『28』 誠の目前には、声とともに多くの人の面影が浮かんできた。 誠に微笑む撚光は、自分に何かを頼んできた。誠を育て、そして放った土方 は、ただ後ろで誠を見て微笑している。 「大丈夫よ。誠ちゃん強いから」 「あいつは必ず帰ってくる。それまでに俺達はできることをしておく」 撚光と土方のそんな声が聞こえてきた。 彼等は誠を信頼していた。 信頼し、そして誠に委ねたのだ。 父、精一郎は穏やかに誠が帰ってくるのを待っている。 誠の父は、ただ空を見上げていた。 彼もまた誠を信頼していた。 信頼し、そして誠に委ねたのだ。 「……ネヴィ……もう少しだから……」 浮かんだのはミハイルの顔。 その顔は苦渋の表情で、何かに絶えていた。 彼もまた誠を信頼していた。 信頼し、そして誠に委ねたのだ。 そして、水波と咲耶の顔が浮かんできた。 彼女達は、泥だらけになって戦っていた。 彼女達が戦うのは、誠が帰ってくると信じているから。 「誠さま、決して自分の心から逃げないで……」 咲耶の声が聞こえてきた。 水波はいつも誠に安全を委ね、咲耶は自分の行く末を誠に委ねた。 誠は思い知る。 自分が、多くの人間の信頼と希望を委ねられている事を。 そこに元気な水波の顔が、ぱっと浮かんできた。 「わたしも頑張る!」 水波の元気一杯の声を聞いた時、誠の朦朧とした心の霧が一気に吹き飛ば された。 「俺は……信頼されている……俺は……託されている……」 だんだんとはっきりしていく視界。 そして、誠は思った。 「力が欲しい。この信頼を守るだけの力が……。誰かが自分を想い、信頼し てくれる限り戦える力がほしい……!」 「誰かの信頼と想いを守る為に戦う、というのが、お前の剣か?」 ふいに、あの白衣の青年の声が聞こえてきた。 「信頼されなければ戦えないってのは、なかなかシビアだぞ。お前は、その 戦いの中で正しいと信じた誰かの想いに応え、そしてそこから新たな信頼 と想いを託されなければならない」 旧知の人物達の横に、青年が並び、そして言葉を繋げる。 「その想いの正しさを図る確固たる心がお前の中にない限り、お前は再び暴 走する。また、残忍なお前が生まれる」 誠を抱き締めたまま、美月が言う。 「大丈夫よね……誠は、誰の想いが正しくて、誰の想いが間違ってて、誰の 想いに答えればみんなが笑顔になれるのか……分かるよね」 青年が、地面を撫でるような仕種をすると、そこには赤髪の若者が写し出 された。 「……鷲王……」 $ 彼は泣いていた。 いた、慟哭といってもよい。 その血の涙の先には、血まみれの少女の姿があった。 ……彼女は死んでいた。 彼女の体は手術室に横たわり、体にメスが入れられた状態で放置されてい た。 死因は大量の血を失った事による失血死。 彼女の手術を担当していた医者が、鬼の襲来という情報に怯え、『緊急避 難』を名目に、この少女を放置して逃げ出したのだ。 鷲王がまだ鷲尾として人であったとき、彼は必死で彼女を探し、そして、 血まみれで横たわる遺体を見る事になる。 鬼の襲来は確かにあった。 だが、医者連中は彼等器使いを信用せず、臆病風に吹かれてそそくさと逃げ 出したのだ。 己の使命も全て忘れて。 これを見た時、鷲尾は狂う。 『俺は人間を憎む! 全てを許さん!! 妹を奪ったこの人間世界の全てを 呪い、奪い、壊し、殺しつくしてやるぞ!!!』 まるで獣の咆哮のごとく鷲尾は叫んだ。 するとそこに歪みが生じ、紅葉が現れた。 彼女は言う。 『……威勢の良い人間だ。どうだ、我が手足とならぬか?』 鷲尾は答える。 『貴様らも全て殺す。例外はない』 この言葉に、当時《鷲王》と呼ばれていた男が激昂する。 『おのれ紅葉様を愚ろうするか! 貴様はここで死ね!!』 鷲王は微動だにしない鷲尾の胸に、己の刀を突き刺した。 鷲王の血が、狭い手術室に、そして自分の顔に飛び散る。 しかし、鷲尾は眉一つ動かさずににやりと微笑む。 ……この数秒後、鷲尾に向かっていた鷲王の肉体が、粉みじんに吹き飛ん だ。 ただの刀の一閃によって、鷲王は滅んだのだ。 激痛すら無痛とし、四天すら凌駕する圧倒的な怒りと憎悪の力であった。 紅葉は嬉しそうに微笑すると、鷲尾に瞬時に音もなく近寄り、そして彼を 撫でた。 その瞬間、鷲尾は凄まじい圧力とともに吹き飛ばされ壁に激突し、大量に 吐血しながら地面に突っ伏してしまう。 うつ伏せの鷲尾周りに、急速に血の池ができていく。 『のう、貴様、妾の手足となるのであれば、今以上の『鬼の力』をくれてや るぞ、どうじゃ?』 鷲尾は、血にまみれた顔で紅葉を睨み付けて口を開いた。 『貴様に隷属すれば、俺は今以上に強くなれるのか……』 『無論じゃ』 鷲尾はよろめきながら紅葉の側に近寄ると、その場に跪いた。 『我をお側に……紅葉様……』 紅葉は満足そうに微笑むと、何やら唱え始めた。 その瞬間、黒い何かが鷲尾の体の中に入り込み、そして、鷲尾の瞳が深 紅に染まった。 『お主は、これから鷲王と名のれ』 鷲尾は憎悪に満ちた目で紅葉に微笑んでみせた。 『……全てを殺し尽くしてくれましょう……我が主人よ』 鷲王という、一人の鬼が誕生した瞬間であった。 その声は、全てを呪う悪鬼のうなり声のようだった。 $ 「この想いは強いぞ。間違った歪んだ方角を向いているものの……これは 生半可な事では動かない強烈な想いだ」 青年は画像を消して誠に言う。 真田、武市は、今にも泣きそうな顔で俯いていた。 彼等は、鷲王を知っていた。 「あの鷲尾がな……そんな事があったか」 「……僕は、鷲尾さんは好きだったよ……」 美月は、誠を抱き締めたまま黙っている。 「これを……救う事ができるか?」 青年は言う。 「真田と武市は、鷲尾を救いたいと想った。そして……」 今度は、蒼真 武の姿が写し出された。 「彼も救ってほしいと想っている」 誠は、ただ静かに聞いていた。 「お前が力を欲するのであれば……想いに応える力を欲するのであれば、 彼等の想いをとげてみせろ。鷲王を倒し、鷲尾という人間を救え!」 倒し、そして救う。 相反するかのようなこの言葉に、誠ははっとする。 「ねえ、誠」 抱き締めたまま、美月が言う。 「4年前の戦いから、いろんな人が傷付いた。誠だけじゃないよ? 本当に、 たくさんの人が傷付いて、そして助けてほしいって想ってるの。鷲尾さん、 泣いてるのが分かったよ、私」 美月は、誠の顔を自分の両手で優しく包む。 「助けてあげて。戦って、悲しくなって、泣いてる人がいたら、誠のすっ ごい力で助けてあげて」 「……美月……」 「それが……大好きな誠に、私が伝える、一番の《想い》だよ」 美月は両手で誠の顔を包んだまま、自分の顔を近付けた。 そして、二人の唇が重なった。 その優しい口付けに、誠は心の何かが癒される気持ちがした。 ……そして、誠は自分が戦う理由と、そして剣に宿す心を見つけた。 誠から自分の体を離し、美月は両手を後ろに回して微笑んだ。 そして、優しく言った。 「大好きだよ、誠。でも、私はもういなくなるから……今度は……誠を 大好きになってくれる人の心に応えてあげて」 真田と武市の姿が消えていく。 「じゃあな、誠。草葉の影から見ててやるぜ」 「じゃあ、逝くっすよ。僕も見てるよ。もちろん天国から」 微笑みながら、二人の姿が消える。 そして、美月の姿も、光の粒になって消えていく。 「誠、あんたは強いよ! すっごく強いの! でも、もし何かに迷った ら、私の言葉を思い出して!」 美月の姿は、もう光に包まれて見えない。 「美月!!」 誠は、無意識の内に、好きだった少女の名前を叫んでいた。 「ずっと、言葉になってあんたの心にいてあげる。そして、ずっと後ろから 背中を押してあげる! だから……負けるなよ、誠!!」 最期は、本当に美月らしい激励の言葉とともに、彼女は消えた。 そして、青年と誠が残された。 真を見て、青年がにやりと微笑んで、からかうように言う。 「なんだ、結構いいツラになったな」 その言葉に誠は真正面から青年を見つめる。 ハッと、誠は胸元に手をやる。 そこに、誠を苦しめていたあの首輪はどこにもなかった。 元の持ち主の元へと戻り、そして光となって消えたのだ。 「奴を倒して、俺は帰る」 それに応えるかのように青年が微笑むと、視界は一瞬にしてあの暗闇 へと戻った。 「なっ……!」 もうひとりの誠が、驚きに目を見開く。 その驚きは、誠が立ち上がったからではない。 彼が、あまりにも圧倒的な存在感で立ちはだかっている事へ驚きであった。 誠が放つ意志の波動に、もうひとりの誠は思わず後ずさった。 ←『27』に戻る。 『29』に進む。→ |