『25』

「勇敢なる兵士諸君……」

 アドルフ・E・グリーン大将は、落ち着いた、しかし太く通った声で生き
残っているかもしれない……いや、もはや誰も生き残っていないであろう艦
内の兵士達に語りかけた。

「勇敢なる兵士諸君。君たちは本当によく戦ってくれた。しかしながら敵は
 強大、最強を自負した我が米海兵隊も、もはや風前の灯火である。だが、
 我々はこのまま終わる訳にはいかないのだ。祖国のため。そして残してき
 た家族のため。同盟国であり友である日本のためにも」

 ここでまた一息つくと、再び語りはじめる。 

「我々はこれより、あの巨大な悪魔に対して突撃を敢行する。何があっても、
 奴等を日本に上陸させてはならない。我らがここで果てても、鬼達には何の
 影響もないのかもしれない。だが我々は最期の時まで戦い、この守ろうとす
 る意志を未来の希望達に伝える必要があるのだ」

 悪路王が前進を始めた。音も無く向かってくる様は、無気味であり、彼等
は、はっきりと恐怖を感じた。

「私は君たちを誇りに思う。ありがとう……さあ、我らの意志を……未来へ
 繋ごう。未来の希望を守ろう」

 大将はマイクを置くと、呟いた。

「……まさか……我々がカミカゼとなるとはな……皮肉なものだな。第二次
 世界大戦で果てた彼等も……絶望の縁で、今の我々と同じ事を考えたのだ
 ろうか……」

 U.S.Aが回頭を始めたと同時に、エイブラハムリンカーンも船首を同じ方
角へと向けはじめた。
 艦橋では血まみれで艦長と思しき男とクルーが海軍式敬礼を行っていた。
 大将と彼のクルーはそれに敬礼で返すと、そのまま前進、そして悪路王へ
と吸い込まれるように突撃した。

 そして。

 陸上までも轟くような爆音が辺りにこだまし、全ての陸上の兵士が海を振
り返った。
 真っ赤に染まった海を見ながら、自衛隊一等陸佐・土方歳三は呟いた。

「……アメリカが……負けたか……」





「水無月様、いかがいたしましょうか。海軍が全滅した以上、このままここ
 で留まっていても意味もないように思えますが」 

 撚光は海の近くの高台にいた。
 ここで器使いの一部を集結させ、軍隊の敗北と同時に彼等を動かす算段で
あった。
 
「そうね……確かに。残存兵力を全てここに集めて。米政府といえども、こ
 れからは口答えは一切させないから。国連の要請でも絶対に動かない。こ
 れは、私達器使いの総意として動くものである……総理と官房長官にそう
 伝えて」
「はい、了解しました。これからすぐに向かいます。こうなってしまった以
 上、独断で器使いが動いたとしても誰も文句は言いますまい」
「お願いね、山崎君」

 四年前の富士山麓決戦の時期は、まだ《器使い》という存在が正式に認めら
れてはいなかった。
 存在しているにも関わらず、存在しないとされていた。
 鬼という未知の存在、そしてそれを倒すべく生まれた器使い、彼等の振る
う器、そしてそれらを授けた未知の存在。
 すべてのものに対して、政治に携わる者が対応できなかった。
 法律による解釈、改正、鬼の存在の定義、それによる自衛隊の発動は是か
否か。すべてにおいて、空虚な議論が国会において起こされては無駄な駆け
引きばかりが続き、その間にも国民は何千人と亡くなっていた。
 与党に文句を言うだけしか能のない野党に、詭弁を述べる事しか知らない
与党。
 国の危機に際しては党派を超えて団結しての国家運用がなされるべき所が、
こんな時でも選挙とカネの事しか考えていない政治家で、いつのまにか日本
という国は侵し尽くされていたのである。
 日本国民自体が、自国の領土を侵される、自分が身の危険に晒されている
という事に対してあまりにも鈍感すぎた事も、それに拍車をかけた。
 それは世界でも同じであり、特にアメリカは自国の自慢の軍隊が通用しな
いなどとは絶対に認める訳にはいかず、このアメリカという大国の圧力が、
器使い達の立場をさらに悪化させていた。
 そして国際機関もまたそのような流れの中で、彼等を認めることはなかっ
たのである。
 無論、日本の一部政府機関、アメリカ・ヨーロッパの一部機関が彼等に対
し友好的に接し、なんとか彼等の存在自体は残ってはいたものの、政府自体
が彼等に友好的でない以上、鬼を殺すという一番の仕事で彼等の出番は無い
に等しかった。
 権力の側に強力な影響力を持ってなおである。
 だが、ある瞬間を境に、彼等の立場は大きく逆転する事になる。

 アメリカ合衆国の敗北である。

 最強を誇った海軍、空軍が全滅という状況に陥って、孤立した陸軍はパニ
ックに陥った。
 米軍は、撤退する余裕も与えられる事なく、圧倒的な戦力でなぎ倒され、
気が付いた時には自らの周りに死体の山を築くという失態をくり返した。
 それでも彼等は器使いを一切頼ろうとせず、《いかがわしいマジック》と
一笑に付しながら、ハリウッド映画のように青い目をした世界のヒーローが
ミラクルと愛国心というお約束で銃を打ちまくりながらワイヤーアクション
で敵を打ち倒す姿を夢見ていた。
 しかし実際は、ヒーローも現れる事もなく、ワイヤーアクションを行う者
も現れず、ハリウッドのヒーローが銃を撃つ事もなく、彼等は頭から鬼に食
われていった。
 スパイダーマンのペイントのついた装甲ははひしゃげて剥がれ落ち、スー
パーマンの顔をつけた鉄板が空中から落下した。
 大気圏外のキラー衛星からのレーザー照射も、地を削り仲間を殺しただけ
に終わってしまった。
 アメリカは世界最強、世界のお手本。
 この神話が、ついに崩れた瞬間であった。
 後の歴史家は、「千年続いたのだからたいしたものだ」と述べたが、アメ
リカの軍事力と影響力はこれより後衰退を辿る事になる。
 そして、誠はこのようなアメリカ戦史最悪の状況の中で狂い、そして竜を
呼び寄せる。
 それは、撚光が器使いたちにゴーサインを出して、たった一時間後の出来
事であった……。

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 誠は、そんな最悪の戦場を、そして血にまみれた自分自身を見つめていた。
 本来人間とは、自分の悪い所も良い所もすべて纏めて妥協し、周りに許さ
れる事で生きている。
 《自分はこれでいいのだ》と、周りに認めてもらい、妥協してもらい、悪
い事には目を背けて周りの人間もあえてそれには触れないでいる事で、人は
人として生きていけるのである。
 しかし、誠にはそれが許されなかった。
 忘れたい事は無理矢理に思い出させられ、目の前には血の海が広がり、誠
はその中で我を忘れて人を殺していた。
 誠は嫌が応にも見せられる中で、自分自身と再び見つめあう事になってし
まったのだ。

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 誠は戦術ヘリを一通り撃破すると、鬼の群れへと単独で突っ込んでいく。
 狂って銃を撃っていたヘリが消え、体勢を整える余裕を得た残存兵力が見
たものは、四色のオーラを鎧のごとく身に纏い鬼をなぎ倒す誠の姿だった。
 誠は自分の行いをただ見つめるだけだった。
 我を失って殺しまくる誠に歓声をあげる兵士達もいた。
 誠の戦いに、絶望の中に希望を見い出す者もいたようだ。
 だが自分はといえば、ただ殺す事で自分から逃避した哀れな姿でしかなく、
誠の目には英雄とは写らない。
 そして、誠はある場所へと駆けていく。
 そこにいるのは、水波である。
 彼女を小脇に抱えて再び鬼に斬り掛かり、そこに、日輪機の《天の磐戸》が
発動し、誠は水波と供に吹き飛ばされる。

 青年は、誠を見つめて言う。

「守りたいか」

 はっと、誠は顔を上げる。

「それは我ら次元を超えた先にある存在が、お前達に語りかける最初の言葉。
 器の力を授かった者は、全て何かを守る為に戦う強い意志を持たなければ
 ならない。だが、お前はそれを忘れようとした。真実に向き合う事を拒ん
 だ。だから、これからお前には、お前自身の闇と向き合ってもらう」
「俺自身の……闇……」

 誠の頭の中では、一兵士の視点が写し出されていた。

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「そんな……嘘だ……俺は……今日家に帰れるはずなのに……」

 テントでコーヒーを飲んでいた兵士が、そんな事を呟く。
 彼の同僚も、沈痛な面持ちで地面を見つめ、

「くそ!」

 近くにあた石を蹴飛ばした。

 アメリカの敗北は、直ぐさま富士山麓に展開している陸上部隊に届けられた。
 そこにいた全ての米兵が天を仰ぎ、胸で十字を切って祈った。
 そして、富士山麓にぽっかりと開いた黒い大穴を見、身震いした。
 米軍が核を何発も打ち込んでから数時間後、この黒い穴から、何万という翼の
生えた鬼が飛び出し、海に向かって飛んでいったのだ。
 それからたった半日。
 午後三時に届けられたのは、米海兵隊全滅の知らせであった。
 世界最強をたった半日で壊滅させた悪魔が、またここから這い出してくる……。
 一応の規律を保ってはいたものの、米兵の精神状態は、極限にまで追い詰めら
れていた。

「どうするんだ、政府はどうして撤退命令を出さない?」
「俺達を見捨てるつもりなのか?」
「政府は軍事衛星で全て見ているはずだ。なのに……」

 兵士達の不安と不満はピークに達していた。

 ……そして、再び鬼が這い出してくる。

 日本の自衛隊、アメリカ、イギリス連合軍が一斉に歪みの穴に向かって砲撃を
始める。
 だが、その砲撃がまるでなかったかのように、全ての鬼が無傷で這い出して、
物凄いスピードで彼等に迫ってきた。
 断末魔の悲鳴をあげながら食われていく兵士を残し、ものの数十分で撤退を始
めた日米英は、陸戦部隊を引き上げさせ、代わりに空挺部隊を前面に押し出した。
 ヘリの爆音とともにミサイルが連射され、鬼の群れの中に吸い込まれていく。
 だが、鬼達はまきあがる土煙の中から何ごともなかったかのように飛び出し、
近くで逃げまどう兵士を食い殺していった。
 ロケット砲も全て命中するも、全てが致命傷を与えられず、チェーンガンを連
射する砲手も、もう半狂乱に近かった。
 アメリカは負け、背中を預けるものも無い。
 目前には、近代兵器が一切通用しない悪魔……。
 その悪魔の一匹が、ヘリのガラスに張り付いた。
 その時。

 パン!

 ヘリを操縦する兵士の後ろで、銃声が響いた。
 驚いて後ろを見ると……首まで真っ赤に血で染めた仲間の死体が、うつろな視
線を彼に向けていた。
 その死体の右手には、小さな銃が握られていた……。

「……帰りたい……」

 そして、生き残ったもう一人の兵士も、狂った。
 器使い達がやっと前面に出、鬼と戦おうとした矢先、ヘリのチェーンガンが、
彼等を攻撃し始めた。

「みんないなくなれば……俺は……帰れるんだ……!!」

 そして、チェーンガンが、一人の人間をとらえる。
 訳の分からない焦燥感にかられ、トリガーをひく。
 まるでダンスを踊るかのようにその人間は銃弾を受け続け、そして糸の切れ
た人形のようにその場に倒れた。
 それを見た一人の若者が、物凄い形相でこちらを見た。
 そして、声を張り上げて、から竹割りにヘリを一刀両断した。

 その相打ちは連鎖し、あちこちでヘリが暴走を始めていた。
 相打ちをする兵士達、その死体に群がる鬼……。
 まさに、《地獄絵図》であった。

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「くっ……」

 誠は、その壮絶な光景を目の前で見、思わず目を逸らす。

「俺は許せなかったんだ! 自分達こそが全てを守れる全能の兵士だとでも言
 わんばかりの横柄さで乗り込んで来ておきながら、勝手に狂って仲間を殺し
 たあいつらが……許せなかったんだ!」

 誠は絞り出すように叫び声をあげた。

「そう、お前はそうやって怒りに身を任せた……自分の使命も忘れてな……お
 前は器を持つ資格もない、ただの人殺しだ」

 はっと誠が振り返った時、そこには不敵な笑みをたたえた《自分》がいた。
 誠の前に立つもう一人の誠の瞳は淀んでおり、その瞳はじっと誠自身を見
つめていた。
 そして、その口が開き、唇の端を歪ませて言った。

「お前はここで俺に食われて消えるんだよ」



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