『14』


 場所は再び京都。

 鳳凰堂に鬼が現われたという情報を聞きつけ、京都には数十人と少ないものの
自衛隊や警察の協力を得て、新選組隊士が目を光らせていた。
 数がここまで少なくて済むのは、歪みの数がかなり少ないためで、器使いの総
数が少なくても対抗できているのは、このためだ。
 中核をなす新選組隊士は全て天水村に向かっていたが、居残り組が戦闘能力が
劣ると言う訳でもなく、非常事態を任された者達は、急ぎ平等院鳳凰堂へと向か
っていた。
 
「ねえっ、そのなんとやらな寺ってまだなのっ」
「なんとやらではなく、平等院鳳凰堂です、姫。しっかりと覚えないと、戦闘で
 苦労をする事になると、僕を始めとして騎士たちはいつも口をそろえて……」
「あああっ、ガラハドうっさい!」
「うるさいのは姫では……」
「むきー」
「で、なんでそんなに荒れとるのかね」

 井上が京都の街を走りながらお姫様に尋ねる。

「だってー、もうかれこれ十分以上走ってるじゃない。こんなの、車かバイクで
 ばびゅーん、って飛ばしちゃえばスグじゃない」
「そういう訳にもいかんのだ。鳳凰堂の周辺は大量の遺体と血の海、ヤジ馬に警官
 と、それはもうなかなかの見応えらしいからな。しかも、そこに至るまでの道路
 は全て交通規制がかかっている。その中に車で乗り付けるという事は……」
「と、言う事は……なに?」
「つまり、何重もの交通規制の警官に話を通し、野次馬を通り抜け、血の海を渡り、
 さらに鳳凰堂の中にいる警察官にも話を通さなければならない。それを、車で乗
 りつけてすり抜けるのは、時間の浪費だという事だ、姫」

 ガラハドは淡々と言う。

「ガラハドに言われると、なんかムカつくー」
「なんですかそれは」

 グネヴィアはぷい、とガラハドから顔を背けてしまう。

「お目付け役というのも大変だな」
「ええ、全くです。早く殿下にお守を代わって頂きたいものだ」

 井上の労いに、ガラハドはため息まじりで答えた。

 パトカーのサイレンと、人々のざわめきが徐々に大きくなり、道路を走ってい
く人々や渋滞した事に苛立つドライバーの怒鳴り声を横に聞きながら、その間に
も彼等は風のように京都の街を駆け抜けていく。

「ねえねえ、それでさ、あのコミコミの人を避けて、どうやってお寺に入る訳?」
「平等院へは、裏道を通ります」

 お姫様の後ろから、野太い大きな声が聞こえてきた。
 彼女の背後に、大男がどすどすと地響きを立てながら走っていた。
 松原 忠治である。

「裏道なんてあったんだ」
「昔に鳳凰堂を復元、修復する工事が行われた事が何度かあったのですが、その
 時に作られたものの名残です。現在は使われてはいませんが、それ故に絶好の
 侵入場所になります」
「なるほどね、んじゃ、れっつごー」

 グネヴィアは張り切って右手を振り上げると、走る速度を上げていく。
 彼等の身体機能は、器使いとして覚醒した時から大きく向上している。
 息をほとんど切らせる事もなく、彼等は古びた昔の風情の残る街角を凄いスピ
イドで駆け抜けた。

 と。

 角を曲がった先に、不意に人陰が現われた。

「んきゃーーー!!!!」
「うおっとぉ!!」

 そこにあった人陰が、とっさに身を交したおかげで追突は免れたものの、グネ
ヴィアはすっ転んでころころと前転してしまった。

「いったぁーーーー何なのよもーーーー」

 グネヴィアは体の埃を払いながら立ち上がると、追突しかけた人物を睨む。

「おっと、俺は何もしてないぞ、お嬢ちゃん」
「もー、気を付けてよねっ。アザになっちゃったじゃない」
「いやぁ、すまんすまん。しかし、そんな格好で、あんたら何処へ行くんだ?」
「もち、鬼退治よ!」

 びし! と、指を男の顔前に突きつける。

「いや、俺ぁ鬼ではないんだが……そうか、新選組か」

 その視線の先にいた人物は、よれよれになったスーツに、これまたよれよれ
のシャツにネクタイの男。
 その顔つきは、無精髭を生やし、帽子を目深にかぶっているから、表情が余
り読みとれない。
 どう考えてもうさん臭さ爆発であったが、今はこの人物に関わっている暇は
ない。
 新選組と姫様、そしてそのお付きは軽く一礼すると、またすぐに駆け出した。
 男は彼等を見送りながら、またふらふらと歩き出した。
 新選組の面々は、彼の存在にあまり気を遣っていないようだったが、一人、
井上だけが違う反応を見せた。

(あの男……どこかで見たような……)

 井上はそう擦れ違い様に思ったものの、今優先すべき事は鳳凰堂と割り切っ
てまた駆け出す。
 男はちらりと彼等を見やると、すぐに視線を戻して歩き出した。





 彼等は交通規制を行う大通りを避け、細い道を回りこみながら鳳凰堂へと
徐々に近づいていった。

「見ろ!」

 突然、井上が指を刺す。
 そのには、黒い煙りが上がっているのが見えた。

「まさか……燃えているのか! 鳳凰堂が!」

 山南が驚きと悔しさを混ぜたような口調でつぶやく。

「国宝を燃やすとは……何という……」

 松原も声に悔しさをにじませる。
 各々が鳳凰堂で起こっている出来事を想像し、表情を歪めながらも、足を
早めてその場へと向かう。

 そして、彼等はその場所にたどり着いた。
 
 ……絶句。

 全員が、声を失い立ち尽くした。
 真っ赤な化け物が、そこにうごめいているかのような強烈な炎が、辺り一面
を覆い尽くしていた。

「ぜ……全焼……」

 喉から絞り出すようにして、山南が声を発する。
 平等院に咲き誇っていたはずの桜の木々は見る陰もなく焼けこげ、鳳凰堂の
屋根にある鳳凰は、真っ赤な火を反射して、今にも命を得て飛び立ちそうであ
る。
 鳳凰堂は、数多くの火事を免れてきた建造物である。
 南北朝時代、1336年に足利尊氏との戦いで楠正成が宇治に火を放ち、宇治
は一帯が焼けの原になった。
 だが、多くの堂塔が消失する中で、鳳凰堂と観音堂だけは奇跡的に焼失を免
れたのだ。
 その後の公家の衰退の後も、宇治在郷の茶師や、時の有力者によって、この
建造物は長い間維持がなされてきた。
 無論、その地下に眠る秘密を完全に隠したままで……。
 ……だが、その歴史的建造物は、今は見る陰もなく燃え盛っていた。

 炎の勢いはあまりにも凄まじく、活発元気なグネヴィアも口を手で抑え、
ただ揺れ動く炎を凝視するだけだ。
 
 と、山南が、炎の中、鳳凰堂の正面にあったはずの乾いた池の跡に、一つの
人陰を発見した。
 山南の視線に皆が気が付き、その先にいる人陰に目をやり、さらに各々が
驚きの表情を浮かべた。
 人の生首の髪の毛を掴んだままの一人の青年が、不気味に笑いながら彼等を
見つめていたのだ。 

「な……なに、あれ……」

 不快さを隠せず、グネヴィアが言葉を漏らす。
 青年は、持っていた生首を炎の中に投げ捨てると、新選組の面々の元へと、
音もなく近づいてきた。
 建物の燃え盛る音によって足音がかき消されたとも思えるが、音もなく近
づく様は不気味で、彼等は思わず身構えてしまう。
 井上、山南が前へ一歩足を踏み出す。
 ガラハドがグネヴィアを庇うように前に出る。
 そんな彼等を面白そうに見ながら、青年が言葉を発した。

「遅かったな、新選組。……おや……珍しいお客様が紛れこんでいるようだな」

 青年が笑顔のままで、ガラハドと、その後ろにいるグネヴィアを見る。

「この火災は、お前が引き起こしたものか」

 ガラハドが、その視線に動じる事なく言い返す。

「そうですが? それがどうかしましたか」

 青年は、まるで悪びれもせず、そう言い放つ。

「貴様! 日本の宝である鳳凰堂を、よくも燃やしてくれたな!」

 今度は後ろに続いていた島田 魁が、大きな声で怒鳴る。
 が、これにも青年は動じる様子もない。

「宝? このいまいましい建物が、日本の宝だと? フハハハハハハハハ!!
 笑わせるな、犬どもが! こんなもの、宝でもなんでもないわ!」
「な……なんだと!」

 青年の言葉に、島田が思わず言葉に詰まる。

「こんなもの、平安のボンクラ公家どもが、自分の保身を図り、自分の名声
 を高めるために作り出した、自分勝手で! 独善な! どす黒い欲望のつ
 まった、ただの廃屋でしかないわ」

 そう言った青年の表情は、美しい顔からは想像もできないほどに不気味さ
を発散させていた。

「……あなた……鬼ね!」

 グネヴィアの言葉に、青年はにやりと唇を歪めた。

「……お前達の分類分けで言うなれば、第三種に位置する鬼、という事にな
 りますな」
「あなたの狙いは何!? また、人を食らって人身を惑わすの!!?」

 そのグネヴィアの言葉に右の眉を少しつり上げて面白そうにまた微笑む
と、まるで呆れたように両手を広げて首を振った。

「全く、これだから人間というのは愚かだ。自分に理解できないものは全
 て悪。そして悪いと決め付けると、その感覚から抜け出せず、その後は
 ステレオタイプに相手の価値を悪いと決め付ける。ふん、最低ですよ、姫様」
「な……なんですって!!」

 前に出ようとするグネヴィアを、ガラハドが腕で制する。

「お前の狙いは何だ? まさか、火を付けただけでお仕舞い、という訳では
 ないのだろう?」

 山南の言葉に、青年は視線を動かす。その先には、山南がいる。

「……そうとですも。我が目的は御首(みしるし)でございますよ」
「……そうか……それでは、やはりお前が……!!」

 青年は不気味に微笑んだまま、腰を折って一礼した。

「……そう……お初にお目にかかる。我が名は伊賀瀬。紅葉四天が一人、
 伊賀瀬」

 その台詞の瞬間、刀を鞘から抜き放つ音が幾つもグネヴィアの耳に聞こえ
てきた。
 青年の後で燃え盛る鳳凰堂の一部が崩れ、大きな音をたてる。
 そして、それにより、さらに火の粉が舞い上がり、青年……伊賀瀬の顔を
さらに赤く染めた。

 炎の中で揺らめき不敵な笑みを浮かべるその男の瞳の中には、器使いの発す
る青白い光が瞬いていた。




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