『2』

「おかえり、誠」

 誠の父……柊 精一郎は穏やかにそう言い、誠に微笑みかける。
 すでに五十は半ばという歳だが、その肌や瞳には、生気が満ちている。

「ただいま、父さん」

 誠も、父に帰宅の挨拶をする。
 そこに、誠の母、文が、静かに誠に近寄ってくる。

「よく帰ったわね、ほんと久しぶり……四年ぶりかしら、誠」
「あ、そう、だね、久しぶり……」

 文は誠の頬を優しく撫でながら、微笑んで言う。
 誠は、どこか居心地が悪そうだ。 
 誠の笑顔から、嫌がっている、というのとは違うのだが。
 そんな親子の対話を、きょときょとと見ていた水波が、ひょこっと親子の
間に割って入ってきた。

「こんにちわ〜、くすのきみなみでーーす」

 遠慮なし、である。

「あらあら、可愛らしいお客さままで連れてきて。さあさあ、中へお上がり
 なさい」
「うむ、そうですね、さあ、遠慮なさらずに」
「ほーい」

 誠の両親は、優しくそう言って、水波の頭を撫でる。
 水波はそれに気を良くしたのか、靴をぽいぽい、と脱ぎ捨てると、ずかず
かと、まるで自分の家のように上がり込んでいく。

 どすん!

「ふぎゃ!」

 ……コケた音がする……
 誠も自分の家だから、まさか『少しは遠慮しろ』とは口が割けても言えず、
どこか困ったような表情で、ばたばたと廊下を駆けていく水波を見つめた。

 そんな誠の後ろから、武と美姫が、精一郎と文に近付いてきた。

「お久しぶりです、師匠」

 そう言って、誠は精一郎に深々とお辞儀をする。
 それに会わせて、美姫も頭を下げる。

「お久しゅうございます、精一郎殿、文様」

 いつもの美姫に見られる、どこか堂々とした姿勢は影をひそめ、彼女は武
の傍らで、大人しくなっている。

「誠さまの御両親って、とても偉い方でしたのねえ」

 咲耶がふんわりとそう言う。

「いや、偉い、というのとはちょっと違うんだけれど」
「あ、そうだ、ちゃんとご挨拶しなくては」

 どうやら、水波の紅茶珈琲から回復したのか、いそいそと誠の両親の前へ
と駆け寄っていく咲耶。
 武たちと談笑していた精一郎が、ふと咲耶の方へと顔を向ける。

「ようこそおいでくださいました」

 そう言って穏やかに頭を下げる精一郎。
 機先を制されて、ちょっとおたおたする咲耶。

「あら、これはどうも御丁寧に、ありがとうございます」
「いやいや、お客さまですから」
「あら、そんな、遠慮なんてよろしいですのに」
「いや、そうですか、ははは」
「そうですわよ、おほほ」
「では、遠慮なく」
「そうそう、自由にしてらして結構ですのよ、おほほ」

 ……どちらが家主だか分からなくなる会話である。

「咲耶さん、咲耶さん」

 誠に突つかれて、咲耶が改めて自己紹介する気になったようだ。

「初めまして、お父様、お母様。私、木乃花 咲耶と申します」

 すでにお父さんお母さんの仲らしい。
 深々と頭を下げる咲耶を見て、精一郎が誠を見る。

「綺麗な方だな。おつき合いしているのかな、誠」
「い……いや、そういう訳では」
「ふむ、では、先ほどのお嬢さんと?」
「だから何でそういう話題になるんだよ」
「誠、君が若いお嬢さんを連れてくる事など、全くなかったからね」

 そう言って誠をからかう精一郎。
 二人の様子を見ていた文が、皆を中へと誘う。

「さあ、皆さんも、中へどうぞ。何もない平家ですが、どうぞお寛ぎくだ
 さいませ」

 文に促されて、柊家へと入る一同。
 柊家は平家だが、中々に広い敷地面積がある。
 車はゆうに20台は停められそうな庭、玄関だけでも六畳あり、畳一枚
ぶんの廊下は20メートルは続いている。
 その廊下の両端に、小さくても六畳の和室が、玄関から左右に二つずつ
あり、玄関から南、左の突き当たりが二十四畳の客間、北の突き当たりが
台所になっている。
 玄関から正面にも廊下があり、風呂やトイレなどの水回りが集まってい
る。
 西の突き当たりが風呂場だ。
 何度も改装を行っているが、昔の木造建築の赴きは、今も残っている。
 家屋からは、心地よい木の香りが、ほのかに漂ってくる。
 そして、家屋から西へと行った離れに、夢想神伝流、柊道場がある。
 この道場から出た者は、全て器使いとして日本各地に飛んでおり、道場
は静まり返っていた。

「まことって、イイトコのおぼっちゃんだったんだ」

 水波が、水波の広い客間で、既に用意されていたお茶とお茶菓子を頂き
ながら、そう呟いた。

「いや、別にそう言うんじゃないけどな。ただ、かなり昔からある家だと
 言う事は確かだ」
「昔ってどのくらい?」

 客間に入ってきた誠が、水波に語りかける。
 それに、水波が質問を返す。

「……そうだなあ、もう200年になるのかな」
「えー! そんな古いの!!」
「この柊家は、夢想神伝流を伝える、唯一の道場なんですよ」

 文がそう言って、水波の茶わんにお茶をつぐ。

「じゃあ、まことのお父さんかお母さんって、器を使えるの?」

 お茶を飲みながら語りかける水波。
 そんな水波に、文は優しく言う。

「いいえ、我が家で器使いとして覚醒したのは、誠だけです。」
「ん? 誠のお父さんって、器使いじゃないんだ」
「ええ、そうですよ、私は、器を扱えません」

 誠、文に続いて、精一郎が客間に入ってくる。
 その後ろから、武と美姫が続く。

「師匠には、できる事なら器使いとして戦って頂きたかったんだけどね。
 剣技は、《剣聖》すら凌ぐのだから……」
「いやいや、私は、夢想神伝流を受け継いでいくだけで精一杯ですよ」

 武の言葉に、少し照れながら話す精一郎。
 そんな精一郎に、水波がにこやかに語りかける。

「でも、誠と武さんのおっしょーさまなら、凄く強そー」
「いやいや、私など、《剣聖》に比べれば、まだまだ」

 咲耶が、その精一郎の言葉に、首を傾げて問いかける。

「あの……お父様、《剣聖》とは何ですの?」
「ああ、《剣聖》とはね、器使いの中でも、特に強力な力を持つ、人知を
 超えた剣技を使う人たちの事ですよ……あ、これ、美味しいですよ」

 精一郎は、皆の前に和菓子を広げながら、話を続ける。

「《剣聖》とされる者は、今日本では、たった三人……。『猿飛』という
 体術を使い飛ぶ様に剣をくり出し、さらにその剣は変幻自在と言われる、
 《新陰流》の上泉伊勢守秀綱(かみいずみいせのかみひでつな)……。
 第二種の鬼と刃を交える事22度、その全てを打ち倒し、大きな鬼との
 紛争へは32度参戦し、一度も不覚を取らず、大物の魔物の首を鬼と合
 わせて212を打ち取った、筋金入りの剣豪、『一の太刀』の使い手、
 《鹿島新当流》の塚原卜伝(つかはらぼくでん)……。
 あえてどの組織にも属さず流浪を続け、剣を磨き、その剣の速さは、他
 のどの剣士よりも素早く神速の剣を持つと言われ、『一刀斎』と剣士の
 間でも囁かれる、《一刀流》の伊藤景久(いとうかげひさ)……。
 ……今、実動部隊で一番強く、そして皆から尊敬を集めているのは、こ
 の三人ですよ」

 一気にそう言うと、精一郎はお茶を飲みながら一息つく。

「武さんは、けんせー、ってやつの中には入ってないの?」
「俺なんて、彼等に比べれば、まだまだ剣も完成されていないし、未熟同
 前だよ」

 水波の言葉に、武が、苦笑いしながら答える。

「……本来なら、父さんは、《直心影流》を使っていたんだけどな」

 誠の言葉に、精一郎は、ふと笑みをこぼす。

「いいんですよ。私は、文さんが守ろうとした、この夢想神伝流を受け継
 ごうと決めたのですから。文さんと、この家を守る。その決意の元、私
 は男谷(おだに)の姓を捨て……柊 精一郎になった……」

 そう答える清一郎の隣で、文が穏やかに微笑んでいる。
 剣の本質と強さは、名前から生まれるものではない事を、この二人が物
語っているかのようだった。
 
「でも、直心影流を捨てた訳ではないのですよ。一度、夢想神伝流は廃れ
 ているんです。それを再び蘇らせはしたものの、今の流派は、昔受け継
 がれた夢想神伝流とは、少し違うものになっています。新陰流を取り込
 んで、新しく技を開発してね」
「つまり、使い方によっては、直心影流だけよりも、高度な戦術を使える
 流派になってるという訳だ」

 誠のまとめに、水波が首をちょこんと傾げて言う。

「……んーと、よーするに、誠のお父さんはつよーーい剣士で、ここに養
 子に来たってことだね」
「……ん、まあ、要約すれば、そういうこと……なの、かなあ」

 まあ、そんな事は、今の柊家には大した事ではない、と、そう思わせる
ほど、穏やかな時間が過ぎていく。
 庭の端には桜の木々が植えられ、淡い桃色の花々が、風に揺れている。
 こんな穏やかな時間がずっと続くかと思われたその時、廊下から、どすど
すと、大きな足音と共に、身長が2メートルはあろうかという、中年の大男
が客間に入って来た。

「おおー、君が、柊 誠君かあ! いやあ、お母さんそっくりだな〜〜!
 大きく成長しましたなあ、清一郎さん! 文さん! わっはっはっは!!」

 いきなり大きな声でそう言われて、誠、水波、咲耶が、きょとん、とその
男を見つめる。

「……おや、なんと、卜部(うらべ)家の人間もいらしたのか。これは都合
 が良い」

 美姫が、その大男を見て言う。

「ほほう、これは、葛乃葉の姫か。そちらにおわすのは、鬼切役の頭ではな
 いか。これは面白いな」

 大男はそう言って、意味ありげに微笑む。

「父さん、この人は?」
「ん? ああ、この人はね……」

 精一郎が、誠に答えようとした時、大男の方から名乗ってくる。

「私か? 私は、鹿島神宮の神職を勤める、卜部家の者。名を高幹(たかもと)。
 卜部 高幹(うらべたかもと)だ」

 大男は、そう言って、人懐っこく、野性的に微笑んだ。



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