていらしゃる。だが……これでは鷲王様はもとより、
 この伊賀瀬にも勝てますまいなあ」

 伊賀瀬が右手をすっと差し出すと、誠は右手から放たれた衝撃で吹き飛ばされた。

「ぐはっ」

 誠が地面に這いつくばり、そこに撚光や水波達が駆け寄る。

「ほほほ……では、私もこれより仕事がございますので、失礼致します。……ああ、あな
 た方のお相手は……そうそう、これがよろしいでしょう……おるか、八面鬼!」

 ずずず、と、空間の歪みより、1人の鬼が現れた。
 武士の甲冑のようなものを身に纏い、頭には一本の太く短い角があった。

「お呼びでございますか、伊賀瀬様」

 恭しく鬼が答える。

「柊 誠の戦いは見ておったか?」
「はは、この目でしかと」
「では、使えるな? 柊 誠の使う、夢想神伝流……」
「おまかせください、伊賀瀬様」

 その言葉を聞き、伊賀瀬は満足そうに微笑むと、誠を取り囲む者達へと語りかける。

「これからは、我が式神、八面鬼がお相手致します。この八面鬼、他人の技や戦い方を模
 倣するのが上手うございましてな。先程の柊 誠様の戦いを見て、ほぼ覚えたと申して
 おります」
「な……なんですって!」

 八面鬼が、抜刀の構えをし、そして撚光達の方へと凄まじいスピードで向かっていく。

「何か『覚えた』や! ふざけるな!!」

 渡辺が迎え撃つものの、その一撃目の刃をするりと躱した八面鬼は、そのまま体を渡辺
の横で回転させると、遠心力の効いた一撃を、渡辺の背中に食らわせる。
 渡辺は必死で身をひねり、致命傷はさけるものの、その肩からは鮮血が飛び散る。

「……あれは……虎巻か!!」
「覚えた……と、そう申しあげたはず……」
「夢想神伝流を……覚えたやて!?」


「……うそ……まこととおんなじ……」
「……まずいわね……まさか、こんな奴が……」
「ほほほ……どうやら、お気に入り板だけましたようで、この伊賀瀬も嬉しゅうございま
 す……では、私はこれにて」

 伊賀瀬も、鷲王同様、歪みの中へと消えていく。

 八面鬼は、再び構えをとる。それは、誠がいつも構えるものと寸分違わぬものだった。
「ま……待て! 行かせへんで!」

 伊賀瀬を追おうとする渡辺を、八面鬼が遮る。

「どかんかい!」

 八面鬼は、まるで感情がないかのように刀で渡辺の一撃をいなすと、刀を回転させ、柄
で渡辺の咽に強打を食らわせる。
 呻いて蹲る渡辺。
 まさに、誠の戦いを真似ている、いや、同じと言える八面鬼に、その場にいた者が驚愕
を隠しきれないようだった。
 八面鬼が、渡辺に向かい、抜刀の体勢をとる。
 敵がどうなっていようと最後まで油断せず、技で相手を倒す。誠の戦い方だ。
 そして、八面鬼が無言のまま抜刀、渡辺に刃が届くと思われた瞬間、済んだ鋼の音とと
もに、それは大きく弾かれた。

「た……武……げほっ」
「綱、誠君や水波ちゃん達を連れて行ってくれ。撚光、美姫、結界の再構成を頼む」
「武……お前はどうするのだ!」
「このふざけた鬼を始末する」
「……お前……いいのか?」
「……人間と鬼とがなんとか折り合えるような世の中を俺は模索してきた……だが……そ
 れは、時期尚早なのかもしれない」
「……武」
「いくで! 誠君をこのままにしておけん!」

 渡辺が、皆をせかす。
 撚光が誠を抱え、それにななと水波、咲耶が寄り添う。
 その後ろを、酒呑童子、渡辺、美姫が守りながら神社内へと後退していく。
 武は、八面鬼と対峙し、そして抜刀の構えをとった。

「本物の《夢想神伝流》を見せてやろう」

 武がそういうと同時に、八面鬼は武へと襲い掛かった。
 八面鬼の技が届くよりも速く、武の抜刀は確実に八面鬼の喉元を捕らえていた。
 が、刃が届くよりも速く、八面鬼はその体を踊らせて回避する。
 そして、回避しながら、八面鬼はにやりと微笑すると、先程の武と同じ抜刀を行ってき
た。
 その抜刀を、武は切っ先で受け止めた。

「!!」

 これにはさすがの八面鬼を驚きを隠せなかった。
 切っ先で相手の剣劇を止めた武は、そのまま刀を滑らせて弾き、突き、そこから薙ぐ。
 寸での所で躱し、再び距離をおく八面鬼。

「さすがに、自分の身体能力を超えるものまでは真似できんようだな……さあ、次はどん
 な真似芸を見せてくれるのかな?」

 八面鬼は宙へと舞い上がると、刀を一振りした。
 するとそこから無数の刃が武へと向かって来た。渡辺 綱の衝撃波を真似たのだ。

 ずどどどどん!!

 八面鬼には、武は衝撃波を直撃したかのように思えた。
 これでは、五体満足ではいられまい、と、にやりと唇を歪めたその時、八面鬼は今まで
伊賀瀬や鷲王などからしか感じた事のない、強烈な殺気を感じて、身を固まらせた。
 ……土埃の中から、まるで鬼のように輝く鋭い眼光が見え、八面鬼は動けなくなる。

「……それで終わりか」

 静かに問いかけるその声だけで、八面鬼は真似事では表現できない迫力をその身に感じ
取った。

「所詮は真似事だ」

ばきばきばきっ!!

 八面鬼の足下に、強い衝撃で深さ数メートルにもなる裂け目ができ、その衝撃で八面鬼
が吹き飛ばされる。
 土煙りの中から、静かな殺気と圧力を身に纏い、武が現れる。
 それは、まさに天龍八部衆の長にして、鬼切役総帥、蒼真 武その者であった。
 八面鬼が抜刀し武の体を傷つけようとするも、片手で、凄まじい速さでそれを弾きとば
し、武はあっという間に体勢を整えて八面鬼の体に斬り付ける。

どん!

 八面鬼の胸のあたりから鮮血が飛び散る。
 だが、甲冑のおかげで致命傷にならなかったのか、八面鬼はよろめきながら武から離れ
ると、木々の間へと姿を消した。
 自分が真似できない、その者にしか持ち得ないものを目の当たにして、分が悪いと踏ん
だのだろう。
 分は、八面鬼の気配が消えたのを確認してから、刀を納めた。

「八面鬼は、今度こそ誠君をねらってくるだろう……それまでに彼が、どこまで自らと向
 き合い、戦うべき理由と心を見つけられるか……時間がない……やはり、『帰る』しか
 ないか……あの場所に」

 武はそう呟くと、皆の待つ光基神社へと戻って行った。

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「随分とやられたな、鷲王」
「貴様もな、鬼武」
「何だと?」
「まさか、上泉伊勢守秀綱ほどの者を相手にして、剣士として誉れ高い貴様がおめおめと
 逃げ出したのではあるまいな」
「おのれ……言わせておけば……」
「やめぬか貴様ら。紅葉様の御前なるぞ」

 熊武が、鷲王と鬼武を制止する。

「まあ、よいわ。鬼武、鷲王、ようやってくれた。我々の計画を何も知らずに使われたあ
 の政治屋どもは全て始末でき、そして鬼切の重要拠点の光基神社は壊滅状態……。伊賀
 瀬は京都に入り、大嶽丸様の居所も突き止めたようじゃ……。さらに、紅桜の所有者で
 ある咲耶は、鬼切役と行動を共にしており、今なら思う存分に事を運ぶ事ができよう…
 …のう……一生殿?」
「はい……仰る通りでございます、紅葉様……」
「……この男……いつの間に……」

 鬼武が驚いてそう呟く。

「紅桜を、元の姿……血を求める食人樹へと変えるには、多く人間の悲鳴を聞かせ、血を
 吸わせればよろしいでしょう。そして、最後に所有者の血を狂った段階で吸わせれば」
「あの桜は我が元へと戻ってくる……」
「そのために、村岡の装甲機動兵団は、かなり使える玩具と言えるでしょう。……すでに、
 彼等は護衛艦を伴って、あの天水村へと向かっています。あの場所は海が側にあるゆえ、
 戦術的にも色々な戦い方の実践演習が行えます」
「新選組やシヴァリースがまだ残っている。……事はしっかりと運ぶのだろうな、一生」

 鬼武が一生に疑問の声をあげる。

「大丈夫です……コマは用意してございます」

 不敵に笑う一生を無気味に感じたか、鬼武は舌打ちして視線をずらす。

「すべては……妾の思い通り……大嶽丸さま……もうしばしお待ちくださいませ……すぐ
 に、そのお美しいお体を蘇らせてさしあげまする……」

 紅葉は、能舞台のような祭壇の奥にある神棚に恭しく頭を下げた。
 それを身ながらも、なお一生は不敵に微笑むだけだった……。

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「ねえ!こっちの方角だったよね!」

 可愛らしい声がする。
 短い金髪に、タンクトップにジャケットと、動きやすい格好がよく似合っている。

「……姫が任せろというから付いて来たのに……姫、ここは天水村ではないぞ、聞いてい
 るのか、姫。姫はいつも迷うから……」
「ああ、もう! ひめひめうっさいわね! じゃあここドコなのよ! さあ、キリキリ説
 明しなさい! きりきり」

 黒髪の少年と言っていいほどの、まだあどけなさを備えたお付きの者が、ため息混じり
に答える。

「……じゃあ言おう。ここは京都だ」
「……は?」
「きょ・う・と……だ」
「……ちょっと! なんで言わないのよガラハド!」
「姫が任せろというからだ」
「ああーー! もう! ミハイルに遅れをとるなんてあたし絶対ヤだかんね」
「嫌と言われても仕方があるまい。ここにも、器使いの拠点はあるはずだからな。そこで
 色々と説明を聞こう」
「……ねえ、あんた、何さっきから主導権握ってるのよ」
「わが盟主、ミハイル皇太子殿下より、しっかり見張るよう言い付かっているからだ。そ
 れはお分かりだな、プリンセス・グネヴィア」
「むかー! あんた、私よりアイツの言う事聞くワケ!? あっ、もしかしてアンタって
 ……ホモ?」
「違う。あの方が我が主君だからだ」
「……なんか……ねえ……健全じゃなぁ〜い。それって、ニッポンのオタク用語でヤオイ
 って言うんだっけ?」
「全然言わない」

 グネヴィアは、はあ、とため息をつき、自分の方向音痴を呪いながらも、新選組を探し
て歩き出した。

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「どうしました? 精一郎さん」

 桜舞う縁側で一人佇む夫に、文が語りかける。
 そんな妻に、精一郎は、静かに微笑みながら呟いた。

「誠が……帰ってきますよ……」
「……そう、誠が……」
「おや、息子さん、お戻りになりますか」

 二人の側に、初老の男が、活き活きとした目でにこやかに言う。

「また、お引き合わせ致しますよ、塚原さん」

 縁側の桜が、朝の涼やかな風で散り、舞う。
 そんな姿を見ながら、精一郎は呟いた。

「息子としてではなく、我が弟子として、また手合わせでもしてやるとしよう」

 二人は縁側で静かに空を見つめていた。
 そこは、誠達のいる、光基神社の方角だった。


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