『27』


 誠の目の前に現れた彼女は、昔と変わらなかった。
 いや、変わらないように見えた。
 彼女はあのとき、誠の目の前で死んだのだから、ここにいる彼女が本物
である訳がなかった。

「なんかさあ、そのおばけでも見るような目、やめてくれない?」

 頭を掻きながら、美月は不満そうに唇を尖らせる。

「あーー、もう、ほれ、起きろ起きろっ」

 美月は乱暴に誠の横腹をげしげしと蹴り始める。

「あっ、こら、やめ……」

 誠は蹴られた事によるのか、それとも意識がはっきりしたからか、まる
でベッドがらずり落ちたかのように地面に突っ伏した。
 鼻を押さえて上を見上げると、仁王立ちして誠を見下ろす美月の姿があ
った。
 丈が短いタンクトップを下から見上げているせいか、美月の胸元が目に
飛び込んでくる。
 誠の視線の先を追って何かに気付いたのか、みるみる頬が赤くなる。

「このスケベ! ドコ見てんのよ、このこのこの」
「うわっ、こら、痛い! 一応ケガ人だぞ俺は」
「うっさいわね、ドサクサにまぎれて下からおっぱい覗くような奴はサイ
 テーだ! このっこのっ」
「不可抗力だろうがそんなもん」
「あーーそんなもんって言ったな、もう許さん」
「なんでそうなるんだ、お前がタンクトップなんて着てるからだろうが……
 って、うわ、まて、殴るな、蹴るな、引っ掻くなーー!」

 はあ、はあ、はあ……

 なんだか疲れている誠と美月。
 誠は、膝に手を突き、何をしてるんだか俺達はと思いながら、馬鹿馬鹿
しくなってひとつため息をつく。

「ちったぁ元気になった? 全く、すぐに落ち込んでぐじぐじ言うんだから」
「……お前が話していると、深刻な話も冗談で済みそうで恐いな」
「……コロスわよ」

 と、憎まれ口を叩きながら、二人は微笑する。
 誠にとっては日常だったもの。
 誠と美月にとっては、いつもの会話だったものが、いまここで繰り広げら
れている。
 誠は少しだけシュールさを感じながら、それでも今のこの状況を受け入れ
ていた。

「……分かってると思うけど、私は本物じゃないわ。なんでここにいるの
 か分かんないけど、たぶん、あんたの心が作り出したのかもしれないね」
「俺が……」
「あのイケスカナイ誠を作ったのも、あんた自身じゃない」

 そういうと、んーー、と大きく伸びをする美月。
 そして、誠の瞳をじっと見つめる。
 
「分かってると思うけどさ、私は死んでる」

 美月はあっさりと自分の現状を認めてみせた。

「ああ」

 誠もそれに答える。
 
「誠さぁ。私は死んでるの。死んだ人間のことを、いつまでも想ってちゃ
 だめなんだよ? 分かる?」
「……美月」
「人間ってやつは、昔のコトは、良い事も悪い事も、全部ひっくるめて脳
 みその片隅に片付けて、前を見ないといけないの。分かってないでしょ、
 こーいうの」

 そう言いながら、誠に対して人さし指を突き出して振りながら、まるで
子供に言い聞かせるように言う。

「現実をもっと見なさい誠。……っていうか、なんで死んだ私の方が、生
 きてるあんたにこんな事言わないといけないのよ。なんか最低ーー」

 美月は腰に手をあてて頬を膨らませる。
 誠は、そんな美月を見て苦笑する。
 そうだ、こいつはこんな奴だった。いつでも前向きで、自分から絶対に逃
げない。そんな奴だった。
 
 そして思った。

 こんな奴だから、俺は好きになったんだ。

「……相変わらずだな、美月」
「あたりまえでしょ、何言ってるの」

 そんなの当然、といった表情で、誠を見る美月。

「私達の事をずっと想っててくれるのって、凄く嬉しいよ。マジで嬉しい」

 そう言いながら、美月は誠に近付く。

「でもね、いつまでもこんなの持ってちゃダメだよ」

 美月は誠の首にかけられたものを誠の首から外した。
 それはネックレス。
 美月が死んだ時に、誠が美月の首から外して自分の首にかけたものだ。
 それは、今美月の首に戻された。
 垂れ下がるその先端には、小さな輝く石の他に、指輪、そして鍵がぶら下
がっていた。
 それらを指で撫でながら、美月は言う。

「もう、昔ばっかりみるのはおしまい……」
「美月……」

 その時、誠の後ろに気配が生まれた。
 誠がそれに気付き後ろを見るか見ないかというその瞬間、

 ぱこーーん

 ……パーで殴られた。
 誠が振り返ると、そこには見知った二人の姿があった。

「……真田さん……武市さん……」

「そう、誠、久しぶり」
「……変わってないすねー、全然」

 二人はそう言うと、真田は誠の首に腕を回し、武市は誠の肩を優しく叩
いた。


                $

 誠が過去の思いでと出会っているその時、特訓を終えた面々が、柊家へ
と戻ってきていた。

「あっ、咲耶さーーん」

 水波が元気よく右手を振る。
 咲耶も穏やかに微笑んで手を振ってみせる。

「……咲耶、煤だらけだな」

 美姫の言葉に咲耶は頷いて答える。

「はい。この煤は、私の心の迷いが表にでてきたもの……」
「そうか。ならば、それを早く洗い落とし、新しい自分にならねばな」

 そう言うと美姫はにこりと微笑んでみせた。

「お疲れさま。良く頑張ったね二人とも」

 そこに武が現れる。
 涼やかな視線で面々を見渡す武。

「泥だらけになったな、水波ちゃん」
「えへへ、頑張りました」

 にこにこと微笑む水波の横で、美姫が微笑しながら頷く。
 それに、無言で武も頷き返す。

「誠はまだ出てきませんか?」

 文が心配そうに尋ねる。
 彼女のその声は、一人の母として息子を案ずるもののように武には聞こえ
た。
 その言葉に、武は首を横に振って答える。

「誠君は、まだ出てきません」
「……そうですか……」

 武の言葉に、静かに頷く文。

「だいじょうぶだよ、まことは強いもん!」

 水波がそう言って、えへん、と腰に手をあてて胸を張る。

「お主が威張っても仕方がないじゃろう……」

 水波の後ろに控えている老人がため息まじりに言う。

「……前鬼……後鬼……再び出てきたのか」
「お久しぶりでございます、竜(オロチ)の者」

 前鬼と後鬼はそう言うと、深々と武に頭を下げてみせた。

「これより戦線に復帰、障害を滅ぼして参ります」

 武は、前鬼と後鬼、その前でなんだか偉そうにしている水波を見、
静かに頷く。
 その武の横に、卜部が並ぶ。

「蒼真君、感じるか?」
「はい、あの岩戸の中には様々な思念が入り交じっています。その
 中には、愛しさと……そして怨念が」
「戦いの最中か」
「ええ。何があっても、誠君が出てくるまではあの岩戸を死守せね
 ばなりません」

 顎に手をあてて、卜部は尋ねる。

「……もし、彼が自分に負けたら?」
「その時は……彼が自分に負けて闇の心に捕われたなら……」

 武はちらりと水波や咲耶を見、後に岩戸を見据えて言う。

「柊 誠を、俺が倒します……」

 卜部は渋い表情で岩戸を見る。
 と、その時、何かの気配を感じて、その場にいる者達が身構える。
 
 そこには、光基神社を襲った時に、伊賀瀬と供に現れたあの鬼が、複数の
鬼を引き連れて姿を現した。

「……八面鬼……!!」

 美姫が、苦りきった表情でその鬼達を睨み付ける。
 八面鬼は、無表情で彼等を見渡すと、静かに言った。

「ここか……」

 
                $


「久しぶりですね、真田さん。武市さんも、相変わらずで……」
「おー、元気そうで何よりだ」
「……ま、死んでんすけどね」

 真田と武市はそう言うと、誠を通り過ぎて、美月の横に立った。
 こうやって見ると、真田の背丈がやけに突出して高く、武市は横に大き
い事が分かる。
 まるで美月が小人のようだ。
 そして真田が口を開く。

「なあ、誠。俺等の事を想っててくれた事……本当に感謝している。お前
 が俺の鍵や、武市のエンゲージリングを持ってたって事は、だいたい何
 があったかも分かってるつもりだ」
「……そうか……あいつ……やっぱり僕と別れるつもりだったのか」

 真田に続いて、武市が言う。

「柊君、君は、忘れ去られた僕達のために、そのネックレスをずっと付け
 続けてくれていたんだね」

 誠はただ視線を外して俯くだけだった。

 真田の家庭は、真田が死んだ事で離散してしまっていた。
 彼の収入だけで生きていた家族は、唯一の稼ぎ手を失い、遺族年金で細々
と暮らす事になった。
 しかし、真田が死んだ事と生活苦からノイローゼになった彼の妻は、家族
を道連れに自殺する。
 ガスによる無理心中だった……。
 誠が、バイクの鍵を形見として渡しに行った時には、もうその家には誰も
いなかった。

 武市の恋人は、武市が死ぬと同時に、彼に関する全てを焼き払って、新し
い恋人と婚約した。
 無気味な程、その手続きは鮮やかだった。
 誠が彼の指輪の話を持ち出すと、彼女は誠を悪人でも見る目でこう言った。

 誰、そいつ。私の人生を壊す気なの?

 誠は絶句しながらも、指輪を渡そうとした。だが、彼女は結婚するからも
ういらない、と、まるで元々、武市という存在はなかったかのように振るま
い、誠から走って逃げた。
        
「誠よぉ、お前が俺達のためだけに、今のままでいるんだって事は、俺達は
 痛い程分かってる。お前は、俺達が存在した証を残す為に、俺達が戦って、
 その意志がちゃんと自分に受け継がれているんだという事を認めさせる為
 に、今のままでいるんだろう」
「僕らは、幹部連中嫌ってたっすからねぇ……でもね、柊君。もういいんす
 よ」

 真田と武市は、誠に微笑みかける。

「幹部になって人を導くのではなく、自ら前線に立って人のために戦いたい…
 …か……ま、それも本音なんだろうよ。だが、俺達の事と、そして人を死な
 せたトラウマが、お前の中に臆病なお前と、そして残忍なお前を生み出して
 しまった」
「でも、柊君は、そろそろ『自分のため』に戦うべきっすよ。僕はね、人って
 誰かの信頼に答える為に、誰かの想いのために戦っているっていう、その満
 足感のために力を振るう事はできると思ってるんすよ」

 美月が、静かに誠に近寄り、そして正面に立つ。
 そして誠を抱き締めた。

「……ありがと……誠……あたし、最期にあんたに会えてすっごい嬉しかった」
「……美月……」
「誠、聞こえる? みんなの声……」

 その美月の声とともに、誠が知る人々の声が、頭の中に響いてきた。

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