『6』

「わーい、滝だ〜〜」

 相変わらずやかましい声で、滝に水波が近付いて行く。
 そして、そのままの勢いで水に飛び込み、ひゃあ、と声をあげて水から
飛び出してきた。
 春は暖かくなってきたとはいえ、まだまだ水は冷たい。

「ねえねえ美姫さーん、お水つめたいよう」

 今までの勢いはどこへやら、水が冷たいと分かった瞬間、水浴びに消極
的になる水波。
 
「何を言っておる。このような冷たい水だからこそ、身も引き締まる、と
 いうものだろう」

 平然と美姫が滝壷近くへと向かって行く。
 咲耶も、ちょんちょん、と素足で水を突ついて少し震えたものの、よし、
と気を取り直して水の中へと入って行く。

「ううう、なんか私仲間はずれー」

 とか言いながら、慌てて水波も続き、またもやひゃあひゃあと声をあげ
ながら、美姫や咲耶の傍へと近付いて行く。
 どうやら、騒いだ方が寒くないと思ったらしい。

「さて、あの滝、そんなに水圧はないから、シャワーでも浴びる感覚で
 浸かってくるといい」

 そう言いながら、美姫が滝の方へと近付く。
 白い着物が水ではりついて、美姫のしなやかな体の曲線が、いっそう露
になる。
 美姫だけでなく、咲耶も水波も、白い清めのための着物を一枚羽織った
だけだ。
 水で着物が張り付くと、透けたり体のラインが強調される。
 美姫が卜部に対して、付いてきたらコロス、と言った理由がここにある。

「まあ、滝に打たれるのも悪くはないですわね。このような経験、そうそ
 うあるものではないですもの」

 そんな事を言いながら、咲耶は何ごともなかったかのように滝壷に入る
と、

「ああ、冷たいですわ、おほほ」

 とか言いながら、全然表情を変えずに、手を合わせて目を閉じた。

「さあ、お前も来い、水波」

 そういう美姫を目の前にして、水波はじっと美姫と咲耶を見比べた。

「……なんだ? どうかしたのか?」

 訝し気に尋ねる美姫に対して、水波はぼそりと言った。

「二人とも、おっきい……」
「……な」

 美姫は恥ずかしそうに水波に近付くと、腕で水波の首を固定して、無理
矢理滝壷に押し込んだ。

「あひゃあああああ! つめたーーーー!」

 ばちゃばちゃと暴れる水波にかまわず、美姫は水波の髪の毛を洗い始める。

「煩悩は捨て去っておかんとな」
「きゃー、美姫さーん、ほめたのになんでーーーー!?」
「胸の事などこんな所で凝視するな! 男かお前は!」
「女どうしなんだからいいじゃないーー」
「ええい、冷静に静かにできん奴はこうだ」
「あばばばば」

 滝の水を頭からかぶって、水波が変な声を出す。
 
「二人とも、騒々しいですわね……」

 などと言いながら、咲耶が一番落ちついていた。

 滝壷で打たれる、というのは、精神的、肉体的に色々な変化をもたらす。
 一種のトランス状態に陥るのも、滝の一定のリズムで落ちる水滴と、マッ
サージ効果によりリラックスがもたらされるからだ。
 最初はばたついていた水波も、水の冷たさに慣れてしまうと、後は静か
に、気持ちよく滝に打たれて、気持ちをリラックスさせていった。

「私は、霊的に気力を高めたい時は、ここに来てトランス状態になる時も
 ある。まあ、今回のように、目に見えないものを高めるには、心のバラ
 ンスを保つ必要性もあるからな」

 そんな美姫の言葉に、水波はふうん、などと言いながら聞いている。

 鬼だなんておもえないな〜。

 水波はそんな事をふと考えながら、ま、いいか、と滝に打たれるのに集中
した。

 そして、十数分の後。

 気分的に少しハイに、そして何故か落ちついた表情で三人が滝壷から上が
ってきた。
 そこに近付く気配を感じて、美姫が声をだす。

「誰だ」
「みなさんご苦労様。お着替えをお持ちしましたよ」

 そう言って、文が三人の緋色の袴と白い着物を持ってきた。
 巫女が着るものと同じものだ。

「ああ、これは文殿。申し訳ない」
「いいんですよ。そんな姿で、武さんや誠の前に出たら、二人とも失神し
 てしまいますわ」

 そう言われて自分の濡れた姿を見て、三人三様に胸を押さえて頬を染めた。

 浄めが終わり、着替えた三人は、それぞれの場所へと散って行った。
 美姫と水波は小山の山頂の神社へ。
 そして咲耶は、誠の折れた刀を携えて、文と共に鍛冶工房へ。

「水波、お前は陰陽を使う者として、私と卜部殿と共に式神を扱うための
 修行を行ってもらう。もちろん一朝一夕にできる訳ではないが、護符を
 ただ投げ付けるだけの戦いでは、これからはやっていけんだろう」
「式神、って、どういうものですか?」
「ふむ、人型に切った紙に念をかけると、その者の精神が高い次元の波動
 存在とリンクして、人型の紙に命……意識が宿り、鬼となるのだ。」
「ほ……ほほう」

 分かったような分からないような表情で水波は美姫の話しを聞く。

「高次元とのリンクは、リンクした術者が何か衝撃を与えられると切られ
 てしまう。術者が倒れると、式神が消えたり、ただの紙切れに戻るのは
 そのためだな」
「へ……へへええ」

 よく分かってないが、どうやら念じれば何か起こる事くらいは理解でき
たらしい。

「さて、着いたぞ。ここが小真神社だ」
「え?」

 水波は、神社の名前を聞いて、少しびっくりした。

「小真神社、って、たしか天水村にもあったよねぇ」
「ふむ、そうだな。……水波、あの神社の名前、『小真』を、音読みで、
 右から繋げると何と読める?」
「ん? えと、そだな〜。…………ま・しょう……魔性?」

 それを聞いて、美姫が微笑する。

「そうだ。小真神社は、その昔、陰陽の民が、式神を呼び出す神聖な場所
 であった。昔の者たちは、その神秘と、生まれいでる鬼への畏怖から、
 この神社を、『ましょう』、と呼んだのだ」
「あ、そか、昔は、横書きは右から読んだんだよねー」
「うむ。そのましょう、が、いつのまにやら小真、になってしまった。……
 まあ、そこに住む者が、外への体面を気にして、ただ漢字をあてはめて
 左から読んだのだな」
「へええ」

 そんな事を言っていると、神社の中から、卜部が出てくる。

「ふむ、さすがは良くお分かりだな、美姫殿。……天水村にもあるという、
 この小真神社……。そうやらあの髪の毛の長いお姫さまも、なかなかの
 式神の使い手のようだな」

 卜部の言葉に、美姫が続く。

「あの者は、陰陽としてより、器使いとして高次元の波動存在とのリンク
 するのが得意なようだな。桜のみならず、植物全てにリンクが効くとい
 うのはとてつもない驚異だが、そのコントロールとモラルについては、
 文殿に任せておけば問題なかろう」
「うむ。全ての問題は、このお嬢さんだな」
「んにゃ?」

 美姫と卜部に見つめられて、えへ、と照れ笑いする水波。

「えへ、じゃない」
「うふ」
「うふ、でもない」

 と、くだらない突っ込みをしながら、神社の中へと入る。
 そこには、小さな、しかし立派な神棚に、人の大きさくらいの石が二つ
置かれてあった。
 そこには封印と思しきものがされており、ここが神聖な所である事は、水
波にも分かった。

「ここはな、お嬢ちゃん。役公の使役した鬼が封じられていると言われる
 場所でもある。石が二つあるだろう?」
「うん」
「あそこには、お嬢ちゃんではどうしようもないもんが封じられているから
 …………だから登るな掴むなひっかくなーーーー!」

 音がしたなら、べりっ、だろうか。
 それくらいの勢いで、石に登っていた水波を卜部が引き剥がす。

「全く、この子は……」

 美姫も少しあきれ顔だ。

「でもさあ、役公っていえば、密教の神様でしょ〜?」
「ん? これは珍しい、よく知ってたな」
「あたし、そこまで馬鹿じゃないもん」

 ぷーん、と頬を膨らませた水波に、卜部が微笑みかけ、語り出す。

「「役小角」とは、「えんのおづぬ」と読む。修験道・密教の祖と言われる人
 物で、 後に神格化されてしまっている。ただ、現実に居た人物で文献にも残
 っているぞ。
 「続日本紀」文武天皇3年(699)に、「役君小角は初め葛木山(かつら
 ぎさん)に住み、呪術をもって称えられたが、弟子の韓国連広足(からくに
 のむらじひろたり)に、『師は妖惑の術を用いている』とざん訴され、伊豆
 島に流された」とあり、まあ、弟子に裏切られたんだな。
 「世間の伝えるところでは、小角はよく鬼神を使い。水を汲ませ、薪を採ら
 せた。もし鬼神が命に従わない時は、呪をもってこれを縛った」ともある。
 まあ、いわば、役小角も、式神の使い手で、高次元の波動存在とリンクが
 できたという訳だ」
「それでそれで、私は何すればいいの〜?」
「お前はとりあえずここに正座」
「え〜〜〜〜」
「精神を落ちつかせなければいかんからな」

 こうして、水波の精神修行は始まった。

 その頃、咲耶もまた修行の場所へと着いていた。

「さ、入りなさい、咲耶さん」
 
 文に促されて入ったそこを見て、咲耶は少し驚いた。
 咲耶は、母親の影響で、植物に囲まれるのを好み、鉄などの無機物に囲まれる
のを嫌う所がある。
 だがここは、鉄を打ち鍛える場所とは思えない程、清廉な空気で満たされて
いた。
 まるで、森林の中にいるかのような心地よさだ。
 文が、ふいごの火を吹き上げさせると、咲耶は少し怯んだ。

「怯える事はありませんよ。昔はね、鍛冶の火は、火雷神(ほのいかつちのかみ)、
 火の神カグツチが宿ったものであり、鍛人天津麻羅(かねちあまつまら)の
 加護を受けていて、近所から、ここにある火を受け取りに来る方もいたほどよ。
 さ、こちらへいらっしゃい」

 咲耶は恐る恐る火に近付く。
 何故か不思議と、恐怖はそれほど感じない。

「これより、器を刀剣に宿らせる『儀式』を執り行います。……咲耶さん、
 器を扱う者として、器の存在と産まれる過程を……そして、あなたが器を
 真の意味で取り扱えるように、器の真の意味を、ここで感じ取っていって
 ください。ここにあるのは、あなたが大好きな男の、大切な体の一部ですよ」
「誠さまの……一部」

 咲耶は、これから起こる事に、期待と不安を抱きながら、神聖な火と、折れた
正宗を見つめ続けた。



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