『30』 ざぁっ 誠の周りを巡っていた風が緩やかに解放されて散っていく。 八面鬼は、怒りに満ちた鋭い眼光を誠に向けている。 誠は丸腰だ。 しかし、その誠に近付けない大きな気配を八面鬼は感じていた。 もう一度襲おうとするものの、それができずに歯噛みする八面鬼を誠 は一瞥すると、水波と咲耶の元へと向かっていく。 咲耶の所へ歩んでいく彼の視界には、彼女の腕に握られた、見慣れた 刀が写っていた。 「おかえりなさいませ、誠さま」 「ああ、なんとか帰ってこれたよ」 「ほんの数時間……のはずですわね。……でも、とても懐かしいような、 そんな不思議な気分ですわ」 咲耶は優しく誠に微笑みかけ、そして大事そうに抱え込んでいた刀を 誠に差し出した。 「あなたの刀ですわ、誠さま。どうぞ、お使いくださいまし」 「これは……」 誠は、咲耶からそっと刀を受け取った。 「わーい、まことー」 そんな二人の所に、水波が駆け寄ってくる。 周りに鬼がいようがおかまいなしだ。 「こらまて小娘! 周りをしっかりと見……ええい邪魔だ貴様ら」 前鬼が襲い掛かる鬼を裏拳で吹っ飛ばし膝で蹴飛ばしながら水波に近 寄っていく。 「まことー!」 水波がタックルかと思うようなスピードと勢いで、誠の脇腹に突っ込 んだ。 「……いいタックルだ、水波」 「えへへ」 「で、お前は少しは強くなったのか?」 誠が水波の襟首をひょいと摘んで、子猫を持ち上げるようにする。 「そりゃーもう、悪漢どもをバッタバッタとぉ」 誠に襟首を掴まれて中ぶらりんの状態で、水波はシャドウボクシング。 「……あまり変わってないな……」 「えー、なんでよー」 何だか微笑ましい光景のようだが、彼等の周りには鬼が囲むようにし て彼等に今にも襲い掛かろうとしていた。 だが誠達3人は、周りを囲む鬼にまるで怯む事なく話を続けていた。 「誠、どうだったの? あの穴ん中、何かあった?」 そう言われて、誠は岩戸を振り返る。 もうそこにはもう何もなかった……元々何もなかったのかもしれない。 しかし、誠の心は、何かを成し遂げた時のように涼やかだった。 「ああ、あったよ。そして、ちゃんと決着を付けてきた」 「ふうん、そうなんだ。よかったね」 水波が無邪気に微笑む。 そんな水波を見て、誠は帰ってきたと改めて感じた。 「待てぇっ貴様ら! 俺を無視して話を進めるな!」 八面鬼が怒りにまかせて叫ぶ。 「……何だかお約束の展開だな」 卜部がため息をつきながら呟く。 そして、誠や八面鬼に背を向けた。 「卜部さん、どちらへ?」 武が卜部に語りかける。 「もう、私がいなくても大丈夫なのではないかね?」 卜部の言葉に、誠は微笑しながら言う。 「……確かに」 「私はこれから精一郎さんの所にでも行ってくるよ。あの方も、首を長く して待っているだろうからね」 卜部はそう言うと、その場を去っていった。 「卜部殿は、結局何もしなかったな」 美姫が武の傍で呟く。 「仕方がないさ。あの方は、鬼切役の制約に縛られないのを条件に俺達に 協力してくださっているのだから」 「……何だか、弱味を握られているようで、私は好かん」 「そう言うなよ。味方には違いないんだ。新選組のように完全に単独行動 をしているのではなく、俺達に従ってくださっているんだから、それだ けでもよしとしないと」 「……お前は《彼等》に甘過ぎる」 「そうかな?」 武が美姫に微笑んだ時、彼の視界の外で強い殺気を感じた。 「貴様ら! 無視するなと言っているだろう!」 八面鬼が怒りに顔を紅潮させながら腕を振り上げると、鬼達が一斉に誠 達の方へと視線を向けた。 「……いかん、そういえば居たな、奴が」 美姫が、しまったという風な表情で構える。 武が刀の鯉口に手を掛けながら苦笑いする。 「……なんというか、個性的ですな、葛之葉様のお知り合いの方々は。ど れ、戦闘再開といきますか」 後鬼が冷静に分析しながら、数枚の札を背広の内ポケットから取り出し、 それを投げ付けた。 大きな爆発。ちぎれ飛び、そして砂化する鬼の破片。 それが合図になったのか、雄叫びをあげて、鬼が襲い掛かって来る。 誠達も鬼の咆哮に同じ方角に視線を向ける。 「うわぁ、来た来た。」 水波は背中を丸めて「うー」と唸っている。 まるで威嚇をしている子猫のようだ。 「誠さま。その刀、どうぞ御自由にお使いください。私や水波ちゃんの 気持ちがいっぱい詰まってますから」 「はや、なにそれ?」 「……気持ちか」 水波は白鞘の刀を振り回していただけだから、よく理解していないよ うだが、誠と咲耶はめんどくさいので放っておく事にした。 と話している間にも、鬼は直ぐ傍にまで来ていた。 「水波、咲耶さん、散れ!」 誠の言葉に、咲耶は音もなく、水波は砂埃を巻き上げて誠から離れて いく。 誠達に襲い掛かる鬼は、知性のないとされている第一種、と区別され る鬼だ。 肌は浅黒い、というよりは黒に近く、目は赤く、黒かもしくは赤い色 の髪の毛が燃えるように逆立っている。 その額の少し上からは、茶色から灰色のくすんだ色の1本か2本の角 が天を突き刺している。 彼等にとっては、同族であっても敵対を感じたものは全て『餌』にな る。 第一種は人間を好物とするが、共食いまで行う、人間には理解し難い 存在だ。凶暴である、という一点を除いて。 誠は先程渡された刀をベルトにある固定金具に留め、居合いの構えを とる。 と同時に居合い一閃。 切り上げられた刀の軌跡のまま、鬼の体は腰の部分から肩へかけて裂 け、次の瞬間には土くれとなって消えた。 軽い。 誠は刀の軽さに刀を思わず見つめてしまう。 白金に輝く刀身に、滑らかな山の連なる刃文は、まさに正宗のもので ある。 しかし、その刀身の中央部分に、銀色に光る筋が見えた。 これは普通の日本刀には見られない特殊なものだ。 窪んだ浅い溝に、光が見える。 その光は器の光にそっくりで、それがこの刀を特徴付けていた。 誠は左手に襲い掛かった鬼に突きをくり出す。 そして間を置かずして振り返り、そこに迫る鬼の爪を紙一重で躱すと 一歩踏み込み、両手で横に思いきり薙いだ。 一瞬のごとき速さでくり出された剣によって、鬼はほぼ同時に消し飛 んだ。 「ふむ、もう心配はいらないようだな。さあ、文さん、帰りましょうか」 「そうね、私がいたら、返って邪魔ね」 遠巻きに彼等を見ていた卜部と文が、その場を離れていく。 途中複数の鬼に囲まれたが、卜部はそれらを一瞥すると、刀の一閃で 灰にしてしまった。 「相変わらず、徹底していますね」 「容赦しなくてもいいですから、楽ですな。がははは」 卜部は剛胆に笑うと、戦う誠達をおいて、文と共にその場を後にした。 「どうやら、文殿は卜部殿が連れていってくれたようだ」 「……まあ、そのために付いてきたようなものだからなぁ、あの人は」 「……なら、なぜ水波の方を見に来たんだ?」 「それは、陰陽師でもある家系だからだろう? やはり、気になるのさ」 「……私はおまけか」 「いいじゃないか。目を付けられないなら、それに超した事はない」 「誰が靡くか、あのような軽い男に」 「それを聞いて安心した」 「……ばか者」 ……などとのろけている場合ではなく、武と美姫に襲い掛かる鬼の数は、 最初に現れた時よりもさらに増えていた。 八面鬼の後ろには巨大な漆黒の穴が空いていた。 歪みである。 その歪みの前に立ちながら、八面鬼は奇妙な機械を手に再び声を荒げる。 「いけ! ひとり残らず食らい尽くせ!」 鬼は、漆黒の穴から、際限なく這い出して来ていた。 その穴を見ながら、誠が水波と咲耶に声をかける。 「どうやら、八面鬼を倒してあの奇妙な機械を壊さないと、鬼の出現は一 向に止められそうにないな」 「じゃあ、誠、取ってきて」 「簡単に言うな簡単に」 「私達が道を作ります。その隙に、誠様はあの鬼の元へ向かってください」 咲耶が右の掌をすっと前に出して目を瞑る。 すると、咲耶の周りの地面が地響きを始めた。 「はやややや、何これ」 水波が手足をばたつかせてバランスを取っている。 「まだ、私の声が聞こえるのね。まだ大丈夫ね」 咲耶はそう呟くと、差し出した掌を、水平に薙いだ。 その瞬間、地面から何本もの太い木の根が地面から飛び出し、咲耶を守る ように取り巻いた。 水波は、その太い枝の一つに引っ掛かっている。 「きゃー、たかーい」 きゃっきゃと喜ぶ水波に、咲耶が優しく語りかける。 「水波ちゃん、そこからなら、周りの状況が良く見えるわね?」 「はえ? うん、凄く良く見えるよ」 「じゃあ、そこから投げてね」 「あー、にゃるほど。ほーい」 先生に当てられた児童のように、元気よく右手を上げて答える水波。 「さあ、誠様、行ってください。ここは私達が」 「……分かった、頼む」 誠はそう言うと、八面鬼に向かって駆け出した。 ←『29』に戻る。 『31』に進む。→ |