『4』 「文さん、お茶碗ここでいいのー?」 水波が重ねたお茶碗を持ったまま、居間でうろうろしている。 居間にあった大きな机は、食卓に様変りしている。 「壁側の端に置いておいてくださいな」 「ほーい」 滑りやすい畳の上で、茶碗を持ってばたばたと走り回るので、危なっかしい 事このうえない。 柊家では、基本的に女性だけが炊事洗濯をするような事はない。 全て、家族総出で行われる。 お客がいる場合は、よほどの事を除き、そのお客もお手伝いに駆り出される 事もある。 若い者は、特に頼まれる事が多いのだが、武から始まって水波に至るまで、 みんな忙しく働いている。 そんな中、一人居間で寛いでいる人間がいる。 「うむうむ、みんな偉いなあ。いや〜、若いとは良いものだ。わっはっは」 「あんたも手伝え!」 ごすっ! 高笑いする卜部の横っ面に水波の蹴りがヒットする。 「痛い! 痛いぞ水波ちゃん! 私はこう見えてもきゃく……」 「私もおきゃくさまで手伝ってるもん」 「そりゃあ、水波ちゃんはまだまだ小学生だか……」 「これでも17だー!」 ごきっ めりっ 「ぐはぁっ! か……顔が壁にっ」 水波の蹴りで顔が壁にめり込んだまま、ばたばたと暴れ回る卜部。 「……なにやってるんだ、一体……」 大きな鍋を持って来た誠が、水波と卜部の漫才を見ながら、呆れてため 息をつく。 「あ、お鍋ー」 「みたいだな。って、ちょっとじっとしてろって」 うれしそうに鍋を持った誠の回りをぐるぐると歩く水波。 その後に、炊飯器を持った武、サラダの皿を持った美姫、焼き魚を盛っ た皿を並べたお盆を持った咲耶が居間に入ってくる。 「こら水波、ちょっとそこどけって。鍋落としたら大変だろ」 「落としても割れるようなお鍋に見えないね」 「そりゃあ、ウチで作った鍋だからな。俺の自作だぞ、これ」 「え゛」 水波が目を丸くする。 「割れたら、水波さんに作って頂きましょうか。ねえ、誠」 「え゛」 水波がのけぞる。 この時代、家自体に料理機能があり、自動的に車が動くのはあたりまえ になっている。 人口は増加の一途をたどり、地球の資源を食い尽くした人間は、住居を 宇宙に移してさらに増えていった。 そのような中で自然と共生し、完全に自給自足とはいかないまでも、必 要な分を自分達で補い、無駄な浪費をしないような生活をしようとする者 が増えてきた。 国際連合自身も、地球の保護を打ち出す、本格的な条約を当時の国際連 合で取り決めた。 自分の利益を優先したがるアメリカや、他人の言う事を全く聞かない中 国などは強固に反対したが、国際世論はそんな国々を無視して取り決めを 行い、国際的な流れによって、米中は孤立、従わざるを得なくなった。 太陽系連合と国際機関が名を変え、大昔の戦勝国である、というくだら ない理由で存在した常任理事国が全てなくなった事も、地球保護の活動に 大きな影響をもたらした。 大国の益に優先される拒否権がなくなった事も大きい事柄だった。 ちなみにこの条約締結は、締結の数年前に隣国が国としての機能を完全 に失って滅亡し、結果として統合を果たした朝鮮国の首都で行われた。 主導権を握ったのはフランスを中心とする西欧諸国。 日本は最後まで主導権を握れないままおたおたし、「ご機嫌とり外交」 しかできない外務省の初動の遅さと愛国心のなさと無能さを、改めて国 内外に知らしめた。 この国際的な取り決めにより、地上に巨大建造物を建てる事は禁止さ れ、政府機関や企業社屋は地中に埋められるか、宇宙へと上げられた。 鬼切役の本部も、実は月にある。 日本や、アメリカ、中国などの先進国の政府機関も、宇宙ステーション に、その殆どの機能を移転、集中させている。 地球全体で緑化政策と絶滅危惧種保護が行われ、地球の資源は枯渇した ものの、見た目は少しは緑が増えたように感じられている。 鬼切役と鬼の戦いがある31世紀とは、こういう世界である。 ……という国際的な動きは柊家にはそう関係はなく、要は、柊家も無 駄な機能を省き、昔ながらの生活をしている家、という事だ。 撚光のいる光基神社でも、良く似た生活を行っている。 「さあさ、まずはお昼ご飯を食べましょう。お昼からは、皆さん特訓 が待ってますからね」 「とっくん?」 「そう、特訓」 咲耶と一緒にごはんをよそおいながら、文の言葉に水波が首を捻る。 机の上には、あれよあれよという間に、美味しそうな料理が机の上に 並べられていく。 男連中はこの段階になるとやることがなく、やれる事は、机に座って ぼけっとするだけである。 『いただきまーす』 みんなで手を合わせて食事が始まる。 柊家では、家族の団欒をとても大切にする。 また、柊家の質素な生活は、鬼切役の代表の蒼真 武が柊 精一郎の 弟子である事から、鬼切役自体の生活にも大きな影響を及ぼしているよ うだ。 そして、その食卓では、それぞれが『仲良く』食事をとっている。 「いいなあ……」 水波が箸をくわえて、仲良く並んで食事をしている武と美姫をじっと 見つめている。 水波はそのまま視線を誠の方へ向け、少し考えると、おかずをてんこ もりにして誠に差し出した。 「食べてー」 「あ、うん、そうだな……」 大量のおかずの横には、同じく咲耶がてんこもりに盛ったごはんが どんと置かれている。 「……」 誠はさあどうしよう、といった表情で、おかずとごはんを見つめて 考え出す。 「まあ、がんばってくれ、ははは」 卜部はというと、精一郎のとなりで、彼にお酌をされて気持ち良く 酔っ払っている。 文は、いそいそと、台所から持って来ていなかった最後の料理を持 ってくる。 「はいはい、ちょっとそれ、寄せてくださいね」 お鍋に天ぷらに焼き魚に煮物……。 人数もあるのだろうが、大きな机を覆い尽くす料理は、大層豪華だ。 しかし、それもどんどんと減っているのは、誠や武だけでなく、そ こにいる若者が、なかなかに食欲旺盛だったからかもしれない。 「誠、食事が終って一段落ついたら、蒼真君と共に道場へきなさい。 ひさしぶりに、相手をしましょう」 「はい、分かりました」 父、精一郎の先ほどの言葉が、どちらかというと父ではなく、師匠 としての接っし方だったからか、誠は敬語で受け答えする。 「あ、咲耶さん、あなたは、私といっしょに来てくださいな。ちょっ とお話したい事がありますから……」 「まあ、わたくしに? ええ、分かりました」 文と咲耶が、穏やかに言葉を交す。 「水波、お前は私とこい。卜部殿と共に、お前も修行だ」 「はーーい」 「元気だな、あいかわらず。全くお前が羨ましいよ、私は」 「えへへ」 「……頼むから、今度は蹴らないでくれよぉ」 「蹴らないもん。あれは、意思に反して足がでたの」 「……あ、さいですか……」 美姫、卜部、そして水波。 こちらはなかなか賑やかだ。 食事は、正午に始まり、午後2時までゆっくりたっぷりと続けられた。 もちろん片付けは、家族とお客、皆総出で行われた。 食後は、精一郎と文を交えて、お茶を飲みながら、今までの経緯など について話し合った。 あまりいい話ではない事もあり、精一郎も文も、食事の時にあえてそ の話に触れてこなかった事が、誠はとてもありがたかった。 「……ふむ……なるほど……鷲尾君がなあ……」 「すみません、師匠。俺がもう少しちゃんとあいつと向き合っていれば」 「いや、蒼真君の責任ではありません。あの出来事は……とても不幸で したが……まさかあのような事になるとは、誰も予想はできないもの ですよ……」 「常也は……もういないのかもしれません……」 「まだ、未来は決まっていませんよ、蒼真君。全ては、まだ終わってい ない……そうですね、誠」 「……父さん、鷲王には……一体何があったんですか。あそこまで人間 の世界を憎しみ、そして鬼となって破壊しようとするそこには、一体 何があるんですか」 「それを、これから教えます。あの、《岩戸の試練》で」 そう言って立ち上がった精一郎を見て、誠と武は目を丸くする。 「岩戸の……試練」 「まだ、早いのではないですか、師匠」 誠も武も少し動揺しているようだ。 「ねえねえ、文さん、いわとのしれん、って何?」 「また、話しますよ。今は、精一郎さんと誠を信じましょう」 「……うん」 文の言葉に、こくりと頷いて、水波は誠を見る。 誠は、いつもに増して真剣な表情だ。 そんな誠から視線を外し、文は咲耶の方へ顔を向ける。 「さ、行きましょうか、咲耶さん」 「はい……一体、お話とはなんですの?」 「……あなたが、紅桜を扱う上で、とても、とても大切な事です。…… おそらく、夜を徹して話さねばならないでしょう。……この、折れた 正宗と一緒に……」 そう言って、文は今の傍らに架けてあった日本刀を取り上げる。 「そして……この刀」 次に文は、以前、水波が振り回していた、抜けない白鞘の日本刀を持ち あげる。 「この二つの刀を、私が打ち直すその間……あなたは私の傍にいて頂きま す。よろしいですね? 咲耶さん」 咲耶は、なにも言わずに、こちらは珍しく真剣な眼差しで文を見つめて 頷いた。 「さ、行くぞ、水波」 美姫が、ぽん、と水波の肩を叩く。 「えと、どこに行くんですか?」 「ふむ、この家の裏手には小さな小山があるだろう。そこの頂上には、ち ょっとした神社があってな。お前は、私と、この卜部殿とともに、精神 修行だ」 「う……せいしんしゅぎょー」 水波が、こっちはちょっと信じられないくらいに真剣な表情で美姫を見 ている。 そんな水波に、卜部が明るく声をかける。 「まあ、気にするな、そんなに対した事じゃない。お前の巫力(ふりょく) を見定めるのもあるが、別にいじめたりはせんから。わっはっは」 そういって、卜部はまたぼふぼふと、水波の頭を叩く。 「さて……では皆さん、ひとまず解散、といきましょうか」 そう言った精一郎の言葉に皆が頷き、居間から一斉に人が出ていく。 そして……彼等の、決戦に向けての修行が始まった。 ←『3』に戻る。 『5』に進む。→ |