『9』

 同時刻、光基神社。

「ふ〜、まいったまいった、これは、今日中に終わりっこないぜ」

 そう愚痴をこぼしているのは、赤灼の髪の毛に長い角を生やした
少年……名は酒呑童子である。

「まったく鷲王のくそったれ、やりたい放題暴れてくれやがって。
 俺が油断さえしなければ、あんなやつ、ああしてこうしてこうや
って……」

 思うだけなら簡単である。
 彼もそう思ったのか、ふう、とため息をついて下を見ると、そこ
には撚光が召還した子猫の神様が、雑巾を持ってちょこちょこ歩い
ていた。

「おーい、なな。終わったのか、ぞうきんがけ」

 酒呑童子がしゃがんでななを見ながらそう言うと、ななは、

「んにゃ〜」

 と言って、可愛らしく微笑んだ。
 そして酒呑童子の角に、雑巾をひょい、っとかけて、ほうきで廊
下をさっさっと掃きはじめる。

「……俺の角は雑巾かけかい……」

 ななは楽しそうにお掃除をしながら、にゃんにゃん言っていたが、

「おそうじ、おそうじ〜……」

 急に人語を喋ったので、酒呑童子が驚いて目を丸くした。

「お、おおい、撚光さん! ななが人間の言葉を喋ったぞ〜」

 角に雑巾をかけたままで、酒呑童子は撚光を探す。
 撚光は神殿で、一人何か物思いにふけっていた。

「おおい、撚光さん? よりみつさーん……」

 撚光は応えない。

「こら、おっさん! 呼んでんだから返事くら……」
「誰がおっさんよ、だれが」

 おっさん、に反応した撚光が、酒呑童子の頭を、その太く大きな
手で、万力のように締め上げた。

「あだだだだだ、お、おにいさん! ななが、なながー」

 もう酒呑童子も、何がなんだか分からなくなる。

「ふう、まあいいわ。で、どうしたの? ななちゃんが、何?」

 締め上げるのに飽きたのか、撚光がその赤い頭から手を放す。

「いや……ななが、人間の言葉をやっと話すようになったから……」

 酒呑童子は、頭を押さえながら言う。

「あら、やっと順応してきたのね、いい事だわ。あともう少しすれば、
 色々と教える事もできるかも……」
「で、撚光さん、何考えてたんだよ、黙り込んでさ。珍しい」
「……ん、まあ、今回の事についてね。鷲王がまさかここまで入り込
 んでくるなんて、ちょっと読めなかったものだから」

 頭を押さえて、酒呑童子は言葉を続ける。

「へえ、撚光さんにも、分からない事があるんだな」
「まあ、情報収集と、《流れ》を操る事は、それほど難しい事ではな
 いんだけど、ちょっと今回はやられたわね」

 そう言って、壊れた神社の一部をちらりと見る。

「システムや通信に問題なかったんだから、いいじゃねえか。」
「まあ、そうだけど、本来こういう事は起こってはならないのよ。だ
 から神社や、鬼切役本部近辺には結界を張ってある。でも今回は、
 美姫ちゃんが来るから、ちょっとだけ結界を弱めたのね」
「なんでさ」
「美姫ちゃんの力は、鬼の中でも超ド級なんだけど、その強い波動の
 力と、私の結界が反応して、辺りに影響を与えたりする事があるのよ」
「俺の時は、なかったぜ?」
「あなたは、まだまだ、ななちゃんと同じですもの。発展途上の鬼には、
 美姫ちゃんのように抑えてても流れ出るような、強力な波動は発生し
 ないものよ」
「ふうん」
「で、結界を弱めると、私がブラックリストに入れてある人間や鬼に対
 する感知能力も弱まる。そうすると、強力な鬼が出てきた場合、簡単
 に結界を破られる可能性もある……でも、今回は、武ちゃんに美姫ち
 ゃんっていう強力タッグがいるから油断したのね。あっさりと鷲王に
 結界を破られてしまった」
「ああ、大木が伐られてたな」
「そう、まさか、鷲王が来るなんてね……」

 そこまで言うと、ふう、とため息をつき、再び撚光は話し始めた。

「私の読みでは、鷲王はここには来ないはずだった。いや、来られない
 はずなのよ。紅葉四天王以下なら、なんとでも私でできたんだけど、
 どうして来れたのか、未だに疑問ね」
「鷲王は来れなかったのか?」

 掃き掃除が終わって撚光の所に帰ってきたななをひょい、と抱き上げ
て、酒呑童子が問う。

「あのタイミングでは、鬼武と熊武は東京にいて、春菜ちゃんや純也ち
 ゃん、上泉 秀綱様とやりあっていた。その頃、おそらく伊賀瀬は京
 都に入り、平等院を目指していたはず。紅葉の側近で、紅葉を守れる
 のは鷲王しかいないのよ。歪みを通じて移動できるといっても、そこ
 にはタイムラグがあって、瞬間移動できる訳じゃないのね」
「……なるほどな」
「そして、今天水村には、新選組の主力が集結し、さらにはシヴァリー
 スのトップクラスが巡回を始めている。アーサー王は穏やかな方だけ
 ど、一度怒らせると手がつけられない。おそらくは、お姫さまを動か
 して、2〜3発ぶちこんでくる事も考えられる」
「お姫さま??」
「シヴァリースにある、ティル・ナ・ノグ最新鋭の機動兵器よ」
「日輪機じゃなくてか?」
「あの親玉みたいなもの」
「うへえ」

 酒呑童子は、よく分かっていないななの両手を万歳させて呻く。

「それなのに、鷲王は紅葉の元を離れた……いや、紅葉はそれを黙認
 した……何故? もしや、紅葉だけでどうにかできるほど、あの鬼
 女は強力なの? ……村岡の機動兵器部隊をアテにしてるとも思え
 ないから、おそらくは一生と紅葉でどうにかなる、と考えているの
 かもね」
「まだ、アジトにどーん、と攻め込む訳にはいかないのか?」
「無理ね。今、新選組の斉藤さんが中心となって、警察を動かし、村
 人の避難はだいぶ進んでいるようだけど……まだちょっとかかるわ
 ね。村、といっても、過疎村と違って観光地ですもの」
「一般人を巻き添えにする訳にはいかねえもんな」

 酒呑童子は、ななと一緒に、壊れて使えなくなった壁材を細かく砕
いて集めながら答える。

「なあなあ、そういや、村岡の機動兵器って、なんだ? 村岡ってい
 うのは、メーカー名か?」
「……政治家よ、知らないの? 結構テレビにも出てたじゃない。元
 防衛庁長官で、防衛族の息のかかった家電メーカーに天下りした……」
「知らないなぁ」
「ま、知らなくてもいいような愚物だけどね。政治で使えないから天下
 るんだし、その程度の族だから。それに、もう死んだしね」
「で、その兵器が、何だって?」
「今、天水村に向ってるのよ。それもSATも含めて数百人。綱から連絡
 があったわ」
「マジかよ、やべえじゃねえか。鬼切役は、人殺しはできないだろ。や
 られ放題か?」
「まあ、その辺りは、シヴァリースと新選組の専売特許ね。鬼に成りか
 けてる人間は、彼等に任せて、我々は本拠地へ突入、という図式にな
 るかしら」
「それはいいけど、村人の避難は間に合うのか? いつ来るんだよ」

 酒呑童子は、集めた廃材に、ななが持ってきた藁を重ねて、マッチで
火をつける。

「……早くて、明日夕方。遅くても、明日の夜」
「……間に合わねえんじゃねえのか? マズくないか?」
「マズいわね……避難させながら戦う事になるかも」
「……俺も行くぜ。俺はこんなナリだけど、心は人間だからな。放って
 おけないだろ」
「いえ、あなたは、ななちゃんとここに残って」
「なんでだよ」
「あなたは、私とななちゃんと一緒に、ここの結界を再度張るための重
 要な存在なのよ。人と、鬼と、高次元の存在と、この三つが合わさっ
 た結界を張らないと、鬼という存在を、完全にシャットアウトできな 
 いでしょ?」
「……そうか……鬼は、こっちの存在じゃないから、向こう側の結界も
 必要なわけだ」
「そう。そういう事」
「じゃあ、突入は、柊さんと水波ちゃん、咲耶さん、武さん、美姫さん
 ……え、5人か?」

 撚光は、ちょっと考え込んで言う。

「塚原様が来てくださるはずだし、ぶらぶら放浪している伊藤様や、新
 選組やシヴァリースの人間も加勢に来てくれるはず。今は、それに期
 待するしかないわ……それに、できればあの二人にも協力して欲しい
 けど……だめね、一生に抑えられてる」
「塚原 卜伝に、伊藤 一刀斎景久か……なんか謎だよな、あの二人も。
 上泉伊勢守秀綱は、生っ粋の剣士だから分かりやすいけど……」
「でも、とても頼りになるわ。ま、塚原様はスケベで有名だし、伊藤様
 は見た目は少女みたいだから、ちょっと勘違いされたりするけどね」

 たき火に廃材をくべる手を止めて、酒呑童子はきょとん、と撚光を見る。

「……え? 伊藤 一刀斎景久って、おんな?」
「そうよ、知らなかったの?」
「……知らなかった……っていうか会った事ねえよ……」
「本当に、ぶらぶらしてるから、あの人……」
「刀技と一緒で、ぶらぶらするスピードも神速なんじゃないのか?」
「そうかもね、ふふ」

 たき火がある程度燃え終わるころ合いをみて、撚光が酒呑童子となな
に声をかけた。

「さあ、たき火も、もう放っておいていいでしょう。ちょっと水かけて、
 結界を張りましょう」
「了解。なな、こっちこい」

 酒呑童子に言われて、たき火に水をかけていたななが、とことことや
ってきて、彼に抱き上げられる。

「まずは、結界が先。今日は徹夜になるわよ。まあ、誠ちゃんや水波ち
 ゃん、咲耶ちゃんも徹夜だろうから、私達も負けずに頑張りましょう」
「そうだな、まずは、ここを安全にしねえと、動けないな」
「にゃ、けっか……い?」
「そうそう、よくできたわね、ななちゃん」
 
 撚光は、ななの頭を優しく撫でると、三人で光基神社の神殿へと入っ
て行った。





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