『22』


 水波の体が、ふわりと羽毛のように地面に着地する。

「……忘れてた」
「む?」

 水波の独り言に、後鬼は片方の眉を少し上げて答える。

「ずっと忘れてた! あーもう、何やってたんだろう、わたし!」
「……」
「そう、そうだよ、色々と教えてもらったじゃない。うんうん」

 両拳をぎゅっと握りしめてうんうんと頷く水波の目線の先で、倒れ積み重な
った木々が不快な音をたてて盛り上がり、木片をまき散らしながら下から巨大
な腕が現れる。

「やってくれたな、子娘!」

 その腕は自分に積み重なった木々をかき分けると、その本体を現してそう叫
んだ。
 彼の額に生えている短い角から、放電のようなものが発せられる。
 そして、そのまま再び水波に向かって突進していく。

「まて前鬼! 今行ってはいかん!」

 後鬼がそう叫んで前鬼を押しとどめようとするが一歩間に合わず、前鬼は空
気の圧力を身にまといながら水波に肩からタックルをかました。
 水波はそれに対して目を背ける事もなく真直ぐに見つめると、その肩に一瞬
手をかけ音も無く飛び、前鬼の腕の勢いを利用して肩の上でくるりと一回転。
 そのままその肩に飛び乗り、それと同時に一枚の護符が前鬼の顔の前に差し
出した。
 前鬼はその動作の早さに一瞬戸惑うものの、叫び声と共にそれを振払おうと
する。
 だが、その振払おうとする腕の動きすら利用し、水波はひらりとまた前鬼の
頭の上で一回転。
 とん、と前鬼の頭に乗ったかと思うと前鬼の肩甲骨の間あたりにぺたっ、と
護符を貼り、そのまま一回転して着地。ステップを踏んで二歩ほと飛び退ると
前鬼の叫び声を伴ってその背中から爆音が轟く。
 うなり声をあげて倒れる前鬼。

「護符がここまで爆発するなぞ聞いた事がないぞ」

 後鬼の呆れ声の横で前鬼が勢い良く立ち上がる。

「どういう事だ。まるで今までと動きが違うぞ」
「思い出したと言っていたな。おそらくはこれから本格的に戦うと言う事なの
 だろう」
「これから? 本格的?」

 前鬼は唇の端を歪めて笑うと、両拳をぶつけて打鳴らし、水波に向き直る。
 水波は前鬼を正面から睨み付けると、一生懸命考え、思い出す。
 その小さな頭の中では、撚光の声が響いていた。





「いい、水波ちゃん。あなたは普通よりもミニサイズだから、戦う時は真正面
 から打ち合うような真似をしてはだめよ」
「ふえ?」
 
 水波は自分の体をぺたぺたと触りはじめる。

「全体的に小さいって事よ」
「全体……」

 がっくりと肩を落とす水波に苦笑いしながら、撚光は続ける。

「水波ちゃんは大きな相手にぶつかられたらあの世の果てまで飛んで行ってし
 まうだろうから、絶対に相手の力を受け止めない事」
「うーん、防御しちゃだめってこと?」
「盾で受けとめるような防御はやっちゃだめ、ってことよ。今の水波ちゃんに
 必要なのは、相手の力を躱し、いなし、利用する防御方法よ」

 水波はまだ理解できずに左右に首を傾けている。
 撚光は、そうねえ、と少し考えると、水波の正面に立った。

「さあ、水波ちゃん、私に突っ込んでいらっしゃい」

 撚光は、逞しい腕を左右に広げて水波に言う。
 水波は、よーし、と言うと、何故か右腕をぶんぶんと振り回して構えると、
彼に向かってダッシュした。
 撚光は走り込んできた水波の体を紙一重で躱すと一瞬でしゃがみ、水波の腕
と足をとって一回転させる。
 水波の体は、走ってきた勢いを殺せずに撚光のなすがままにくるりと回され、
体操選手のように行儀よく着地させられた。

「どう、少しは理解できた? 相手の勢いをそのまま利用するの。これができ
 れば、水波ちゃんが私をひっくり返したりする事もできるわよ」
「撚光さんをなげたりできるの?」

 水波は、まだぴんときていないようだ。
 撚光は、しかたがないわね、と肩をすくめると、水波を手を取り、引っ張っ
てみせる。
 水波が驚いて手を引っ込めようとした瞬間に、撚光は握ったその腕を手前に
押し出す。
 
「あわわわ」

 水波の体は、今度は後ろにしりもちをついてしまう。

「どう? 今のは水波ちゃんの力で、水波ちゃん自身が転んだのよ。相手の力
 の方向と、勢いの変化の瞬間を見極めれば、それを使って攻撃をいなす事も
 できるし、相手を転ばせる事もできるの。あとは相手の視線を利用する器使
 いの戦いを身につければ完璧ね」
「……あたしは、それを使いこなさないといけないのね」

 水波はよいしょ、と小さな声と共に立ち上がる。

「じゃあ、まず最初は、相手の力を見極める事から始めるわよ」
「はい、せんせい」

 水波は軽く敬礼すると、再び撚光に向き直った。





 水波は、前鬼の仕種を事細かく観察していた。
 そういや、逃げてばっかりだったな。
 水波はそんな事をふと考えていた。
 いつも撚光や誠の背中に隠れて、水波自身が攻撃の矢面に立つ事はほとん
どなかった。 
 水波は、実際に攻撃を受けるという経験を殆ど受けていないのだ。
 そんな彼女にとっては、前鬼との対戦は、始めて味わう直接的な戦いとい
えた。

「今までとは戦い方が変わってきたな。もうワシに油断はなしだ」

 そう言って前鬼は体を前に傾ける。
 水波も、ぐっと前屈みに構えて、相手を見つめる。

「逃げてちゃだめ。隠れててもだめ。じゃないと、まことを助けてあげられ
 ないもの」

 そう呟いて、水波は護符を数枚手際よく懐から取り出し、左指に挟んでじっ
と相手の出方を伺う。
 それから数秒。
 まず動いたのは水波であった。
 彼女は手に挟んでいた護符の一つを素早く 右指に挟みかえると、何やらぶ
つぶつと瞬時に唱えて前鬼に投げ付けた。
 それはまるで意志を持ったかのように前鬼に向かって飛んで行き、前鬼はそ
れを紙一重で躱して水波に突進していく。
 水波はくり出された拳を躱すと、その拳の力を利用してくるりと一回転。
 さかさまに落ちながら護符を投げると、それを前鬼は手で握りつぶした。
 
 どん!

 爆発が起こり、前鬼の手を弾き飛ばす。
 煙があたりに巻き起こり、前鬼を包み込む。
 水波の姿を探して辺りを見渡すものの、一向にその姿が見当たらない。
 左右に首を振っていると、

「にゃん」

 下から声が聞こえてきた。
 雄叫びをあげて前鬼が蹴りあげようとしたが、間一髪、水波は前鬼の股をく
ぐって後ろを通り過ぎる。
 その瞬間、前鬼の背中に衝撃が走り、彼の体は吹き飛んだ。

                  $

「やっておるな。水波もやっと本気になったか」
「やっと、というのはどういう事ですかな?」

 美姫の言葉に、卜部はいぶかしげに問いかける。

「水波は、巫女としての潜在能力は抜群だった。しかし、いくら素晴らしくて
 も所詮は原石。磨かなければ意味が無い。だからといっていきなり強い力で
 磨くと割れてしまう」
「だからまずは撚光殿にまかせていた、と」
「あの男はそこらへんの女よりも優しいからな。おかげで水波も、ようやく磨
 かれてきたかと思っていたが」
「……逆に甘えて後ろに下がってしまっていましたか」
「まあな」

 美姫はそこまで言うと、腕を組んで水波達のいる方角を見やり、呟いた。

「さて、どこまで戦えるか」

                  $

 前鬼は背中からは煙が立ち篭めていた。
 水波の護符が見事に直撃したのだ。

「前鬼、お前は少し下がっておれ」
「すまぬ、後は頼む、後鬼」

 そう言うと前期は下がり、代わりに綺麗に黒い燕尾服に身を包んだ老紳士が
前に立つ。
 負けて不利だと分かれば何をおいても引く。この前鬼の潔さは見事であった。

「やるのう。このまま終わりかと思っておったが、どうやらショック療法とや
 らが効いてきたようじゃな」

 そう言うと、後鬼は呪符を取り出す。
 
「さて、ゆくぞ」

 その言葉が合図だったかのように、まるで意志を持ったかのように呪符が何
枚も水波に向かって飛んでくる。
 水波はごそごそと懐をまさぐったかと思うと、その右手を出した瞬間、幾つ
もの護符が水波の目前に並んで浮いていた。
 その護符に中った瞬間、後鬼の呪符が蒸発する。
 そして今度は水波の護符が後鬼に向かって飛び、後鬼がそれを自分の呪符で
弾き、前を見る。
 しかし、護符が弾かれた時には既に水波の姿はそこにはなく、自分の顔に影
がさすのを確認して、後鬼は上を見上げる。

「上か!」

 水波が手に持っているのは、数個の石。

「あまつみひかりはこびのみこと まがかみたちを なぎはらいませ」

 水波のそこ言霊と共に石は《意志》を持ち、猛スピードで後鬼に向かって飛
んでいく。
 後鬼がその場から飛ぶと、地面が土煙をあげて吹き飛ぶ。
 水波が着地したそこに、一瞬の隙を好機と感じた前鬼が突進してくる。
 彼女は前鬼の前傾した姿勢を見極めてジャンプ。そのまま彼の頭の上で一回
転して通り過ぎる。
 そして、前鬼の背中を取った瞬間、思いきりその背中を蹴飛ばした。
 勢いあまって進んだ先には、先程吹き飛んだ地面があった。
 その瞬間。

「ぐほぁっ!」

 前鬼の呻き声が聞こえた。
 地面にめり込んでいた石が地面から飛び上がり、前鬼の腹に命中、彼の体は
天に向かって持ち上げられる。
 水波はその隙に、きょときょとと辺りを見渡す。
 後鬼の姿はちょうど水波の左側面。
 水波が前方に向かって、ちょこちょこと走り出す。
 後鬼がその水波を視線で追い、そしてうずくまった前鬼の後ろで見失う。

「ちっ」

 後鬼がふわりと跳躍すると、その体は凄いスピードで空へと向かっていく。
 空から地面を見渡すが、そこには前鬼の姿しかない。
 その時、後鬼の後ろで

「にゃん」

 と声がした。

「むおっ」

 後鬼が落ちながらも体を捻り、呪符を水波に向かって投げ付ける。
 だがその水波の体は、呪符とぶつかって護符に変化して爆発した。
 そして、その衝撃で吹き飛ばされ、地面に激突する寸前に体勢を整えて地面
に着地した後鬼の真正面で、右手と左足を振り上げる水波の姿を見つけた。
 その姿は、まるで投球寸前のピッチャーだ。

「無上霊宝神剣大大加持ーー!」

 どこまで理解しているのか分からないが、水波はそう叫ぶと思いきりその手
を振りおろした。
 すると、先程水波に変化していた護符が後鬼の頭上で大きな爆発を起こし、
その煙の中から、爆風で破片となった護符が短剣のように後鬼の頭上に降り注
ぐ。
 前鬼と後鬼は、それらを寸前で躱す。
 しかし、彼等が体勢を整えた時には、もう水波の姿はない。

「あの子娘……」
「うむ」

 この戦いの中で成長している。

 それが二人の鬼が考えた事だった。
 相手の視線を支配して銃弾すらも避けてしまう。
 それは、器使いの専売特許であるが、水波はそれに自分の身軽さをミック
スして独自の戦いを生み出していた。

「これでおしまい!」

 水波の声が聞こえた方向に前鬼が突っ込むが、それはまたしても護符に変わ
った。

「しま……」

 前鬼の言葉とほぼ同時に地面から星の形に光点が現れ、それが線で結ばれて
いき、彼等を取り囲む。
 後鬼がその光点を見て呪符を取り出すが、その視線の隙間をついて水波の護
符がそれを粉砕する

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、秘音、一も十々、二
 も十々、三も十々、四も十々、五も十々、六も十々、ふっ切って放つ、さん
 びらり」

 水波が《ひふみ祓詞》を唱えるのを聞き、後鬼の顔色が変わった。
 もうほとんど唱え終わっている。
 急いで水波の姿を探す。
 後鬼が水波の姿を自分の視線の端に捕らえたその時には、水波は大きな声で
叫んでいた。

「ひふみよいむなやここのたり、ふるべ、ゆらゆらとふるべ、あじまりかん!」

 それを聞いた瞬間、凄まじい光が星の中を満たし、前鬼と後鬼の姿はその光
にかき消された。
 そして、耳を劈くような爆発音と、地震のごとき地面の揺れが辺りを覆う。
 それは、美姫と卜部にも感じられるほどであった。

                  $

 それから数分後、神社の前で静かに待つ美姫と卜部は、茂みのとある場所を
見つめた。
 するとそこががさがさと揺れ、中から小さな泥だらけの少女が現れた。

「ただいまぁ〜」

 水波は微笑みながらそう言うと、茂みから抜け出して二人の元に駆け寄ろう
とする。
 しかしその瞬間、後ろから二つの気配が現れて、水波の後ろに立った。
 それは、水波を見下ろしていた。

「ふえ?」

 水波がそう言って振り返ると同時に、二人の影……前鬼と後鬼は、襲い掛か
る事も無くへなへなとその場に崩れ落ちた。

「ふむ……合格だ。よくやった水波」

 美姫は微笑すると、駆け寄る水波をねぎらい、迎え入れた。




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