『23』


 咲耶は、汗と灰にまみれた頬を拭ってふと顔をあげた。
 西日がさしている。
 ここで昼食をとり、体を浄めて鍛冶小屋に誠の母、文と入ってから、もう
そんなに時間が経っているのか。
 咲耶は、そのような事を考えてしまう。

「手を休めないで。鉄は冷えるのが早いですよ」
「は……はい」

 咲耶は再び鎚を打ち付ける。
 鉄を熱して鍛え、そしてまた熱して鍛え。
 そのくり返しで刀が生まれる行程は、普通の刀鍛冶と何も変わらないよう
に思える。
 しかし、器使いの振るう刀は、その材料が微妙に異なる。
 本来、日本刀には玉鋼という鋼を鍛練する事から始まる。
 これは《精錬》と言われ、鉄を叩く事により、中に含まれる不純物を取り
除くのが目的だ。
 鉄を叩く。この行為によって、よい日本刀を生む地ができあがるのである。
 文は、器使いの振るう刀を作る事ができる、数少ない刀鍛冶である。
 本来女人禁制と言われた刀鍛冶は、時代が下るに従って彼女のような存在
を生み出したのだ。
 文が刀を鍛える行程は、一般的に行われる刀鍛冶とほぼ同じものだった。

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 文は、砕かれた誠の刀を再び積み重ねはじめた。
 玉鋼を使うのでは無く、折れた刀を再利用する。これは普通の鍛冶では考
えられない行程だ。それは、器と呼ばれる武器が、普通の材質とは違うとい
う事を表していた。
 積み重ね、熱を持ったそれは、普通の鉄とは明らかに違う反応を見せる。
 まるで玉鋼のように熱せられ、一瞬で一つにまとまってきたのだ。
 器使いの使う刀の材料は、全て歪みの向こう側の存在により手渡されたも
のだ。
 こちら側の兵器が一切通用しないのは刀も同様であり、刀も特別なものが
使われる。
 しかし、その製作行程は非常に作刀過程が似通っている。

「咲耶さん、その白鞘の刀を」

 文は、熱せられて固まった刀の破片を見つめながら、咲耶に言う。
 咲耶はそう言われて白鞘の刀……とそれに付随するエネルギー体……を、
文の前へと差し出す。
 文はそのエネルギー体を、熱せられた刀の破片にまとわりつかせる。
 そして、再び熱し、真っ赤に染まったそれに、勢い良く鎚を打ち付けた。

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 かーん かーん かーん

 リズミカルに鎚を打ち付ける音が何回か続き、そして炎の燃え上がる音。
そして再び鎚を打ち付ける音。
 咲耶はその音を聞きながら、紅桜の事を考えはじめた。
 いつも自分のそばにいた桜。子供の頃、唯一話し相手であった桜。
 咲耶にとって紅桜は、自分の存在と切っては切り離せないものだ。
 その桜は、母である真緒がこの世界に持ち込んだもので、それは、いわば
生きた器である。
 幼い自分が鬼に殺されそうになった時……あの桜は自分を助けてくれた。
 それからあの桜はずっと自分と供にあり、同じように成長してきた。
 それと、今目の前にあるものが同じものだと言うのは、咲耶にとっては今
ひとつピンとこないものであった。
 鎚を打ち付ける度に、白鞘の中にあった物体の光が弾けて昨夜の体に降り
注ぐ。
 そしてその瞬間、咲耶は夢にも似た幻を見た。
 それは、誠の姿であった。

 誠が刀を振るう場面。
 鬼を斬る瞬間の映像。
 鷲王との激闘。
 そして、その場に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなった誠。

 そこまで見た時に、咲耶の精神は現実に引き戻された。

「……見えましたか? これが、器というものです」

 そう言いながら、文はふいごに再び熱せられた鋼を入れて熱する。

「器とは……もしかして……」

 咲耶は文を見つめる。

「そう。器とは、その名の通り入れ物なのです。人の心を入れる……」
「心の入れ物……」
「人の心……そこにある想い。そういったものが器の中に人の体を介して
 入り込み、それがこの世ならざるものを倒す力に変化します」

 それができるのは、ヒト遺伝子の総意によって選ばれた人間のみ。

 そう言って文は再び熱せられた鋼をとりだし、鎚で打ち付ける。
 それに呼応するかのように、咲耶もまた鎚を打ち付ける。
 その度に白い光が真っ赤な鋼から舞い、それが体に降り掛かる度に、咲
耶の精神に誠の戦う姿が流れ込む。
 その映像を見せられる度、咲耶はいたたまれなくなった。
 誠は、決していつも前向きでは無いという事が理解できたからだ。
 咲耶や水波達と一緒にいる時の誠はとても冷静で、いつも人の先頭に立
って戦っているように思える。
 だが、その心は、戦う事で過去を忘れたいといつも願っていた。
 そんな負の感情が、咲耶の中に流れ込んできたのだ。

「……器とは心を入れる器。それが正しいものであれ、間違っているもの
 であれ、器はその心の強さに応じて力を授けます」
「間違っていても……」

 ごう、と炎があがり、文はそこに鋼を再び差し込む。

「新選組の中に裏切り者が出ました。その者は、恐怖と、自分だけでも生
 きたいと願う自己中心的な心、そして絶える事のない欲望で満たされて
 いました」
「……」
「しかし、そんな負の感情も、強烈であれば、器は応えてしまうのです。
 そしてその強烈な感情は、今も彼を支配し、器に力を与えています」
「器の強さ、それは人の心、というわけでしょうか?」
「ええ、そう、その通り」

 文は鍛えた鋼の《造り込み》に入る。
 これは、曲がりにくく、折れにくいという刀の特徴を作り上げるもので、
性質の異なる複数の金属を重なりあわせて生み出される。
 鍛え上げられた鋼の上に、また違う金属を乗せる。
 それは淡く光る金属であり、それもまたこの世界のものではない事は、
素人の咲耶でも理解できた。
 乗せられた金属を巻き込むように鍛えられた鋼が巻かれ、そして伸ばさ
れていく。
 《素延べ》と言われる作業だ。
 ここから、鍛えられた金属は刀の形を成していく。
 鍛えては叩き、鍛えては叩き。
 微妙な刀の形状を文は注意深く造っていく。
 ここまでくると、咲耶は見ているしか無い。
 見ながら、彼女は紅桜について再び考えはじめる。
 そして、はっと何かに気がつく。

「おばさま……もしかして、あの紅桜は……」

 ちらりと咲耶を見て、作業を続けながら文は口を開く。

「そう。あなたの心に呼応する形で、あの形状を成したのです」

 咲耶は紅桜を思う。
 赤い花を咲かせると、血吸いの桜と言われたあの桜。
 咲耶はずっと、あれはあの桜の木がもともとそうだったから、仕方が無
いものだと納得していた。
 だが、もしその形状やあの花の色が、自分の心を写す鏡だったとしたら。
 自分の心の闇が、あの桜をあの姿にしてしまったのだとしたら。
 咲耶は無意識に視線を落とす。
 
 人の血を吸い咲くと言われた桜の木。

 その無気味な言い伝えは、自分の心の闇を体現したものだったのだ。
 
「咲耶さん。あなたもまた、自らの心と向き合う必要があります。誠や水
 波ちゃんがそうしているように。あなたも、自分に素直にならなければ、
 今以上に強くはなれませんよ」
「おばさま……」
「あの桜は、おそらく人の傷付く姿を見て、そして血を浴びて狂うでしょ
 う。でもそれは、あなたの心が反映されているから。あなたの心が、あ
 の桜をそうさせたのです」

 鋼の音が響く。
 その音に一瞬びくっとし、そして咲耶は考える。
 自らに向き直らなければ、あの桜は答えない……そして、誰の背中も押
せない。
 私は……今まで流されてきただけだったのか。
 咲耶は、桜に守られて生きてきた。
 鬼は幾度かあの村に現れ、彼女はその度に桜を使って倒してきた。
 それが自分の使命だとも思った。
 桜が自分を認めた、だからこの力を使って村の人を守る……。
 だが、咲耶は今になって思い知った。
 その行為が、誠が過去を忘れたくて戦ったのと同じ精神状態だったから
だ。
 咲耶もまた、過去から逃げていた。
 父に裏切られ、父の放った鬼に食われそうになった事から逃げていたの
だ。
 あの時の恐れから救ってくれた桜にすがり、そして今もまた、誠の優し
さにすがっている。
 
「今なら分かる。自分もまた、逃げていたのだと……」

 咲耶はそう心の中で呟く。
 その間にも、文によって鍛えられた鋼は、見事に均等に伸ばされていく。

「咲耶さん。私の作業を、よく見ておきなさい。器をつくり出す事は形こ
 そ違っても、全ての器使いの心のあり方に通じるもの。あなたがあの桜
 をこれからどうしていくのかのよい参考になるはずです」
「はい……分かります。刀を鍛えるのと同様に……私も逃げずに、心を込
 めてあの桜に接しなければならなかったのですね」

 文は、ふっと微笑すると、少しだけ刀を持ち上げて歪みを調整していく。
 その動作の一つ一つがとても丁寧で心がこもっており、器はまだ鋼の色
ではあったが、咲耶にはもうそれが器の輝きを放っているように感じた。

「咲耶さん、これから焼き入れに入ります。ここで、この刀の善し悪しが
 全て決まります」
「は……はい」
「もう、器には心が入りはじめているのですよ、それが分かりますか?」

 そう言われて、咲耶は輝き始めたと感じた理由を理解した。
 器が、新しいその形を成しはじめたのだ。

「咲耶さん、あなたの素直な心を入れなさい。もう、この場にいる私や、
 武さん、美姫さん……そして水波さんの心の波動が注がれていますよ」

 咲耶はじっと文の行程を見つめている。
 手を休める事のない文の動作の中で、器がぼう、と光りはじめた。

「誠の悲しい負の感情は、鍛冶の神の炎で焼き尽くされました。今、こ
 の無垢な器には、様々な心が流れ込み、新たな器を作り上げています。
 さ、あなたもお入れなさい。……自分の、素直な心を」
「私の……素直なこころ……」

 咲耶が思い出すのはただ一つ。
 いじめられ、大怪我をした自分を、体をはって助けてくれたあの誠へ
の想い。
 あの小さい誠の姿は、子供なのに特別に大きく感じた。
 そして、後の精一郎の言葉から、誠が誰かを守るその姿が正しい事を
知った。

 ……あのころの誠に戻ってほしい……もうあんな悲しい心はもって欲
しく無い……いつも前を向き誰かを守ってほしい。そんな誠を、自分は
好きになったのだから。
 守ってほしい。誠が目にし、好きになった全てを。

 その想いを確信した時、紅桜の姿が脳裏に浮かぶ。
 
 そうか……そうだったのか……。

 咲耶は目の前がぱっと開けた気がした。
 桜にどう接し、どう共に生きていけば良いのか。
 咲耶はそれを悟った気がした。

 じゅおおおおおっ

 蒸気が立ち上ったかと思うと、文にしか作れない水温の中から、一振
りの刀が姿を現した。
 それを見て、咲耶は息を飲む。

「……なんて……美しい……」

 文が、その刀をかざすと、西日にあたったそれは、小屋の全てを明る
く照らしたかのように白鋼色に輝いた。

「……まだ研ぎの作業が残っていますが……分かるでしょう、この刀が
 心のこもったものであると言う事が」
「はい……でも、まだ未完成なのですね」
「そう。まだ、肝心の誠の心が入っていません」
「誠さま……」
「あなたは再び桜と向き合わなければいけません。ですがその時、今こ
 こに生まれた刀と、そこで感じた気持ちを思い出してください。そう
 すれば、あの桜は必ずあなたに応えます」

 文は咲耶に向き直ると言う。

「あなたや私、水波さん。そして誠を思う全ての人の想いを込め、生ま
 れ変わったこの刀。これに誠の本当の気持ちが込められる事で、この
 刀は完成します。そして、その時にこそこの刀は、その名に恥じぬ働
 きをする事でしょう」
「……その名……」
「そう。鬼に等しく舞うように死を呼ぶ美しきその名、《刃舞(じんぶ)》
 の名に恥じぬ働きを」
 
《刃舞》

 咲耶は、その刀を見つめそして思う。

 誠さま……完成しましたよ……そして、私の心も……

 咲耶は視線をはずし、誠のいる磐戸の方角をじっと見つめた。



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