『12』


 誠は、一人、家屋の裏山へと足を踏み入れていた。
 ここは、精一郎の言う《岩戸》のある場所でもある。

「ここに来るのは、初めてだな」

 そう呟きながら、誠は小さな小屋のようなものの前に立ち止まった。
 それは、大きな岩山の梺にあり、大きいとは言えない、素朴なものだ。
 その小屋は、まるでむき出しの岩から突き出ているかのように見え、そしてここが、
《岩戸》の入り口であるという事は、誠には以前から父に聞かされて知っていた。

「ここか……」

 誠は、自分の背丈よりも少々小さな木製の扉を開けて、その中へと入っていく。
扉をくぐり抜けると、そこには大きな空洞が広がっており、どこまでも続く暗闇は、
その内部の大きさや奥行きを一切感じさせないものであった。
 後ろの扉を閉じてしまえば、自分の足下すら見えず、暗闇にまるで浮いているかの
ような錯角に陥るだろう、誠はそう感じ、ふと後ろを振り返る。
 すると。

 キィィィィィ……パタン。

 小さなきしみと、控えめな音で、ひとりでに扉が閉まってしまった。
 しかし、誠はそれに怯えて慌てて扉に駆け寄ろうとはせず、そこに立って、静かに
黙想した。
 この大きさも奥行きも分からない暗闇は、外部の音も、色も、感覚も全て遮断し、
そこにいる人間自身の内面へと自然に向わせるような効果を持っている。
 誠は自らの内面へと、まるでふわりと浮かび、飛ぶように向って行く。
 自らの剣。自らの過去。そして、自分自身の明日は……
 誠は、どうしても過去を見る事ができなかった。
 見れば、どうしてもあの時の事を思い出してしまう。
 誰も守れず、誰も救えず、ただ悲しみと後悔で全てを壊し、人を傷つけたあの日の
出来事を……。
 
「くっ」

 誠は閉じていた目を開く。
 しかし、そこには漆黒の闇。
 自分が目を見開いているのに、まるで閉じているかのような錯角に陥り、そして、
再び誠は、覚醒しながらも、自分の内面へと強制的に自らの目を向けさせられる。

(なるほど……これが、岩戸の試練……)

 自分の力、自分の意志、自分の罪、自分の未来。
 それと否応なく強制的に向けさせられるのだ。

 まだ早いのではないですか?

 そう蒼真 武は言った。
 その意味が、誠には少しだけ分かったとうな気がしていた。
 自らの過去とすら、まともに向き合えない今の自分……。
 そんな弱い、ただ剣の振るえるだけの男に、ここで何を得ろというのか。
 誠は眉間のしわを寄せて目を閉じる。
 自分はどうすればいい。
 鬼を狩るのか? なぜ狩る? 誰かを守りたいのか? いや違う。


 戦っていれば嫌な事を考えずにすむからだ。


 鷲王に《誰かを守るために戦う》とお前はほざいたな。
 だが、守るとは誰の事だ?
 お前は、人でありながら器使いをも圧倒する父や、何もない所から鬼切役を立ち上
げた蒼真 武や、鷲王のような強烈な意志の力で鬼となった者に匹敵するだけの心と、
意志と、そして理由を持っているのか?
 お前は何も持っていない。
 仲間と、好きだった少女を失ったあの時から、お前は人と必要以上に接するのを避
けるようになった。
 心遣いを忘れず温かく接してくれる撚光、無垢に自分を信じる水波、家族の分裂に
心を傷めながらも、それでも誠を信じて付いてきた咲耶。
 お前はこの者達からも距離をおき、深く関わらないようにいつも注意を払っていた。
 何のために?
 それは、この者達と関われば関わるほど、それらを失った時には、《あの時》と同
じ、いやそれ以上の悲しみを与えられるからだ。
 結局お前は、誰も守ろうとしていない、誰も救おうとしていない。
 ましてや。
 自分自身さえ、救う事をあきらめて戦っている。

「……………………」

 誠はふう、とため息をついて、そして視線を上に向ける。
 そこには、漆黒の闇。

「さすがにこれは辛いな」

 否応なく自分の弱い所がぼろぼろと、まるで金メッキをはがすかのように落ちていく。
 そう、自分と向き合う事、そして向き合った自分と対話する事。
 これこそが、剣士としての最大級の試練なのだ。
 俺は……ここで何を得ようというんだ?
 俺は……ここでどんな答えを見つけるというんだ?
 俺は……ここで何を見るというんだ……?

 そう考えた時、誠の眼前が、ぱっと光に包まれた。
 かと思うと、その光の先に見えたものは、あの光景……

「……こ……これは……!!」

 誠は思わずそう呟いた。
 そこには、あの富士山麓での決戦が、まるでテレビモニターで見ているかのように鮮
明に、しかし、まるで取り残されたような感覚と供に、視角に伝わってきた。
 
「お前が見たかったものは……見なければならないものはこれだろう?」

 その声は、何処ともなく聞こえてきた。
 誠がその言葉に驚き視線を声の方向に向けると、そこには一人の男が立っていた。
暗闇であり、視界はさっきから全て遮られているというのに、フラッシュバックのよう
に見えたあの戦場。そして、暗闇の中に浮かび上がる男。
 男は、誠の方へと近寄る。
 その身体は、白い衣服で覆われている。
 どこか中国大陸の洋装を思わせる衣服の上には黒髪を後ろで結んだ精悍な顔。
 強い意志を秘めたと思えるその瞳は、誠をまっすぐに凝視していた。

「よう。お前さんが柊 誠か。俺ぁ、お前の父親から頼まれてここにいるもんだ。まあ
 よろしくな」

 嘘だな。
 誠は、そういう白い男の言葉に、即そう思った。
 ここに来るまで誰もいなかった事は分かっている。
 仮にここに潜んでいたとしても、自分がどこにいるかも分からないこの暗闇で、たと
え気配があったとしても、誠自身を識別する事は不可能だ。
 誠がここに来ると本当に精一郎から聞いていた? ありえない話ではないが、それで
も《ここは夢想神伝流を免許まで持った者しか立ち入れない》はずだ。
 誠は、免許を持つ者を全て知っている。
 その中に、彼はいない。
 また、夢想神伝流は、秘剣ではなく、秘密裏に免許を渡す事は、この時代、たとえ器
使いであってもありえない。
 つまり。
 この男は、精一郎を知らなければ、夢想神伝流の関係者でもない。

「その通り。お見事」

 あるでからかうように男は、ぱちぱちと拍手してみせる。
 しかし、なぜこの男だけ、こうもこの暗闇で、はっきりと認識する事ができるのか。

「それはな、誠。俺がお前の心……脳みそに直に働きかけているからさ。視角神経と
 聴覚神経へと繋がっている脳の伝達部位に、俺の意識が流れ込んでいるためだよ」

 男は、にやりと不敵に微笑むと、言葉を続ける。

「つまり、俺は今、お前の心の中にいるわけだ。これが、どういう事だか、分かるな」

 誠は、ぐっと男を見つめ返した。
 この男が何ものかは知らない。
 だが、柊 誠の心にある徳や罪、そして思いでは、この男には筒抜けであるという事
なのだろう。
 だからこそ、あの光景が、フラッシュバックのように視角に流れ込んできた。
 非科学的で馬鹿らしいが、それが本当に起こっている以上、むきになって否定するま
でもないだろう。

「まあ、そういう事だな。お前が何を悩み、そして未来が見えない事に怯えている事は
 目にタコができるぐらい《見せて》もらった。これからは、お前が何を考えるか、何
 を見い出すか、その答えをお前が見い出す番だ」

 男はそういうと、誠の額に掌をあてた。

「お前には、これからあるものを見てもらう。お前以上の苦痛と、悲しみと、罪を背負
 った者の記憶だ」

 そう言って、男は誠の額を掴むようにして力を入れる。
 すると、誠の意識は、ここではないどこかへと飛んで行くような錯角に陥り、そして、
またテレビモニターから出来事をただ観察しているような錯角とともに、ある場所へと
意識は移された。 





 そこは、ある病院の一室。
 その部屋は白で統一され、ぬいぐるみが並び、ベッドが一つ。
 そこに、一人の少女がぬいぐるみを玩びながら、誠を見つめていた。
 いや、誠は誰かの視界を借りているにすぎない。
 この視界の持ち主は、誠の意志にはまったく関わらず、気付かず、少女と話している。
 少女は、その視界の持ち主に対して、心を敢然に委ねているかのように感じた。

「お兄ちゃん、今度はいつ帰ってくるのー?」
「そうだな、俺はこれから蒼真と一緒に京都へと行かなければいけないんだ。まあ、二
 日もあれば、帰ってくるから、お医者さんの言う事をよく聞いて、いい娘にしてなさ
 い。」
「うん、わたし、いい娘にしてるー。お土産、忘れないでね」
「ああ、楽しみに待っててくれ。お土産は何がいいかな?」
「えーとね、うーんとね…………何でもいいー。常也お兄ちゃんの買ってくれるものな
 ら、何でもうれしいー」
「そうかそうか」

 そう言って、視界の持ち主は、少女の頭をくしゃくしゃと撫でる。
 少女は、えへへ、と笑いながら、嬉しそうにされるがままだ。
 と、そんな彼等二人の後ろにあるドアが開く。
 視線をそちらに向けると、そこには蒼真 武が立っていた。

「あ、たけるお兄ちゃんだー」
「こんにちは、茜ちゃん」

 元気よく手を振る茜、と呼ばれる少女に、武はやさしく微笑みかける。

「早かったな、武」
「もう少し話していたかったのなら、まだ時間はあるぞ、常也」
「……いや、お前達に迷惑をかける訳にもいかない。俺は、みんなと供に器使いの存
 在を認めさせるためにいるんだからな」
「そうか、せっかくの妹との面談なのに、すまんな」
「気にするな。俺は、戦う事で妹を守れる。そんな立場にいられるだけで嬉しい」
「お兄ちゃんたち、頑張ってね、いってらっしゃい」

 常也、と呼ばれた男と、武に向って、茜は元気に手を振った。

「ああ、いってくるぞ。いい娘にしてなさい」
「じゃあ、またね、茜ちゃん」

 二人は、茜に手を振って病室を出て行く。
 その常也と言われた視界の持ち主は、ふとその入り口にある鏡に目をやった。
 そして、長い赤い髪の毛をその右手ですいて、髪型を整える。
 その瞳は澄んでおり、優しい温かさを持っているように感じる。
 そんな仕種を見せる男を見た時、誠の意識は、どくん、と、何か大きな鼓動を感じ
た。
 そこに写っていた男の顔。それは。

(鷲王……!!)

 誠は、常也……鷲王の視界に入り込んだまま、成す術もなく病室を後にした。





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