『29』 「貴様……いいかげん死ねよ……」 憎悪の表情で、もうひとりの誠は睨み付ける。 だが、もう誠は、この男が恐くなかった。 「悪いが、もうお前に関わってる時間はない。俺は外へ行く」 そう言うと、誠はずんずんと歩み始めた。 まるでもうひとりの自分を無視するかのようなその立ち振るまいに、も うひとりの誠が叫び声をあげる。 「貴様ぁっ!! 何処へ行くつもりだぁっ!!」 風を切り、もうひとりの誠が、誠に向かって突進し、そして絶妙の間合 いで居合いをくり出す。 だが、誠は全く避けるそぶりすら見せない。 涼しい顔でそれを見ると、軽く聞き手を刀に向けた。 その瞬間、もうひとりの誠の表情がこわばった。 誠は、くり出された刀を思いきり鷲掴みにしていたのだ。 だが、その手から血はでない。 それどころか、刀の方が不快な音とともに、誠に曲げられてしまった。 「ば……馬鹿な!」 誠はもうひとりの自分に向き直ると言った。 「お前も、俺の心の一つだ。心と心の戦いならば……強い心を持つ者の方 が勝利を得られる。……もう、お前は俺には勝てない」 「なんだと!」 「お前は、俺という存在を疎ましく思った。俺を超えるのではなく、俺を 痛めつける事だけを考えていた。」 もうひとりの誠は、恨めし気に誠を睨み付ける。 「後ろを向き、過去を向いただけの……誰の想いも届かない暗闇でしか生 きられないお前は、もう俺には勝てない」 「い……言いたい事はそれだけかぁっ!!」 もうひとりの誠が曲がった刀をかなぐり捨て、その声の勢いそのままに 誠に向かってくる。 誠はその影とも言える存在を真正面から見据え、拳を固める。 黒い影と化したそれが誠を覆う瞬間、誠の心に声が響いた。 がんばれ誠! その声に後押しされるかのように手刀を振り下ろす誠。 もうひとりの誠は黒い影となり、誠の体を境にして引き裂かれる。 「ギャアアアアアアッ」 うめき声をあげながら、それでも黒い影は誠に覆いかぶさる。 「オマエハオレニクワレテキエロォォッ」 もはや人の姿すら保てなくなったどす黒いそれは、誠を覆い、誠の口 を力ずくで開こうとする。 「オマエノナカデ、オレハオマエニナル!」 黒い影に視界すら覆われた誠に、聞き覚えのあるあの声が聞こえてき た。 『力が欲しいか?』 誠は心の中で即答した。 欲しい! 全ての優しい想いに応えられるだけの、強い力が! 『我が主人は大陸にあれども、その主人、未だに目覚める気配なし。 我が主人が、そなたの背を守るというその運命を繋ぐ日まで、我はお 前の心をかりそめの主人として認めよう』 その瞬間、黒い影が誠から引き離され、白い光の帯が誠を覆う。 『我はお前が想いに応えようと戦う時、そして大切な想いを守ろうとす るその時、お前の風となりて器に宿ろう』 白い光は風となり、そして誠に向かって吠えた。 そこに、あの青年の姿が重なる。 『お前が戦う時、我が名を呼べ! 我が名は敖閏! 西海白竜王 敖閏!』 それは白い竜であった。 あの時の戦いで誠が呼んだ四竜のひとつ。 それが、誠を取り巻き、凄まじい突風となり、黒い影に襲い掛かる。 断末魔の悲鳴を挙げ、黒い影が一瞬にして消え去った。 その瞬間、辺りの暗闇が明かりに照らされた。 $ 「行け、貴様ら!」 八面鬼の声に呼応するかのように、鬼がわらわらと襲い掛かってくる。 「いくよ! おっさんたち!」 「「おっさんではないわ!」」 水波に突っ込みを入れながら、鬼達を蹴散らす前鬼と後鬼。 その回りで爆発が起こったかと思うと、鬼達が一瞬にして消え去った。 「はい、いっちょあがりぃ。さあ、おっさん出番だいけー」 「「だから、おっさん言うな!」」 見事にハモる前鬼と後鬼。 水波の力は、あの特訓で何倍も強化されていた。 彼女は紙一重で攻撃を避け、札をある時は剣に、ある時は盾にしながら、 鬼と戦っている。 そこに、前鬼と後鬼がフォローに入る。 二人の鬼に守られる形で、水波は何体もの鬼を片付けた。 だが、第三種は、一向にその数を減らす事がない。 数多くの鬼の後方に目をやって、卜部が武に語りかける。 「まずいなぁ……物真似野郎がいるぞ……」 「それでも、戦うしかないでしょうね」 「しゃあねえなぁ!! おい、刀貸してくれ、刀!」 卜部は、そう言うと、美姫に手を出す。 「ほれ」 美姫は岩戸の側に近付くと、その場に打ち捨てられてあった、錆びた 刀を選んで放り投げた。 「おい! ちょっとまて!! これかよ!!」 「文句を言うな。ちゃんと持って来ないお主が悪い」 「くそぉ! あとで覚えてろ!!」 そう言うが早いか、卜部は錆びた刀で一閃。 その瞬間、刀は白い光で包まれ、鬼は消え去った。 そして、その瞬間、錆びた刀が折れる。 「あー、ちくしょう、次だ!」 卜部は走って岩戸の側へと近付くと、打ち捨てられてあった刀を取り上 げ、斬り付けては折り、また取り上げ……をくり返している。 武は静かに刀を下げて佇む。 鬼が襲い掛かったかと思うと、武はその攻撃を紙一重で避け、それと同 時に、白い光が一閃。 目で追えないほどの高速剣。 それを、この男はどんな体勢からも繰り出せるのだ。 武が鬼の攻撃を避ける度、鬼の方が消えていった。 それらを見、八面鬼は呟く。 「あれが卜部の剣……あれが蒼真の剣……あれが前鬼の拳……」 八面鬼は長い両腕をだらりと下げ中腰の体制をとると、奇声を挙げて襲い 掛かってきた。 卜部が刀を振り、八面鬼を払おうとする。 だが、彼の刀は、八面鬼の刀にあっさりと折られてしまう。 「シャァァァッハッハッハーーーー」 奇妙な笑い声で卜部に襲い掛かる八面鬼。 そこに、武が横から斬り掛かる。 それを見て、八面鬼は言う。 「お前の剣も見た…」 蒼真は、自分と全く同じ剣閃を自らに受ける。 先程の自分の剣の速さを、完全に真似られたのだ。 「ちっ」 刀で冷静に受け、武は飛び退る。 水波がそこに札を投げ付ける。 しかし八面鬼は、拳を地面に叩き付けると、大きな砂塵が舞い上が り、札の勢いを消してしまった。 「あーっ、なんかずっこい!」 「あれはワシの拳!!」 水波と前鬼が悔しそうに言う。 「全て俺のモノにしてやる! 全てだ! さあ! 見せろ! 全て 俺に見せてみろぉぉっ!!」 切れたかのように、無気味に笑いながら近付く八面鬼の周りに、第三 種の鬼が涎を垂らして群がる。 器使い達は距離を置く。 それを見、八面鬼はにたぁ、と笑うと言った。 「では……俺から行くぞ」 それは、誠の居合いの構えであった。 誠の居合いは、距離を縮めるスピードが圧倒的であった。 刀を持たない女性を狙われるとひとたまりもない。 そして……八面鬼は、ひとりの女性に目を付けた。 「そこのオイボレ……お前から死ね!」 それは誠の母、文であった。 美姫に助けられてはいたものの、武器を彼女はもっていない。 「文さん! 逃げてぇっ!」 「美姫! 守れ!!」 水波と武の声がこだまする。 そして、八面鬼が一歩を踏み出そうとした瞬間…… どおおおおおおおん!!!! 岩戸の扉が吹き飛んだ。 「な……なんだ!!」 「爆発したーー!」 ……誠は、声を聞いた。 その声は武と水波のものであった。 懐かしいようなその声を聞き、誠は帰って来れたと確信した。 誠は、岩戸から静かに降りて行く。 そして、辺りを見渡し、八面鬼を見つけた。 「鬼か……」 誠が八面鬼を睨み付ける。 そして、水波や咲耶の歓声が聞こえてきた。 「まことだーー! おかえりーーー!」 「誠さま……よく……御無事で……」 誠は、一歩を鬼に向かって踏み出した。 その瞬間、誠を中心にして、辺りの草、枯葉などが、円状に波打って いく。 確実に、誠の周りに《何か》があった。 「……なあ、蒼真君……今の柊君は……」 「ええ……」 卜部と蒼真は冷や汗をかいていた。 以前とは違う事は、彼等にはすぐに分かったからだ。 誠は、数歩進んだ後、岩戸の方を見遣った。 そこには、広い空間などなく、10畳ほどの狭い石窟があるだけだった。 しかし、誠はそこに何かを見た。 笑顔で、誠を送りだす、大好きな人達の笑顔を。 もう迷わない。 誠は前を見据えた。 そして、そこにいる醜悪な鬼の正面で立ち止まる。 「貴様はあの時の!! 丁度良い! 貴様の技をもっとよこせぇっ!!」 八面鬼は奇声を挙げて、誠に襲い掛かった。 今の誠は刀を持っていない。それを計算に入れて、八面鬼は誠を始末 しようとしたのだ。 咲耶はそんな状況を見て、自分を恨んだ。 なぜ、すぐに誠にこの刀を渡さなかったのか。何をしていたのか、と。 だが、それは、直ぐに杞憂と変わった。 誠の間合いに飛び込んだ瞬間、八面鬼の顔が奇妙に歪んだのだ。 歪ませているのは、誠の拳。 「き……きさ……」 「気安く近寄るな」 誠が拳を振り切ると、八面鬼の体は地面で二度、三度とバウンドし、 さらに木々を数本なぎ倒して、涎と血をまき散らしながら、まき上がっ た埃の中へと消えた。 そこに、折れた木々が次々と倒れていく。 「な……殴った……鬼をなぐったーーーー!」 水波の驚愕の声にまぎれて、埃の奥で木々をかき分ける音がする。 そして、八面鬼が驚愕と憤怒の表情で現れた。 どこかわなわなと震えているようだ。 「さすがは鬼だな。あれだけ飛ばされたのに頑丈な奴だ」 誠はそう言うと、拳を前に突き出し、挑発するように言葉を繋げた。 「どうだ、せっかくだから、これも真似てみろ」 「…………貴様ぁっ!!」 誠は怒りに燃える八面鬼を睨み付け、正面から対峙した。 ←『28』に戻る。 『30』に進む。→ |