『10』

 
 白い家……その家はいつの間にかそう呼ばれるようになっていた。
 陽もまた、その家の事を、いつの間にかそう呼ぶようになっていた。

 その家、という名に似合わない設備を備えたその家屋は、そこにある全ての
ナノマシンを制御、拘束するなにかしらのシステムが設置されているようで、
御月 陽は、完全にその行動を封じられていた。
 誠が磐戸の奥に籠り、新選組が対特殊部隊対策を練り、シヴァリース達が
”お姫様”の出張を命じる間も、狂人にあてがわれた部屋の片隅で、狂人からも
らった兵器を、ただもて遊ぶだけだった。

「私が父親だ……」

 陽はふと、自分の父であると名乗った狂人の言葉を繰り返していた。
 その言葉は、陽にではなく、奈々美に発っせられたものであったが、何故か陽
は、その言葉が自分に向けられたものではないかという錯覚に陥りそうになった。

「父親……か」

 陽はふと、自分の傍らを見る。
 そこには、まるで当然のように陽のベッドを占領して熟睡している奈々美の姿
があった。
 陽は、この少女についても、わからない事があった。
 
 なぜ、自分をここまで慕ってくれるのか。

 無論、そんなものは、本人でないと理解できない感情があるのだろうが、この
奈々美という少女は、自分で食事を摂取する事もままならないくらいに知識が欠
損していた。
 狂人のもつ知識であれば、遺伝子レベルで細胞をいじりまわし、急激な成長を
促し、脳に疑似記憶を植え付ける事など、造作もないことかもしれない。
 人間の脳に電気刺激を与えると、幻覚を見、幻聴を聴き、覚醒状態で夢を見る
事ができる。
 陽には、医学的な知識は専門家には程遠いので、詳しい事は分からないが、こ
の少女は、明らかに急激に成長させられ、疑似記憶を受け付けられたであろう事
は、何となくだか理解できた。
 おそらくそこに、自分の家族についても、何かしらの情報を植え付けたのでは
なかろうか。
 だから、奈々美は陽を見たときに、全く警戒もせず付いてきた。
 まるで、兄の後を一生懸命付いてくる小さな妹のように……。

 一生という狂人と最初に出会った時、あの男と交した会話を、陽は思い出して
みた。

『陽、忘れるな。お前は奈々美の命を背負っていると言う事を。私が一言声をか
 ければ、あの子は自分で自分の首をねじ切る事もいとわんだろう。
 ……お前は、そんな不幸を、あの子にさせるのかね?』
『……最低だよ、あんたは……』
『最低か、それもいいだろう。私に言わせれば、今の人間社会こそ最低だと言え
 るがね。私は今の世の中を一新させるためならば、喜んで悪と呼ばれようでは
 ないか』

 また、陽は奈々美から、こんな話を眠る前に聞かされていた。
 体外受精させ、育て、その細胞に、まるでミトコンドリアのようにナノマシン
を常駐させた、と。
 その父と母の精子と卵子は、もしかしたら……

 陽はそこまで考えてぞくりとした。
 狂人が一体何を考え、何を実行しようとしているのかは分からない。
 その得体のしれない狂人が産み出したこの血の繋がらない妹は、今も、彼に植
え付けられた疑似記憶と、精神制御に苦しんでいる。

「私が父親だ……」

 その一言で、彼女もまた、彼女の父親と同じく、狂人になるのだ……。
 陽は無垢なままで自分を見つめる少女と、眼球を血ばしらせながら自分の首を
絞めてきた少女を交互に思いおこした。
 狂人が死ねと命ずれば、ためらう事なく自分の命を絶つように、記憶の奥底か
らコントロールされている奈々美。
 彼女をその呪縛から解き放つ術を、陽は持たない。
 だが、彼女をこれ以上望まぬ争いから遠ざける事はできる……。
 
 奈々美の頭を、軽くなでてやる。

 陽は、この少女に、家族のような親近感を抱き始めていた。
 自分を100パーセント信じて無警戒に心を開いている少女に対して好意的な
感情を持っていることも確かだったが、それ以上に、陽自身の記憶の闇が、彼女
を守りたいという大きな原動力になっているような気がしていた。
 国民を護るために、自ら進んでナノマシン注入を受け、巨人に乗り、そしてあ
の決戦では、裏切り者により巨人が制御不能に陥りながらも百鬼夜行を撃退した。
しかし、その成果は、巨人の制御失敗による責任追及を免れたい政治屋や役人、
企業屋の保身により公表されず、彼らはまるで、神に背いた行為を行った狂人の
ような目で見られるようになってしまった。
 彼の所属したアーマー・コアは解散、そして、彼ら自身も、自分を偽って過ご
さなければならなかった。

 ナノマシンを植え付けられた事による悲劇。

 陽は、この何も分からない少女に、その悲劇を再び味合わせたくない、と考え
るようになっていた。
 だが、あの狂人を、力を封じられた自分がどうにかする事はできない。
 奈々美を連れて外に出られれば良いが、それもかなうまい。
 だから、彼と、陽は戦うしかないのだ……狂人の命ずるままに。

「誠の力は、あれが全力ではないにしても、少しはかいま見る事はできた。あの
 チンピラどもとの戦いや、翼の生えた鬼との戦いなどから実力を計算する事は
 できる」

 これが器使いか、という、強靭な身体機能。
 古流剣術の持つ、殺傷性、素早さ。

 これらを踏まえるだけで考えると、陽にはとうてい勝ち目がないようにも感じ
られる。
 だが。

「誠の剣は、ぶれと迷いがある」

 陽はそう考えていた。
 攻撃力と素早さは凄まじいが、その奥底にある『心』は、あまりにも弱いよう
な気がしていた。
 誠は戦いに熱中すればするほど、隙が大きくなる癖がある……。
 長期戦に持ち込んで、その隙を見い出す事ができれば……。

 ver.3 Takemikazuchiで勝てる。

 陽は、鋭い視線で何か遠くの方を見ながら、考えを巡らせていた。
 
 しかし、そこまで考えた時、陽はふと思った。
 自分の姉、と言われている一人の女性の事を。

 姉……咲耶は、誠を自分が倒してしまった時に、どう感じるのだろうか。
 おそらく、悲しむだろう。
 そして、御月 陽を恨むかもしれない。
 妹を護ろうと思えば姉が悲しみ、姉を悲しませないようにしようと思えば、
今度は妹が苦しむ。
 少し自分に向かって嘲笑する。
 自分の置かれている状況は、なんと滑稽で辛いものか。
 今まで、婦女子だけは泣かせまいという行動理念があった陽なのだが、今回
ばかりは、どう転んでも、自分の信念通りには事は運んでくれそうにない。

 陽は、どうあがいても逃れられないと分かっていながら、それでも抵抗を続
けた。
 そして、あの時の自分の言葉と、幼い頃見たプレートをを再び思い出した。

--- 陽 推定年齢8歳 ---

『何が言いたい!!』
「私がお前の父親だという事がだよ、陽」
『……嘘だ!!』
『嘘なものか。お前は、私と真緒との間に生まれた、正真正銘、血の繋がった
 息子だ。……そして………咲耶の弟だ……』
『……!!! ……そん……な……馬鹿な話があるか!!』
『お前に依頼をしたのも、血の繋がった弟ならば、無意識のうちに、咲耶が心
 を開くかと思ったからだ。……だが……、やはり、柊さんの方に、心が動い
 たか』
『誠が、何だってんだ?』
『咲耶にとっては、白馬の騎士、だからな。……まあ、そんな事はどうでもよ
 い。いずれ、咲耶も、我が元に帰ってくるのだからな』
『…一体……何を企んでいる!!』
『何度も言わせるな、息子よ。未来のためだ』
『あんたがどんな未来を望んでいるかは知らねえ!! だがな!! 俺は、罪
 のない人間の命を奪った罪を背負った未来なんぞごめんだね!!』

 ……ほんと、ごめんだよ、まったく……

 陽は、本当にげんなりしていた。

『鬼切役を倒し、咲耶を奪え』

 その一生という狂人は、そう陽に言った。
 奪った咲耶に……自分の娘に何を言い、どうするつもりなのかはさっぱり分
からないが、どう考えても、ロクな事をしないだろう、というのだけは分かる。
 だが、それでも、陽は戦う事を選んだ。
 そういう決断をさせるほどに、奈々美は弱々しかったのだ。
 この娘は、俺がいなくなるとひとりぼっちになってしまう……
 それは、陽の傲慢かもしれない。
 だが、そう思っても誰も文句の言えないくらい、彼女は弱く、そんな弱い彼
女は、いつも陽に傍にいてほしいと願っているのだ。

 誠、悪いな。 俺も、もうここから逃げ出す訳にはいかねえんだよ……

 陽はそう心の中でつぶやきながら、再び奈々美の頭を軽く撫でる。

「まだ昼すぎだってのに、夜みたいに静かだな、ここは……」

 外界から隔離され陽と奈々美しかいないその部屋は、まるで全ての空間からそ
の部屋だけが切り離されてしまったかのように、音もなく、静寂に包まれていた。

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「ふむ……伊賀瀬が鳳凰堂へと入ったか」

 一生は、彼らの仲間の全てを見ていた。
 自分の作成したナノマシンを駆使し、あらゆる場所にセンサー、トラップを設
置し、そこから情報を得ているのだ。
 陽が訪問し、そして壊したあの部屋の一角にある椅子に腰をおろし、一生は耳
の下あたりにあるプラグに、コードを差し込んでいた。
 一生もまた、陽と同じく、自らの体に細工を施している。
 ナノマシンからの情報は、視覚や聴覚を通す事なく、直に脳の神経細胞へと伝
えられている。
 そこで、疑似的に視覚化された情報を、一生は『見て』いるのだ。
 陽と奈々美の所にもナノマシンは送りこんであるのだが、一生はさっぱり動か
ない彼ら二人には、早々に興味を失ったようだ。
 それよりも、鳳凰堂の不動堂が破壊された事、一瞬にして池が干上がってしま
った事などを知り、鳳凰堂に伊賀瀬が入ったと確信し、そちらに対しての情報収
集の方に、力を注いでいた。
 
「おや……あれは、新選組か。む、何だ、あの珍妙な格好の少女は?」

 鳳凰堂へと向かう一団は確かに新選組だが、そこに、見慣れない外国人の少女
と、黒スーツに身を固めた少年がいたのである。
 その衣類に付くマークを見て、少々意外そうに驚きを表わした一生だったが、
すぐに苦笑してつぶやいた。

「おやおや、お姫様が自らご出陣か……しかし、《あの時》と同じ格好とは……
 なんとも気合いが入っているな。まあ、空間が歪み、鬼の現われる奇妙な時代
 だからこそ、あのような格好もこの社会では許容されているのだが……しかし、
 場所を選ばぬ少女だ」

 一生は、面白そうに、脳内に送られた情報を見る。
 彼らの向かう先は、明らかに鳳凰堂だ。
 
「伊賀瀬と戦うつもりか……」
 
 一生は面白そうに口元を歪ませて、顎髭をなでた。

「ふむ、西洋の退魔専門の魔法使いと、墜ちた陰陽師……これはなかなか興味深
 い。ちょっと見物させてもらってもいいかな」

 一生は、顎髭を弄びながら、呟きを続ける。

「……まあ、伊賀瀬に負けてもらっては、私の実験が水の泡になるからな。何が
 なんでも、伊賀瀬には勝ってもらわねばならんが」

 ちらりと天井の方を見る。

「まあ、余興のひとつとして、彼等にも踊ってもらうとするか」

 その視線は、天井を向いたままだ。
 そこには、小さな虫のようなものがあった。

「ふむ……お互いに、信頼はおいていない、という事か。ふ、まあ、結構だ。お互
 いに求める利益が共通しているに過ぎない……そうですな、紅葉殿?」

 一生は、くぐもるような声で笑った後、コーヒーメーカーからコーヒーを一杯つぎ、
 椅子に深く座り直した。
 そして、あの歌を口ずさむ。

『紅桜は魔性の桜
 紅桜は血吸いの桜。
 魔性の色は人を呼び、魔性の匂いは妖(あやかし)を呼ぶ。
 妖の流したる人の血が
 桜の花の糧となり、紅桜の花ひらく。
 紅桜は魔性の桜。
 紅桜は魔性の森の道標(みちしるべ)。
 踏み込むものを魔性に誘い、桜は血色に花ひらく…。』

「さあ、ショーの始まりだ」

 一生の目は、これから楽しみにしていた映画を観る直前のように輝いていた……。




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