『33』


 その時、一陣の風が吹いた。
 風は森を抜け道場の壁を叩く。

「これが最後だな」

 そう呟くと卜部は道場の中にいる精一郎をちらりと見やる。

「息子さんが心配では……なさそうですな」

 卜部の言葉に精一郎は微笑する。

「誠は元々剣の腕は強い子なんですよ。でなければ免許皆伝を得られる訳
 がありませんから。しかし……」
「……心は、あなたが望む程強くはならなかった……」

 精一郎は静かに頷くと、道場に正座したままで外を見る。
 小さな窓から、桜の枝が揺れている。

「誠は優しいんですよ。優しすぎる。それが間違っていると思えば、例え
 決まりを破る事になっても躊躇わず正そうとする。理不尽な仕打ちには、
 普通の人間の何倍も傷付く……」
「儚いですな。まるで桜のようだ」
「人が見る夢……そう書いて《はかない》という。誠は、剣というものに
 夢を見ていたのかもしれません。……いや、今も見ているのか」

 卜部は静かに精一郎を見据える。

「剣に夢を……ですか……私も、そのような歳の頃がありましたよ、精一
 郎さん」
「剣は……剣術とは本質は人殺しの道具です。しかし、人は理由なく人を
 殺せるほど強くはない生き物です。理由なく人殺しができるのは、狂人
 以外にいない。だから理由を作る。誰かを殺す理由を、必ず作るのです」
「剣は、剣術とは、その人殺しの理由として作られたまやかし……ですか」
「本質はそうです。元々戦国の世に生まれ、幕末の時代に再び精錬された
 剣とは、人を効率良くどう殺すか、それにつきていました。理念など、
 その付け足しに過ぎません」

 精一郎は道場に立ち、静かに前を見据える。
 
「……人を殺せない者が人を殺せるようになるための、起爆剤として用意
 されたもの。正義のために、誰かを守るために……そんな理由をつけて
 も、やっている事はただの人殺しです。道は、その真実に耐えられない
 者に対して用意された、淡いベールのようなものですよ」

 精一郎は静かに道場を出る。隙のないその動きは、足音すらたてない。

「それが巡り巡って《剣の道》ですか。なんだかやりきれませんな。スポ
 ーツとしてだけ成り立っていた昔ならいざ知らず、今のこの時代、戦え
 ば誰かが必ず死ぬ」
「誠はその真実に耐えられなかった。守るべき者を守れず、剣をかざした
 先にあるものがただの殺し合いである事に気が付いて、そして狂った。
 《活人剣》という幻想から覚めてしまった」

 歩き出す精一郎を見ながら卜部は語りかける。

「誠君は……まだ昔の幻想を見ているのですかね。実際に戦闘術として扱
 う剣は、決して漫画のように甘ったるくない」
「剣を使って誰かを守るという事は、その究極は人殺しを容認すると言う
 事。《殺さず》などという剣は所詮逃げているだけでしかなく、命をか
 けて戦う相手に対しても失礼になります」
「それでも彼は、夢を見続けるのでしょうね……」

 卜部が苦笑いしながら言うと、精一郎も微笑する。

「真実を知りながらそれに抗って理想を実現しようとする事は、何よりも
 大変な茨の道を行く事になります。誠がこれからどのような剣を振るっ
 ていくのか……相手が鬼であっても、葛乃葉さんや、撚光君の所でかく
 まわれている少年のような者もいる。人ではないからと心を切り替える
 事はできなくなるはずです」
「やれやれ、それじゃあやっぱり試さないとだめか。」

 卜部は、そう言うとぶらぶらと歩き出す。

「《武士道とはその象徴する花の如く、四方の風に散りたる後も、尚その
 香気を以って人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。》」
「新渡戸 稲造の《武士道》ですか」
「まあ、あれもかなり西洋人向けに無理して書かれたような所があります
 からね。……しかし、人殺しの剣に道を付けようとした侍の心はよく理
 解できるような気がしますよ」
「人を殺すという行動を、《道と理念》で覆う。それが武士道なのかもし
 れません。しかし、西郷隆盛のように、遺訓として《天敬愛人》を遺し
 た者もいる」
「天を敬い人を愛しながらも、敵として相対した時には己の信念のために
 は殺すことも厭わない。そして、その殺しには必ず武士という道がつき
 まとう。やれやれ、めんどくさい生き物ですな、サムライとは」

 肩を竦めて再び歩き出す卜部。

「精一郎さん。世の識者の中には、侵略戦争を《大東亜》だの《皇戦》だ
 のほざく族がいますがね、自分のやった事を真正面から見据えて真実を
 語る事もできずに、薄っぺらい肩書きをごちゃごちゃ五月蝿く囀るよう
 なら…………遠慮なく彼を叩き潰します。宜しいか」
「……どうぞ御自由に。侍とは茨の道なり。しかし儚く散る桜のごとく美
 しきものなり。その真意が分からぬのであれば……」

 精一郎は目を臥せる。

「茨の道に倒れ心を儚く散らせた鷲尾君と相対する資格はないでしょう」
「まあ、相対すれば、彼の後ろに《道》ができているかはすぐに分かる。
 武士道を、彼の後ろに感じれればいいですな」

 卜部はす言って微笑すると、精一郎の視界から姿を消した。
 精一郎は、独りとなった後も、道場そばの桜の木の下に佇み、そして静
 かに呟いた。

「塚原卜伝……なんと大きく、そして厚い壁か……」


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 その瞬間、天に向かって光が伸びた。
 そしてその糸のように細い一閃の中に、八面鬼が浮かび上がりる。
 八面鬼は伸びた細い光に胴体を貫かれるようにして仰け反り、驚愕の表情
を浮かべたまま、光と共に塵となって消えていった。
 そして光の帯が消え去った後、その下には、力を解放した誠が、刃舞を天
高く振り上げていた。

「おおーー! 瞬殺!!」

 水波が驚きに声をあげる。

「……これが彼の極めた奥義の最終型か」
「まさに、原点に帰る、といった所だな。まあ、彼らしいといえば彼らしい
 答の出し方だな」

 武の言葉に美姫が応じる。

「居合い、ですわよね」
「でも、なんか違ってるね」

 咲耶と水波が首をかしげる。
 彼女達が疑問に思うのも確かで、居合いというには、あまりにも威力があ
り、そして動きも大きかった。
 そしてなにより、光の帯。
 触れたものを一刀両断にするその光は、まるで邪を祓う後光のように輝い
ていた。
 
「居合いには違いない。だが、あれは夢想神伝流の中でも何よりも単純化さ
 さた、だが強力な技だよ」
「単純化、ですか……」
「技は、極めれば極めるほど、余分な動きが少なくなり、単純化されていく。
 派手な技ほど、相手を惑わし隙を誘うという意味合いを持っている」

 武はそう言うと、刀を納める誠を見ながら、言葉を続ける。

「誠君のように、一閃で相手を葬る技というのは、何よりも小細工のない、
 本物の必殺技だ」

 誠の技は、構え、ため、難波の要領で一瞬の踏み込み、抜刀、鞘走り、そ
して、最高に重要なのは……

「相手に刀が当る瞬間に、一度刀の動きを一瞬止めること……」

 武は自分の頬に冷や汗が流れるのに気付き、驚く。
 4年前の戦い以来、汗などかいた事などなかったからだ。
 力の解放直前に一瞬その力を腕ずくで止める。それは、下手をすれば、自
らの腕を引きちぎりかねない危険な技だ。
 例えるなら、猛スピードで激走する車が何かに衝突するようなもの。
 中の運転手は、物理法則により、そこに留まれず、窓ガラスに激突、突き
破る。
 抜刀途中にいきなり力を止めるという事は、体の中から力がいきなり解放
され、とてつもない威力が自分の腕にのしかかってくるという事だ。
 誠は、その力で自分の腕に影響が出る寸前、再び刀を振るい、大幅に増大
した威力を、さらに腰の回転や腕の振りを加えて相手に叩き付ける。
 解放される力には、さらに《器》に宿る倒鬼の光も加えられる。
 まず刀が当る前に器の光が相手に攻撃を与える。
 そして、攻撃力はその光によって倍々に増加していく。
 倍加された光は行き場を失い、刀の振られた方向へ、刀の先端を通って解
放され、それが光の帯に見えるのだ。
 そしてその光の帯は器の光である。
 抜刀により吹き飛ばされた鬼は、さらに空中で器の光の一撃必殺の光線に
体を貫かれる。
 抜刀の後も器の光で相手を捕らえる。防御されても、器の光が相手を攻撃
する。
 隙のない二段構え。
 しかも、一瞬の力の停止によって、僅かに方向を変える事もできる。
 それを、ほんの一瞬でやってのけるのである。
 まさに、神業。
 それが、誠の最終奥義としてあみ出した技の正体だった。
 
(当る直前に、一瞬にしてそれを行うこの技は、力が解放されて後は回避は
 一切不可能……。解放前に止めようとしても、あの瞬足……防御に出ても
 一瞬にして間合いに踏み込まれ、刀や鎧ごと断ち切られる。誠君の奥義を
 撃ち破れるとすれば……)

 武は苦笑いする。

(相打ち覚悟の、防御無視の一歩の踏み込み……か。しかも、あの瞬技より
 さらに速い剣速で迎え撃つこと……。もしそれができないのであれば、遠
 距離から不意打ちをするしかない……しかしそれは、剣士にとって、ある
 まじきことだ)

 そんな思案に耽る武に、美姫が、こちらも苦笑いをしながら語りかける。

「強いな……」
「ああ。おそらく八面鬼は、《永》の最初の一撃で、居合いを止めようとし
 たのだろうな。だが……」
「器の光にその刀……いや、腕ごと吹き飛ばされ、そして……」
「解放された力で留めを刺された」
「……もし、あの居合いをかわせたとして、八面鬼は、誠の居合いを、再び
 真似できたかな?」
「無理だろう。そもそも、身体能力が違い過ぎる。危険度も、そして覚悟も。
 同じ技を八面鬼がくり出しても、その力に体が耐えきれずに、腕が吹き飛
 んだはずだ」
「……まさに、彼のみに許された、一撃必殺技、か」

 そう語り合う武と美姫をよそに、水波はきょろきょろと辺りを見渡す。

「消えちゃったねー、あの物真似師」
「跡形もなくな。……しかし……」

 美姫が誠を見ながら応える。

「自分に見事打ち勝ったか」

 八面鬼が消え去ったからか、辺は静けさに覆われていた。
 鬼の姿はそこにはなく、そして光が差す岩戸の中は、本当に小さな空間
であった事が改めて理解できた。
 戦いの最中は広く大きく感じたその場所は、鬼が消え去った事で、彼等
にはより身近なものとして感じられるようになっていった。
 そこに誠が歩み出す。
 静かに4人の元へと戻ってきた誠は、静かに言った。

「答えを見つけました」

 それに対して、武がこちらも静かに言う。

「……その道は、おそらく茨だぞ」
「……分かっています」
「そうか……うん、そうだな」
「……その技、名前はもう付いているのかな?」
「いえ、まだ名前は。元々、付けるつもりもありませんし……」
「……付けておくといい。それは、君が答を導きだした証になる」
「……」

 誠は少し考えて、そして応えた。

「桜虎」
「《おうこ》……か。相手を追い詰める様はまさに桜塵の虎。いい名だと
 思うよ」

 誠は微笑するも、すぐにある方角をはっと見やる。
 その方角には、あの紅い髪の男がいた……。

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 そこはあの白い家。
 その地下道を過ぎた先、そこに紅葉の本拠地があった。
 今ここに、伊賀瀬が持ち帰った《御首》が祀られている。
 そして、その傍で佇んで居た鷲王が、ふと一方を見上げる。

「……どうした、鷲王」

 紅葉が語りかけると、鷲王はふと微笑し、応えた。

「……いえ、何でもございません。強い《気》を感じましたもので」
「……ふむ……器使いか……いよいよ来るか」
「御意」

 鷲王は軽く頭を下げながら、心の中で呟いた。

 早く来い、柊 誠、と。
 

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