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ここでは、私が持っている日本刀について紹介し、 それをもとに、正宗や備前刀について、ちょこっとだけ お話します(^^)。 先にお断りしておきますが、ここで紹介するのは、 また、「模擬刀」や「美術刀剣」であった場合は、登録が必要ありませんが、 あ、ちなみに、現在、居合練習用模擬刀であれば、3〜10万程度で、 では、まずは正宗からいきましょう。 |
鎌倉時代に鎌倉幕府お抱えの刀鍛冶として登場した、名工のひとり。 名は五郎、初代行光の子と言われています。 本来、貴人に対して刀を奉納する時は、銘を掘らない事が礼儀とされていたため、 また、正宗は、自分の刀と技術に対しての自負心から、 そういった経緯により、、今村長賀が政宗非存在説を唱え、明治以降、その価値が 正宗の刀は現存するものが少なく、銘の入ったものも、刀は皆無に近く、わずかに 最近見たものでは、数年前に愛知県徳川美術館に、「不動正宗」の短刀が展示された
刃紋は、『相州伝』と伝えられるもので、
「雪の叢消し」と伝えられる波が、よく復元されています。
鎌倉に居を構え、古刀の秘伝を調べるうちに遂には相州伝の一派を開き、
後に名を残す名匠と称せられるまでになりました。
相州伝は、波打った刃紋が特徴とされています
また、篭手の上から、相手の腕を両断したという逸話から。『篭手切り』
の異名を持つ物もあったそうです。
貴族主義の様式に反発した武士階級に、「質実剛健」の精神の元で、よく愛用
されました。
正宗の刀には銘の掘られたものが非常に少なくなっています。
「自分の刀が他と見間違われるわけがない」と、
わざと銘を刻まなかった、とも言われています。
そのため、豊臣秀吉の時代には、それを利用した贋作が多く氾濫した刀としても
有名です。
暴落した事がありましたが、室町末の文献にもその名が名工として書かれている事
が明らかとなり、遺品の上からも、現在では、突出した絶無の名工ではなく、存在
した名工の一人として、評価、認識されています。
短刀が数点存在するのみとなっています。
事があります。
備前(現岡山県)の刀工の制作した刀を総称して「備前もの」 この上の写真の太刀は、備前長船左衛門長光の作です。 備前は、日本全国の刀工の約半数に近い数を持ち、平安時代から 備前ものには、古備前派、一文字派、長船派などの刀が存在します。 現在国宝、重要文化財に指定されている刀剣約800のうち、約半数 備前刀の材料には、中国産の赤目鉄が使われていたといわれています。 宮本武蔵と巌流島で戦った佐々木小次郎が所持していた「物干竿」が 現在「本物」は、東京国立博物館に所蔵されています。 |
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