『16』


 平等院鳳凰堂にはとある伝説があったようだ。それは、
『あそこには、鬼の遺骸が残されている』
というものだ。
 実際にはそのようなものはまゆつば物で、鳳凰堂自体にそのようなものは
納められていないし、そのような記録は一切残されていない。
 しかし、それは表向きのものであり、一部の人間しか知らされていない秘
密がこのお堂にはあったというべきか。
 広い洞窟の内部には社があり、蝋燭に火が灯されていた。
 
「やっと……ここまできたか……見つけましたぞ、紅葉様」

 伊賀瀬はそう言うと、首を高々とかかげて、まるで酔ったように顔を綻ば
せた。
 その首には、幾重にもお霊苻が張られており、その霊苻の間からは黒い艶
のある髪の毛が覗いていた。

「なに……あれ。あれがアイツの探してたものなの?」

 グネヴィアはその首を気持ち悪そうに一瞥すると、意見を問うかのように
ちらりと山南を見た。

「あれが、日本を混乱に貶め、坂上田村麿呂に倒されたという蝦夷の鬼神……
 大嶽丸の首です」

 グネヴィアは首を傾げて思案する。

「……そのおおたけまる、っていうのが、私達にとって一番重要な敵って事
 なのね」
「その通りです。大嶽丸は数多くの鬼を従え、さらに自らも百人、いや千人
 もの武に匹敵すると言う武勇の持ち主……。鬼切役幹部や、円卓の騎士で
 あっても、おそらく一対一ではまず勝ち目がありません」
「うそ! それってヤバいじゃん! それを生き返らせようとしてるのなら
 早く止めないと!」

 グネヴィアが白木の杖を伊賀瀬に向かって掲げる。

「もう遅い。ここから、全てが始まるのだ」

 伊賀瀬はにやりと微笑すると、挑発するかのように呟く。
 そしてなにやら呪詛を唱えると、首に貼られていた霊符がパリパリと乾い
た音をたてて剥がれ落ちていく。

「い……いかん! とめるぞ! 島田、前へ!」
「おおっ!」

 島田と山南が前に立ち、後ろからグネヴィアと盾を構えてガラハドが一斉
に伊賀瀬に襲い掛かる。

「ふ、無駄なこと」

 伊賀瀬はそう言うと霊符を翳して横に振る。
 すると見えない《何か》に遮られて四人が吹き飛ぶ。

「ちぃっ! 奴め、力をまだセーブしていたのか!」

 島田が歯噛みしながら伊賀瀬を睨み付ける。
 その間にも霊符は次から次へと剥がれ落ち、そこから髪の毛がはらりはら
りと垂れていく。
 この首の髪の毛は、かなりの長さのようだ。

「姫、ここは僕が盾を翳して突っ込みます。姫はその間にできた隙を突いて
 ブランク・ルーンを」
「オッケー、わかった!」

 気合とともに、ガラハドが盾を翳して伊賀瀬に特攻をかける。
 伊賀瀬は一度霊符を横に振る。
 見えない壁が砂塵を捲き上げながらガラハドに向かってくる。
 が、ガラハドが盾でそれを受け止めると、赤い十字のラインが輝きだし、
壁を弾き飛ばした。
 その盾の影から、グネヴィアが飛び出し、白木の杖を翳す。
 ルーン文字が白木の杖を囲ったかと思うと、それは白い光の線となり、伊
賀瀬に向かって突き進む。
 伊賀瀬はにやりと微少すると、素手でそれを受け止め流れを変え、自らは
後ろに飛び退り直撃を免れる。

「ほほう、それがかの有名な伝説の盾……アリマタヤの盾ですか……邪悪な
 気の全てを遮断する聖なる盾。しかし、これではどうですかな!」

 伊賀瀬は複数の霊符を一斉にガラハドに向かって投げつけた。
 その符は周りに黒い闇の球体をつくり出し、ガラハドに直進してくる。
 ガラハドが飛び退ってそれを躱すと、地面に直撃した黒い球体は地面をえ
ぐりとりながら爆音を奏でて四散した。
 洞窟がびりびりと音をたて、天井はひび割れ土土埃が落ちてくる。
 まだ地面に激突していないひとつの球体が方向を変えてグネヴィアに直進
する。
 ガラハドは盾を構えてグネヴィアの前に立ち、腰を落として黒い球体を受
けとめた。

「うおっ! これは……!」

 黒い球体と盾とかぶつかり合い、耳障りな音をたてる。
 ガラハドはそのまま、球体を盾の上で滑らせ、方向を変えて伊賀瀬近くの
壁に叩きつけた。
 ごう音とともに地面が揺れる。
 土埃が舞い上がり、伊賀瀬を包み込む。
 その土埃に紛れながら、グネヴィアが杖を翳して呪文を唱える。
 伊賀瀬は瞬時にその場を飛び退り、埃から脱出する。
 そこに刀を構えた山南が突進、鋭利な刃を振り下ろした。
 伊賀瀬は霊符を刃に向かって差し出す。
 すると、器の光と霊符の力場がぶつかり合い、またもや耳障りな音を奏で
て辺りに行き場を失った力が弾けて洞窟内の壁にぶつかり、それを壊した。

「ぬおおおっ、まだまだぁっ!」

 山南が頭上から伊賀瀬を捕らえている間に、島田が伊賀瀬の懐に潜り込む。

「ぬっ!」
「もらったぁっ!」

 伊賀瀬が視線を下に向けたのと同時に、まるでマシンガンのような島田の
連続打撃が伊賀瀬の腹に数限り無く打ち込まれる。

「ぐほぁっ」

 島田の拳で弾き飛ばされて伊賀瀬が首を抱えたまま、洞窟内の壁に叩き付
けられる。
 壁は粉々に砕け散り、倒れた伊賀瀬の上に大きな岩が音をたてて落ちてい
く。

「よーし! やったぁ!」

 グネヴィアが杖を振り上げる。

「いや! まだだ!」

 ガラハドが盾と剣を構えてグネヴィアの前に立つ。
 山南と島田も、土埃をまとった瓦礫を前に構え直す。
 すると、瓦礫が爆音とともに吹き飛び、中から伊賀瀬が微笑しながら現れ
た。

「まさか……! これでも効いていないというのか!」

 島田がぎりぎりと歯を噛み締める。

「これが、現代に蘇った侍と騎士の力ですか……ふむ、なるほど、《あの時》
 に勝るとも劣らない超人ぶりだ。くく、それでこそ、私達が命をかけて御
 方を蘇らせる価値があるというもの」

 伊賀瀬は視線を四人から自らの持つ首へと移す。
 その首には、もうすでに一枚の霊符すらもなかった。

「うそ……」

 グネヴィアは思わず呟いてしまった。
 伊賀瀬の持つその首の髪は艶を保ち美しく、その肌はまるで今まで生きて
いたかのような瑞々しさを保っていた。
 なにより、その端正な顔だちは、王のような威厳を持ち、安らかに眠り続
けているかのようだった。
 そして、その額には二つの淡い光。
 その光りがさらに輝きを増したかと思うと、それは二本の角となり、天に
向かって突き上げた。
 その状況に、四人は息を飲む。 

「頭が高いぞ、人間よ。この方こそ、大嶽丸様。お前達人間の世界を壊し、
 そして新たに秩序と再生をもたらす神なるぞ!」

 今にも目蓋の開きそうなその首を掲げて、伊賀瀬は高揚した気分を抑えら
れないかのようにそう叫んだ。

「そんな首がなんだっていうのよ! 見てなさいよ! すぐにぶっ壊してあ
 げるんだから!」

 グネヴィアが伊賀瀬に向かって突っ込む。
 杖の向けられる先は、伊賀瀬が蘇らせた大嶽丸の首。
 ルーン文字が杖を覆ったかと思うと、瞬時に光の矢となり首に向かって飛
んでいく。
 その光がもう少しで首に直撃するかと思ったその時、グネヴィアは信じら
れないものを目にする。
 生首が、目を開けたのである。
 生気のある、漆黒の瞳が光の槍を捕らえたかと思うと、その光は伊賀瀬と
その首の目前で四散してしまった。

「うそ……なんなのよあれ!」

 首は、再び瞳を閉じ、それを見た伊賀瀬が余裕の表情でグネヴィアを見る。

「この御方は生きておられる。……だが……まだ目覚められて脳が活性化し
 ておらぬ。すぐに戻り、新たに作り直した鬼神の体にお付けせねば」
「……例の人さらいの実験か!」

 伊賀瀬の言葉に、山南が叫ぶ。

「そう。もはや隠しても意味のない事ですね。すでに犯人である一生も死ん
 でしまっている事ですし。彼の実験は、我らが有効に活用させて頂く事に
 しましょう」
「死んでない人間を死んだ事にして匿い、今度は何をさせるつもりだ!?」

 山南の問いに伊賀瀬は微笑するだけだった。

「危険な鬼神の復活など許さない! この町は、我ら新選組が守る!」

 山南は叫ぶと同時に居合い一閃、横に刀を薙ぐ。
 伊賀瀬はそれを上に飛び上がって避け、そこに山南の下段からの切り上げ
が襲う。
 伊賀瀬は衣服の一部を斬られながらも、空中で一回転、それを避けると山
南に向かって霊符を投げ付ける。
 その霊符を山南が切り裂き、山南と伊賀瀬との間で爆発が起こる。
 その爆風の中へ二人が突っ込む。

「まだまだ甘いぞ! 新選組総長、山南敬介!!」

 山南の体が、爆風の中から吹き飛ばされて、洞窟の壁に叩き付けられる。

「ぐはっ」

 内臓をやられたか、山南の口から大量の血が吹き出す。

「この程度か、新選組!」
「まだまだぁっ!!!!」

 伊賀瀬の言葉に呼応するかのように島田が頭上から伊賀瀬の頭目掛けて拳
を突き出す。
 伊賀瀬はその拳を頭突きで受け止める。
 すると、島田の拳が音をたてて砕けた。

「ば……馬鹿な!!!!」

 拳を抑えて呻く島田に向かって伊賀瀬が霊符を翳す。
 すると、島田は悲鳴を上げて、山南と反対側の壁に叩き付けられた。

「自らの実力もわきまえず、相手との実力差も見抜けぬ愚か者なぞ、元々私
 の相手ではないと言う事ですよ」
「まだだ、まだ終わらない」

 ガラハドがレイピアを構えて伊賀瀬に突進していく。
 突き、薙ぎ、その全てを伊賀瀬は軽々と躱していく。
 突き出された霊符にアリマタヤの赤いラインが反応し弾かれ爆音をたてる。
 その爆風にまぎれて伊賀瀬の懐に入り込んだガラハドは渾身の力で、幾度
となく突きをくり出す。

「くらえ! レインチャリオット!!」

 器の光に囲まれたレイピアの高速の多段突きが伊賀瀬を包み込み、伊賀瀬
を吹き飛ばす。

「やったか!」
「甘い」

 その声か、ガラハドの上から聞こえてきた。
 一瞬の油断。
 それが、ガラハドを敗北させた。

「うわぁぁぁぁっ!!」

 ガラハドは頭上から霊符を何枚も浴びせかけられ、地面をバウンドして、
グネヴィアの傍に転がった。

「……くだらない……新選組も……円卓の騎士も……この程度ですか」

 まるでつまらない映画でも観たかのような表情で、地面に転がる剣士達
を一瞥する。
 そして、大声をあげて笑い出した。

 一人残されたグネヴィアは、ただわなわなと震えるだけだった。

「よ……よくも……」
「おや? まだいらっしゃったのですか。もはや、貴女にも興味はありま
 せん。私は女子を傷つける趣味は持ち合わせておりません故、速やかに
 お引き取り願えますよう」

 伊賀瀬は、怒りに震えるグネヴィアに一礼すると、くるりと背を向けた。

「ま……待ちなさい!! なんたる侮辱! このグネヴィア・ギルナス、
 王家の威信にかけても、あなたをここから行かせる訳にはいきません!」

 叫ぶグネヴィアをちらりと見、伊賀瀬は、ふ、と微笑すると再び歩き出
した。

「待ちなさいといってる!!」

 白木の杖から白い槍が何度も伊賀瀬に向かって突き刺さる。
 しかしその全ては、伊賀瀬の背中直前で泡のように消えてしまった。

「そんな…… ! って、伊賀瀬はどこ!?」
「ここですよ、姫さま」

 グネヴィアの耳もとでその声は聞こえた。
 その直後、背中にまるで車に激突されたかのような重い衝撃を受け、グネ
ヴィアは地面を転がった。
 白木の杖が、からからと空しく音をたてる。

「素直に道を開けていればよかったものを。とんだじゃじゃ馬だ」

 その場を立ち去ろうとした伊賀瀬であったが、ふと何かを思い付いたかの
ように立ち止まった。

「ふむ、そういえば、ケイ殿とこの者は同郷だったな。天水村には、円卓の
 騎士がいるという……この子娘、使えるかもしれんな」

 伊賀瀬はそう呟くと、気を失っているグネヴィアの腰に手をかけて持ち上
げた。
 そして、その場を立ち去ろうとしたその時、伊賀瀬の地面に、交差した白
い線が現れた。

「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前!」

 伊賀瀬は一瞬の判断でその場を飛び退る。
 そして、声のした方角を睨み付ける。

「ほう……これは珍しい者が現れたな……まあ、ここは京都。お前のような
 者がいても、不思議はありませんかな?」
「さあてね。私はただのサラリーマンですから。その女の子、放してはくれ
 ませんかね。いたいけな少女をいたぶっちゃあいけませんぜ」

 伊賀瀬はにやりと唇をゆがめると、暗闇から現れてくる一人の男を見る。
 よれよれの背広に、よれよれのネクタイ。
 グネヴィア達が、ここに来るまでにぶつかったあの男だった。



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