『21』


 水波は、朦朧としたまま、混濁する意識の中に身を委ねていた。

(気持ち良い……)

 ふわふわとした感覚が彼女を包み、そして流れるがまま流して行く。

(いいきもちー。まことも連れて来てあげたいなー)

 そんな事を考えながら、水波は色々と昔の事を考え始めた。
 
(そういや、まことって、私の事、かんぺきに忘れてたんだよねー……)

 水波は光基神社で誠に出会った時の事を思い出していた。
 誠は、うきうきしながら彼の横に座った水波を見て、『誰だこいつ』という顔を
したものだ。
 水波も、もしかしたら忘れられているか、とも思ったが、案の定完璧に忘れられ
ていて、結構ショックだったりしたものだ。

(ほんとに、こんなカワイイ子を忘れるなんて)

 水波と誠が出会ったのは、四年前の富士山麓決戦である。
 この時水波は、味方に置き去りにされたのだ。
 今思うと、自分は囮であったのだ。
 水波はそんな事をぼんやりと考えていた。

(もうお父さんもお母さんもいなくなっちゃったし……もうこのまま死んでもいい
 のかな……どうせ、もう私なんて何もできないし……)

 そう思って、逃げる事も諦めたその時、誠が現れて、水波に襲い掛かろうとする
鬼どもを滅茶苦茶に薙ぎ払ったのだ。

「もう誰も俺の目の前で殺させない!!」

 水波にとって、この時の誠はヒーロに見えた。
 後で撚光より、誠にも誠なりの事情があったと聞かされても、水波にとっては自
分を命がけで助けてくれた命の恩人なのだ。

 誠と共に気を失い病因に担ぎ込まれ、その後の精密検査で異常がないと認められ
たため、水波は撚光の家……光基神社へと迎え入れられた。
 言わば、養子といった感じである。
 無論、未婚の男性が、十三歳の小さな女の子を養子にすることなどできないはず
なのであるが、撚光に言わせると

「ま、そこはそれ。大人の事情ってやつよ」

 という事らしい。

 しかし、水波を養子にしたこの撚光という男は、水波が想像していたどの男とも
違っていた。

「きゃーー、可愛いわね、うちに来るコってあなた? まあ、お姉さん、かわいが
 っちゃうーー」

 が、出会った時の彼の第一声である。
 思いきり抱き締められて、度胆を抜いた。
 水波は、撚光という男が、《性同一性障害》であるという事を聞かされる。
 簡単に言うなれば、男の格好をした女の人である。
 水波は、そう撚光に対して割り切る事にした。
 撚光との生活は、表向きはうまくいっていた。
 だが、水波は味方に見捨てられたショックと、両親を失った悲しみを未だに忘れ
られずにいた。
 だからこそ、その悲しみを表にだそうとはせずに、一生懸命明るい自分を演じて
みせた。
 撚光はそれを分かっていたため、水波の無理をする姿が、とても痛々しく思えた。

(そういや、あのときって、ご飯あんまりおいしくなかったなー)

 水波はあのとき、ショックで五感がおかしくなっていた。
 何を食べても、美味しく感じなかったのだ。
 それでも撚光は、一生懸命美味しい料理を水波に与え続けた。

「さ、これ食べてみて、美味しいのよー」
「あ、ほんとだー、これおいしー♪」

 白々しいほどだったが、お互いに楽しい、という事を演出しようとした。
 だが、そんな演技にも、いずれ終わりが来る。
 水波も、昔の事をフラッシュバックで思い出す日が来た。
 自分の掌を、料理の最中に切ったのだ。

「きゃぁぁぁぁぁーーーーっ!」

 自分の血を見て、水波は半狂乱になった。
 それを撚光が必死で抑え、なんとか水波を寝かし付けた。

「あ……武ちゃん……いらっしゃい」
「どうした? 何があったんだ?」
「ああ、うん、水波ちゃんがね……昔の事を思い出して……」
「そうか……」
「ねえ、柊 誠君は、どう?」
「…………強いよ、彼は………」
「……え?」
「……俺は、彼を余計ないざこざから守ろうとした。米軍が自分のプライドを
 守るために誠を担ぎ上げようとしている。日本政府もそうだ。俺はそれを彼
 に伝えて匿おうとしたんだが……」
「断ったのね」
「こうやって温々としている間にも、何人もの力のない人々が死んでいる。俺
 はその人達を助けたい……と」
「へえ……水波ちゃんを守った時の心……忘れて無いのね」
「無理しているんだろうな。しかし、それでも戦おうとしている……強い……
 本当に強いよ、彼は」
「でも、その強さは、脆さと紙一重……」
「ああ、今に崩れておかしくなる時がくる。そこで、だ」
「……?」
「撚光、お前に柊 誠を預けたい」
「……え、でも、うちにはもう一人養子がいるからねえ」
「違う、お前の所を拠点として鬼退治をさせたい。お前が彼の司令官となって、
 いずれ来る《その時》まで、彼を導いてやってほしい」
「彼を、時が来るまで壊れないように見守れ、というのね」
「……そうだ……俺はこれから鬼切役設立のために、色々な所を回らねばなら
 ない。頼光も綱も手が放せない。お前にしか頼めない……頼む」
「……ふう……分かったわ。任せておいて」
「……すまない……恩に着る」
「着なくていいわよ。そのかわり、頑張ってね。全てが終わったら、皆で集ま
 って宴会しましょ」
「ああ、そうだな」

 ……水波は、ただ黙ってそれを聞いていた。
 柊 誠……?
 もしかして、あの時私を守ってくれた人?
 あの人が、また戦おうとしてる。
 私が逃げてる間に、あの人は戦おうとしている……。

 水波は、布団から起き上がると、撚光の傍に駆けて行く。

「撚光さん!」
「あら、起きたのね。大丈夫?」
「撚光さん、私も、戦いたい!」
「え?」

 撚光は、驚いて声をあげた。

「戦うって……あなた、血を見ただけで、昔の事を思い出して倒れるのに……」
「でも……柊 誠って人は、戦おうとしてるんでしょ!? あんな酷い目にあ
 ったのに、それでも戦おうとしてるんでしょ!? なら、私も頑張りたい!」
「水波ちゃん……」
「私だって、頑張れるもん! それに、私が頑張って強くなれば、あの時みた
 いに……置いて行かれなくてすむもん!!」

 水波は必死だった。
 もう一度、彼に会いたい。
 そんな気持ちもあったが、何よりも、誰かに必要とされるために、もう一度
頑張りたかった。
 昔の事を思い出すと、やはり確かに体が震えておかしくなる。
 でも、それらも含めて、全てを受け入れてみようという気になっていた。
 ……柊 誠が戦っているから。

「……わかったわ。じゃあ、まずは特訓の前に、ご飯食べましょう」
「え? ごはん?」
「そう。腹が減っては戦はできぬ、ってね。さあ手伝ってね。……今度は、手
 を切らないように、気を付けてね」
「うん!」

 撚光と水波は、質素だが美味しい料理を作った。
 しかし、水波ははたと気がつく。

(そうか、味わかんないんだった……)

 水波はそう思ったものの、それでも顔を綻ばせて、お箸をとって、料理を口
に運んだ。
 そして。
 水波は一瞬目を丸くして、その後、凄い勢いで食べ始めた。

「み……水波ちゃん?」

 水波は、口いっぱいに頬張ったまま、にこりと微笑んだ。
 撚光は慌てた。
 無理をしているのではないか……と。
 だが、水波はぱくぱくと食べながら、泣き始めた。
 そして、こう呟いた。

「おいしい……撚光さん……おいしいよ……」

 水波は、味覚が戻っていた。
 ぽろぽろと泣きながら、水波は美味しそうに食べた。残さず食べた。
 
(柊 誠の前向きな『心』が……彼女の心を動かしたというの……? 人は
 ……こんな所でも繋がっているのね……)

「撚光さん……私が今のまま頑張ったら、いつか皆に必要とされるかな?」
「ええ、絶対に皆があなたを頼りにするわ」
「ホントに?」
「ええ、ホントよ。あなたが頑張って明るい笑顔を作れば、皆が明るくなれ
 るのよ」
「じゃあ、私がんばる! 皆の笑顔が取り戻せるように、皆が笑顔で私をむ
 かえてくれるように、私最期まで頑張る!!」
「その調子よ! さあ、いくわよー、私の特訓はキツイんだから!」
「はい! せんせい!」





(……そうだ……がんばらなきゃ……私の笑顔がみんなを明るくするんだも
 の)

 ふわふわと漂っていた水波の体に、熱い何かが注ぎ込まれるような感覚が
した。

(ああ、なんだか力がわいてくる……)

『守りたいか』

(えっ)

 水波は、聞こえて来た声に驚いて聞き返した。

『守りたいか。己の魂と信念を守りたいか』

(守りたい……私ががんばったら、みんなが笑ってくれるんだもん……私、
 まだ生きたい……そして……みんなを守るために戦いたい)

『ならば……お前のその心に、我が息吹と祝福を……人の心とは、心地よ
 いものよ……』

 その瞬間、水波の体が明るいオーラーに包まれ、一気に昔の記憶が遠の
いていった。
 そして、ついさっきまであった出来事が思い出されてきた。

(そうだ……忘れてた。戦う意味。戦う目的。……戦わなきゃ。誠の笑顔
 が見たいもの。撚光さんや、咲耶さんや、美姫さんの笑顔が見たいもの)

 水波の視線が、ぱっと明るくなり、世界が弾けた。





「な……なんだ!!」

 前鬼は、一瞬感じた物凄い《気》に押されて飛び退った。
 水波は、うつむいたまま、ふわりと立ち上がった。

「馬鹿な……この気は……まるで葛乃葉様と同等の……!!」

 後鬼の言葉に前鬼が返す。

「器の……光!」

 前鬼がそう言った瞬間、水波がすっと護符を前面に差し出した。

「うおああああああっ!!」

 前鬼の叫び声がこだまする。
 風が吹いたかと思うと、大きな圧力となり、前鬼の体が木々を幾つも
なぎ倒しながら吹き飛んだのだ。

「……な!」

 目を丸くして驚く後鬼。
 水波は、きっと前を向くと、前鬼と後鬼を睨み付けた。




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