『26』


 自分自身が目の前に立っている、というのはどういう感覚なのだろうか。
 本来人間は自分の本当の姿を見るという事はできない。
 鏡は逆に写りこみ、そして写真は動く事は無い。
 ビデオは動き、喋っているが、それは自分の記憶と一致する思い出のため、
それに違和感を感じる事は無い。
 自分の前に、自分が「他人」として現れる。
 これを、ドッペルゲンガーと表現する者もいる。
 
「何だか複雑な顔をしているな。せっかくもうひとりの自分に出会えたんだ。
 そんな顔をするなよ。俺は嬉しいんだ」

 なんの遠慮もなく、誠の前にたった「もう一人の誠」が、にこりと微笑む。
 そして、誠の真正面に立ち、誠と同じ目線で、誠と同じ顔で、誠と同じ声
で、静かに、呟くように言う。

「知っているか? もうひとりの自分の姿を見た者には……死が待っているん
 だせ」

 そういうと、くくく、と含み笑いをしてふわりと後ろへ飛び退る。
 まるで重力もなく移動するその様に、誠は不気味さを覚えた。

(これはただの……俺の心の弱さが生み出した…………)

「幻覚だとでも思っているのか?」

 誠の言葉を遮るように、彼が誠の心の言葉の先を行く。

「悪いがこれは幻覚じゃない」

 そういうと、もうひとりの誠は居合いの構えをとる。

「……どうした? 構えないと死ぬぞ」

 その言葉とともに、空気を斬る小さな音が静かな闇に響き、それと同時に、
誠は後ろに飛び退る。
 誠の鼻先で風が切り裂かれる感覚がする。
 自分の剣撃を自分でかわすなどという事は普通の状態ではありえない。
 誠はこのありえない感覚と、思いのほか強烈な自分自身の居合いに驚きを
隠せなかった。

「さすがは俺。見事」

 そう皮肉ると、もうひとりの誠は静かに刀を納める。

「あれ以降、全ての戦いを俺一人に任せて後ろでシクシク泣いていたお前が
 あの居合いをかわすとは思ってもいなかったんだがな」

 もうひとりの誠は、静かに歩きながら誠と距離をとる。
 そして、二人の間に空いた隙間に、幾つかの画像を写し出す。

「見えるか? 『俺』が生まれた瞬間を見せてやる」

 誠の足下には、写し出された画像が移り変わる。
 最初に写し出されたのは、4年前の決戦。赤、青、白、黒の竜が誠を覆い
隠し、すべてを薙ぎ、全てを蹂躙したあの誠。

「この時はまだ、俺は生まれていなかった」

 もうひとりの誠が静かにそう言う。

「あの時は、お前はお前だけの力で『竜』を呼び出した。その悲しみと激怒
 は、次元さえも超えてしまった。俺が生まれたのはこの後だ」

 誠が次に見たのは、4年前の決戦から半年後。
 あれから初めて鬼と戦う事になった事件。
 この時、誠は幹部としての要請を蹴って、見回りという立場を取った。
 彼等が幹部に誘った真の目的は、誠を監視し、暴走を防ぐ事であったのは
確かだ。
 この戦いで、彼等幹部の恐れていた事態が起こった。
 誠が暴走したのだ。
 
 ……この時、誠とペアを組んでいた鬼切りの少女が鬼に傷つけられるとい
う事が起こった。
 もちろん、鬼との戦いにおいて傷付くというのはあたりまえの事でそれを
気に病んでいては戦うことなどできない。
 しかし誠はこの時、彼女の血を見て一種のフラッシュバックに襲われた。
 彼女が美月に見えたのだ。
 あの時の美月と同じ三つ編みであったという事も、誠のフラッシュバック
に拍車をかけた。
 切れた誠は、人が変わったように、まるで鬼神のごとく鬼達を蹂躙した。
 逃げまどう第一種を、獲物を追う虎のごとく食らい尽くした。
 三つ編みの彼女は、それをただ腰を抜かしてただ見つめる事しかできなか
った。
 そして、この事態をすぐさま蒼真 武と、葛之葉 美姫に報告した。
 彼女の名は源 春菜。
 後に、頼光の名を襲名し、四天王を束ねる彼女も、この時わずか14歳。
 この春菜も、この時から誠に関心を持ち始める。

「この時だ……この時から、お前は戦いから逃げて、全てを俺に押し付けた
 んだ。俺は、お前が嫌だと思う事がある度に心の奥底から引きずり出され、
 お前が安心するまでただ戦いを強要された……」

 もうひとりの誠が、誠を睨み付ける。

「……お前が満足して出てきたら、俺はお払い箱だ。俺は、お前の弱さを隠
 すためだけに生み出された。戦え、戦え、戦え。殺せ、殺せ、殺せ……」

 誠の眼前に、水波と戦ったあの鬼、咲耶を救ったトラックでの戦い、渡辺
と戦った時、そして、鷲王と戦った時。
 様々な戦いが写し出される。

「貴様はこのどれも、自分で戦ってなどいなかった」

 二人の誠の距離がどんどん縮まる。

「逃げて一時の体裁を繕って戦いを拒否して全てを丸投げした貴様に、この
 俺の苦悩が分かるか」

 もうひとりの誠の迫力に、誠は後ずさる。

「そうだ。お前は俺にはかなわない。戦う事を拒否し、逃げて誰かがなんとか
 してくれるのを待っているだけの貴様に、俺を倒すだけの力も気力も残って
 などいない」

 もうひとりの誠はそこまで言うと、すらりと自分の刀を抜いて振り上げた。

「だから言ったのさ。お前は俺に食われて消えるんだ、とな」

 そのまま刀を降りおろす。
 誠はそれを紙一重でかわすものの、その剣撃の勢いに耐えられず、バランス
を崩して転げ回る。
 降り下ろされる刀に対抗しようにも、誠には刀はない。
 ただの一振りにかなわず誠は弾き飛ばされた。
 誠の体が、暗闇で見えない岩壁に激突する。
 距離感が掴めず、受け身すらも取れずに背中からぶつかり、後頭部まで強打
した誠は、ずるずるとその場に崩れ落ちた。
 その誠の腹を、もうひとりの誠が思いきり横に蹴り飛ばす。
 誠は地面を滑り、砂埃と供に横たわった。

「これからは、俺が表に出る。お前はここで俺に食われて消える」

 もうひとりの誠が、誠の頭を踏み付ける。
 誠は、朦朧とする意識の中で、自分の弱さをただ攻めるだけしかできない。
 武器もなく、ただ嬲られる自分は、なんと弱いことか。
 自分は、戦ってなどいなかった。
 あの時に意識を失った時は、竜が戦った。
 それ以降の戦いは、『もうひとり』に全てを任せて自分は後ろで目も耳も塞
いでいた。
 俺は強くない……あの時から……何も変わっていない。

「……なんだ、もう観念したのか? ……俺は、こんな奴の代役をやらされて
 いたのか」

 もうひとりの誠は、誠の頭を踏みつけながら言う。

「記憶だけはありがたくもらってやる。水波も咲耶も、俺がありがたく頂く。
 あの小娘、どんな声で鳴くのかな」
 
 そう言い、にやりと微笑するもうひとりの自分に、誠ははっとする。 
 俺を慕ってくれる人がいる。俺に全てを預けた人がいる。
 誠は踏み付けられた頭を上げる。
 そして、もうひとりの誠の足首を掴んで起き上がる。

「無駄な足掻きだ」

 もうひとりの誠は、その足を自分の方に引き込み、バランスを崩した誠の
横っ面を思いきり殴り飛ばした。
 再び吹っ飛ぶ誠。
 それでも彼は、両手を突いて起き上がろうとする。

「……そんなにあの小娘どもが大事か?」

 そう言うと四つん這いの誠の横腹を、彼は再び蹴りあげようとする。
 誠はそれを脇で受け止め、声を挙げて振払う。
 しかし、振払いがら空きの腹に、もうひとりの誠の後ろ回し蹴りが直撃す
る。
 誠は片膝を突きながら地面を滑って行く。
 
「お前では俺にはかなわない。お前は逃げ出した挙げ句、まともに戦う事す
 らしてないんだからな」

 誠は、息を切らし、埃にまみれた顔でもうひとりの自分を見る。
 もうひとりの自分は、歪んだ表情に冷たい目ではありながらも、恐ろしい
ほどの覇気を感じる。
 誰かを殺す事を厭わない確固たる殺気。
 この殺気に自分はどう対したらいいのか。
 誠はそれが分からなかった。

「……くだらないな。こんな奴に俺は対抗心を燃やしていたのか……これな
 らば、いつでも食らえたな」

 そう言うと、もうひとりの誠は、刀を振り上げた。

「じゃあな。『もうひとりの俺』。偽者は消えて、これからは俺が本物だ」

 そして刀が降り下ろされ、誠は強烈な衝撃の中へと消えた。
 その誠に、もうひとりの誠が呟く。

「鷲王、待ってろよ……」

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 誠は浮かんでいた。
 これがどこかは分からない。
 何かの中に横たわる誠の横に、あの若者が立つ。

「不様だな。ここまで一方的にぼこぼこにされるか? 普通」

 誠の顔を覗き込んで、若者は不満そうに言う。

「刀があるとか、戦闘力が凄いとか、そういうのはこの際あんまり関係ない
 んだよ」

 若者の言葉に、誠は何も答えない。
 一点を見つめて微動だにしない彼を見て、若者はひとつため息をつく。

「お前には期待しているんだけどな。今でもそれは変わらん」
「…………」

 誠は何か呟くように口を動かす。

「……言いたい事があるんなら言ってみな」

 そう言って誠の口元に、若者は耳をあててみる。

「……俺は……ここまでなのか……何もしないで……ただ周りのものに全
 て任せて……」
「終わりたくなきゃ、何かするしかねえだろうが」
「……俺は……俺自身に勝ちたい……俺が俺として恥じない戦いをしたい
 ……俺は、俺として戦いたい……そんな強い心が欲しい……」

 若者は、誠の口元から耳を離し、腕を組んで誠を見下ろす。

「……だったら、絶対に曲げられない信念を持つしかないんじゃねえのか。
 お前は、一体何の為に戦うんだ? 強くなりたいからか? 力が欲しい
 からか? 鬼が憎いからか? 人殺しの罪滅ぼしか?」

 誠は、ぼそぼそと口を動かす。

「違う……力が欲しいから戦うんじゃない……憎しみがある訳じゃない…
 …罪滅ぼしがしたい訳じゃない……俺が戦うのは……」

 その時、誠を挟んで若者の向かいに、新たな意識を感じた。
 誠ははっと我に返り、その方角を見つめ、そして目を見開いた。
 そこにいたのは、懐かしい姿。
 4年前から変わらない、誠がいつも想い描いた彼女の姿がそこにあった。

「なんかさぁー……ぼっこぼこじゃない。なにやってんのあんた」

 あの時と変わらない、少し憎まれ口を含んだ、でも親し気に語りかける
その姿。
 手を後ろに組み、そしてジーンズにタンクトップ、長い髪の毛を三つ編
みにして後ろに流すという、昔と変わらない、いつもの姿で、彼女は誠の
顔や体をじろじろ見る。
 誠は、彼女の名前を、無意識のうちに呟いていた。

「……じろじろ見るなよ美月……」

 美月は、誠を見て微笑むと

「よっ、元気? じゃーないわね、あはは」

 と言った。




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