『28』


「君は……シヴァリースだな」
「シヴァリースだって……!?」

 馬越が呟き、道場の中がざわつき始める。
 彼等新選組の平隊士にとって、シヴァリースなどというものは、決して身近なものでは
ない。
 彼等は、ヨーロッパの器使いのシンボル的な存在であり、そして世界最強の実力を誇る
と言われた戦闘集団だ。
 それが、まさか京都まで赴いて、しかも素顔をさらして他流試合を受け入れるなど、と
うてい理解しがたいものだ。
 そのシヴァリースの話を聞いて、ざわめくのも当然だった。

「……そうだ。僕の名はガラハド。シヴァリース、NO13、ガラハド。そういえば、名乗
 る事を忘れていた、失礼」

 ガラハドは、そう言うと、井上に対して一礼してみせた。

「……何だか面白い若者だな。まあ、よろしく」

 井上はそう言って笑いながら、壁にかけてあった木刀を一振り持ち、そのひとつをガラ
ハドに投げてよこした。
 平隊士達はまだ、呆気にとられたような表情を浮かべている。

「さあ、やろうか」

 井上は、先程まで、自分と愛次郎との戦いを見ていたはずだ。
 そして、ガラハドが愛次郎を負かしたから、面子のために上に立つ井上が出てきたのだ。
 ガラハドは、そう思っていた。
 ふん、小さい男だ……と。
 だが、部下をやられても顔色ひとつ変えずに余裕の表情を見せ、まるで試合を楽しむか
のように、その口元は弛んでいる。
 口元の髭の端が、微妙に上に向いているのを見て、ガラハドは思った。
 ……本当に強いのか? もしや、さっき感じたのは単なる気のせいなのか? 
 いや、この男は、隊長を勤める男。すべては、戦ってみれば分かる。
 ガラハドは、そう自問自答した。
 そして、愛次郎の時と同じく、道場の中央で井上と向き合い、先程と同じように右手で
木刀を持ち、左足を少し後ろに下げ、体の中央へその右腕をもってきて、剣先を下げる。
 左腕を肘を曲げたままで頭の上へと移動させる。
 そして、ぐっと腰を下ろし、臨戦体制を完成させる。
 井上は、剣先をガラハドから見て少し左にずらし、刃の部分は真下ではなく、少し体の
内側に傾いている。

「ああ、最初から全力できていいぞ。愛次郎の時のように手は抜くな」

 構えたままで、ガラハドは目を剥いた。
 道場の端で二人を見つめていた平隊士もまた驚いた。
 全力ではなかったのか。
 平隊士達は、うすうすは感じ取っていた。本気ではないかもしれない、と。
 それが確信に変わり、全力で相手をしてもらえなかった愛次郎を気の毒に思いながらも、
改めてガラハドを強いと感じた。
 ……だが、井上も、あの土方副長や、近藤局長が一目おく人だ。
 平隊士達は、井上に、愛次郎のあだ討ちを、心の奥で願っていた。

「……では、遠慮なくいかせてもらう。僕の全力の剣捌きに、後で後悔してももう遅いぞ」
「ごちゃごちゃと舌が回る小僧だな。さっさと来い」

 小僧と呼ばれて勘に触ったか、ガラハドはぐっと腰を下ろすと、鋭く剣先を突き出
してきた。


「速い!!」

 馬越は思わずそう呟いた
 もし剣の素人であれば、何が起こったか分からないまま、同体を貫かれてしまっている
だろう。
 愛次郎も、ひとたまりもなかったはず。
 そう思わせるほど、ガラハドの突きは鋭く、速かった。
 ……だが、井上はその剣先を、笑みを浮かべたままで自分の切っ先を少しずらすだけで、
簡単にいなしてしまった。
 ガラハドは再び驚いた。
 井上の体は、まるで元の立ち位置から動いていない。
 なのに、自分の剣は、井上と全く違う方向に突き出され、流されていく。
 井上のあの少しだけ剣をずらしていなした行為が、凄まじい剣撃であった証拠だ。

(あんなに少ない動作で、これだけの剣撃を躱すと言うのか……)

 井上は、自分の左側で体制を崩しかけていたガラハドに向かって、すっと構え直してみ
せた。
 その時、ガラハドはぞっとした。

(……隙が……全くない)

 どこに突きをくり出そうとも、必ずいなされる。
 ガラハドが、井上と戦うの相応しい実力をもっているからこそ分かる事であった。
 ガラハドは幾度となく突きをくり出すものの、紙一重で躱されるか、もしくは確実にい
なされて、全く有効打を相手に与えられない。
 再び構え直して剣先を井上に向けたものの、どこに突いたらいいのか、ガラハドは分か
らなくなった。

「どこに突きを出したら良いか、分からなくなったかな?」
「くっ」

 その井上の言葉に、ガラハドはただ黙っているしかできない。

「突き、と言うのはな」
「………っっ!!!」

 言うのはな、と言葉が発せられた瞬間には、ガラハドの眉間数センチの場所に、井上の
剣先が止まっていた。
 ガラハドの頬に、冷や汗が流れる。

「こう突くものだ」

 ガラハドが一瞬井上の剣先に意識を集中させたその刹那に、井上は左手に持っていた木
刀をくるりと回転させて一歩踏み出し、、柄の端……鵐目(しとどめ)で、強烈にガラハ
ドの顎を突き上げた。
 脳天を突き抜ける強烈な一撃で、コンマ数秒周りが白くなる。
 だが、すぐに体制を整え、ガラハドは再び突きをくり出そうとする。
 が、その時。

「おおおおっ!!!!」

 井上が大きく吠えた。
 ガラハドだけでなく、その場にいた全ての剣士が、威圧、という風を体に感じて一瞬動
きが止まった。
 その一瞬の間に、井上はガラハドの間合いに入り込み、鍔元でガラハドの剣を上に弾き
飛ばすと、素早く剣先を左に回転させて、左から横薙ぎにガラハドの胴を打ち付けた。

「ぐはっ!!」

 ガラハドは数メートル吹っ飛ぶ。
 ……だが、井上の一撃がしっかりと入っていなかったのか、ガラハドは再び立ち上がっ
て木刀を構え直した。

「おや、今、奇妙な感触があったな」

 そう呟くと、井上は再び構え直す。
 ガラハドは、そんな井上を睨むと、絞り出すように言った。

「僕は負ける訳にはいかないんだ。不吉と言われる13を受け継ぎし我が家系が倒れれば
 ……円卓の騎士にも亀裂が生じる……僕は、絶対に負けられないんだ!」

 そう言うと、ガラハドは先程までよりも腰を下げ、井上に突きをくり出してくる。
 瞬発力は、先程よりも増している。
 だが。

「突きが鋭ければ鋭い程、その軌道は変え難いものだ」

 また紙一重で、井上はガラハドの突きを躱す。
 
「だが、我が天然理心流……いや、新選組の剣は」

 すっと、井上が足を踏み出したかと思うと、

「千差万別臨機応変」

 そう言って、突きをくり出した。
 ガラハドも伊達に騎士をやっていない。
 先程の不意打ちである程度の間合いを見計らって、井上の突きをなんとか紙一重で避け
切った。
 だが、井上は一瞬にやりと微少すると、そこから急激に剣の方向を変え、ガラハドを薙
ぎ払った。
 ガラハドが、またもや吹っ飛ぶ。

「愛次郎の時に、さんざん見た攻撃だと思うがな。突きを躱すのに精一杯で、その後の変
 化に対応できなかったかな?」
「……くそっ……まだ……まだだ!」

 ガラハドは、またゆらゆらと立ち上がった。
 その瞬間、何か銀色に光るものが、一瞬ガラハドの前に浮かんで消えるのが見えた。

「……あれはもしや……噂に聞く、あれか?」
 
 井上はそう呟くと、ガラハドに語りかける。

「ガラハド君。君は騎士として……いや一人の人間として、まだまだ未熟なようだな。だ
 がその未熟さは、己自身の弱さからくるものだという事を、君自身は分かっているかね?」
「……何が言いたい」
「君が、人知れず隠している、その《盾》だよ」
「!!」
「……やはりな」

 平隊士達は、井上が何を言っているのか分からない。

「……盾だって??」

 馬越も、注意深くガラハドを見るが、そんなものをガラハドが隠し持っているようには、
全く見えなかった。
 ガラハドは、井上をきっと睨んで言う。

「僕は……絶対に負ける訳にはいかない。 無鉄砲に特攻をかけるカミカゼ日本人とは違う!
 僕には盾が必要なんだ」
「酷い言われようだな」

 井上はふっ、と一瞬微笑むと、ガラハドを真正面から見つめる。

「……それは保身、と言わないかね? ガラハド君」

 その言葉に、ガラハドはぐっと詰まる。
 そのガラハドに対して、井上は再び木刀を構える。

「本来ならば、他の隊士にも使った事のない技だ。それで、君が盾を使い続ける事の間違
 いを気付かせてやろう」

 井上は構えを取り、ガラハドも、再びフェンシング独特の構えになる。
 そして、数秒の沈黙の後、先に動いたのはガラハドであった。
 ガラハドは、的確に、かつまるで針山を叩き付けるかのごとく、何度も井上に突きを繰
り出していく。
 だが、井上はそれを躱し、いなし、そして一瞬、ガラハドの視界から消えた。
 ガラハドが驚いて視線を他へと移したその瞬間、ガラハドの前と後ろから、井上の気配
がして、彼は、視線を戻した。
 井上がいる。
 彼は、ガラハドの前で、木刀を気合と共に振り下ろした。
 あまりもの衝撃に、彼は木刀を構えて守りに入る。
 その時、大きな鋼のぶつかりあうような音が鳴り響いた。
 その瞬間、ガラハドは自分の後ろに気配を感じた。
 井上が、いつの間にかガラハドの後ろにまわりこんでいたのだ。
 ガラハドは守りに入ってしまい、体制を整えるのが間に合わない。
 井上の横薙ぎを、何とか無理矢理体制を整えたままで受け止めようとするガラハド。
 その時、平隊士達はあっ、と声をあげた。
 ガラハドの正面に、銀色の十字の赤いラインの入った盾が現れたのだ。

「な……何なんだ! あの盾は!」
「いきなり現れたぞ!!」

 平隊士達が、口々に驚きの声をあげた。
 井上は、隊士達の声が響く中、その盾に、思いきり木刀を叩き付ける。
 ガラハドは、盾とともに弾き飛ばされ、道場の壁に叩き付けられた。
 片膝をついたガラハドの目前に、井上の剣先が差し出される。

「天然理心流、双龍剣。……分かったかね? 危ない時にただ守るだけで逃げている君の
 剣には、何も心がこもっていないんだよ。」

 井上は、剣先をガラハドに向けるのをやめ、そして、和歌を口ずさんだ。

『荒海の 水につれそふ浮鳥の 沖の嵐に 心動かず』

 ガラハドは、いきなり何やら呪文を唱え始めた井上を訝しそうに見る。

「つまり、だ。天然自然と相対し、変化する諸々の状況に応じて自分の技を使えるように
 なれ、という事を短くまとめた和歌だ」
「それと、今の僕とどういう関係がある」

 ガラハドは、片膝をついたままで井上に訪ねる。

「……君は、今のように、危なくなればすぐに盾を使おうとする。もちろん、自分の身を
 守るために盾を使うのは間違いでは無い。だが、君の場合はそれに頼りきり、剣がくり
 出される度、盾で自らを防いでいた。」

 ガラハドは、井上から視線を外す。

「……そこに生じる安心感はいずれ油断に繋がり、君の剣は、今以上の進歩をやめてしま
 うだろう。君の剣には、我々が持つような、何かに対して向き合う誠実さがまるで感じ
 られない。『盾があるから何とかなるだろう』……そういつも思っていたのではないか
 ね?」

 ガラハドは言葉に詰まる。
 そんな彼に、井上はさらに語りかける。

「変化する戦いの中で、君はその変化に対応せず、全てを盾に守られて戦ってきたのでは
 ないかね? それでは、いつか君は盾が壊れると同時に自滅するぞ」
「それで何が悪い! 僕は自分を守るために、最善の方法で戦ってきた! それを、あな
 たにとやかく言われる筋合いはない!」
「だが……私は君の盾を見抜いた。君を守るためだけに現れ、いつもは影のように見えな
 い盾を。……言っておくが、私は組長十人の中では弱い方なんだ」
「……な」
「もし、君と戦ったのが、一番、二番、三番の組長だったら……君は、盾の秘密をあっと
 いう間に見抜かれて、今ごろ砕けた盾ごと、病院の集中治療室に運び込まれただろうな」

 ガラハドは、悔しそうに視線を下げた。

「ふ〜ん、だからトリスタンじゃなく、あんたが付いてくる事になったんだ」

 いきなり道場に響く少女の声に、一同、道場の入り口に視線を移す。

「ねえ、ガラハド、知ってる? お兄様がねえ、ガラハドを日本にいかせるのは、サムラ
 イに鍛えさせるためだって言ってたのよ」
「……姫!」

 ガラハドに呼ばれたグネヴィアは、後ろに山南と伊藤の新選組の参謀二人を従えて、

「だって、あんた、臆病だしね」

 そう言って、にっこりと微笑んだ。



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