日本刀各部の名称 日本刀の種類・流派など。 私が持っている日本刀 居合について 日本刀の話

ここでは、私が持っている日本刀について紹介し、
それをもとに、正宗や備前刀について、ちょこっとだけ
お話します(^^)。

先にお断りしておきますが、ここで紹介するのは、
銃砲、刀剣類取締法により、刃入れと焼き入れをされていない
美術刀剣です。
本来、刀を所持するためには、まず教育委員会の審査をうけ、
美術品としての価値を見い出されなければいけません。
まあ、正規に購入された場合は、必ず登録証がついていますが、
もし、あなたの家で、刀が発見された場合に、もし届け出を怠れば、
不法所持として、警察が動かざるを得ない場合がありますので、
もし、刀が発見された場合は、覚えておいてください。

また、「模擬刀」や「美術刀剣」であった場合は、登録が必要ありませんが、
それは『鉄パイプや金属バットの所持に登録がいらない』事と同じレベルです。
それらでもし人を殴れば、命を奪ってしまう事も考えられます。
それが、鉄より堅い鋼であれば、言うに及ばずです。
もし、あなたが刀の所持を臨むのであれば、子供などがナイフを所持するような
気分で持ったり、振るったりする事は、決してしないでくださいね。

あ、ちなみに、現在、居合練習用模擬刀であれば、3〜10万程度で、
美術刀剣は、10〜30万ほどで、
日本刀は、大体80〜200万ほどで取り引きされているようです。

では、まずは正宗からいきましょう。

 五郎入道正宗作・大小拵
正宗・写真
正宗・刃紋
刃紋は、『相州伝』と伝えられるもので、
「雪の叢消し」と伝えられる波が、よく復元されています。
◯正宗(まさむね)

鎌倉時代に鎌倉幕府お抱えの刀鍛冶として登場した、名工のひとり。

名は五郎、初代行光の子と言われています。
鎌倉に居を構え、古刀の秘伝を調べるうちに遂には相州伝の一派を開き、
後に名を残す名匠と称せられるまでになりました。
相州伝は、波打った刃紋が特徴とされています
また、篭手の上から、相手の腕を両断したという逸話から。『篭手切り』
の異名を持つ物もあったそうです。
貴族主義の様式に反発した武士階級に、「質実剛健」の精神の元で、よく愛用
されました。

本来、貴人に対して刀を奉納する時は、銘を掘らない事が礼儀とされていたため、
正宗の刀には銘の掘られたものが非常に少なくなっています。

また、正宗は、自分の刀と技術に対しての自負心から、
「自分の刀が他と見間違われるわけがない」と、
わざと銘を刻まなかった、とも言われています。
そのため、豊臣秀吉の時代には、それを利用した贋作が多く氾濫した刀としても
有名です。

そういった経緯により、、今村長賀が政宗非存在説を唱え、明治以降、その価値が
暴落した事がありましたが、室町末の文献にもその名が名工として書かれている事
が明らかとなり、遺品の上からも、現在では、突出した絶無の名工ではなく、存在
した名工の一人として、評価、認識されています。

正宗の刀は現存するものが少なく、銘の入ったものも、刀は皆無に近く、わずかに
短刀が数点存在するのみとなっています。

最近見たものでは、数年前に愛知県徳川美術館に、「不動正宗」の短刀が展示された
事があります。

 大般若長光

長光・写真 長光・刃紋

◯備前もの(びぜんもの)

備前(現岡山県)の刀工の制作した刀を総称して「備前もの」
と言います。

この上の写真の太刀は、備前長船左衛門長光の作です。

備前は、日本全国の刀工の約半数に近い数を持ち、平安時代から
幕末にかけて繁栄し、名工を数多く輩出しました。

備前ものには、古備前派、一文字派、長船派などの刀が存在します。

現在国宝、重要文化財に指定されている刀剣約800のうち、約半数
が岡山県産の備前ものであり、それからも、備前が刀剣制作で栄えた
土地であるともいえるでしょう。

備前刀の材料には、中国産の赤目鉄が使われていたといわれています。
良く切れる刀は硬く折れ易く、折れにくい刀は曲がりやすく切れにくい
という、切れやすさと折れにくさは、お互いに合反するものですが、
適度に不純物のまざったこの玉鋼が、よく切れ、また折れにくいと
言われる備前刀の秘密とされています。

宮本武蔵と巌流島で戦った佐々木小次郎が所持していた「物干竿」が
長光であったとする説がありますが、定かではありません。

現在「本物」は、東京国立博物館に所蔵されています。


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